東京夜話

なにげなく読んでいた「本よみうり堂」の「著者来店」。今日は、児玉清『負けるのは美しく』(集英社)が取り上げられていた。この本には、森雅之山茶花究のことも出てくるらしい。ぜひとも読まなければ。
文藝春秋編『ビッグトーク』(文春文庫)を拾い読みする。これは対談集。「藤本義一」どうしの対談もあった。いつか、藤本義一『洋酒こぼれ話』(文春文庫)を古本屋で見かけたことがあって、へえ、(作家の)藤本さんにはこんな趣味もあったのかぁ、などと勘違いしたことがあったっけ。
豊田四郎『東京夜話』(1961,東宝)を観た。東京映画製作*1富田常雄の『ひょっとこ』が「原作」ということになっているが、内容はかなり異なっているようだ。
渋谷のバー「ケルン」にひとりの学生=伸一(山崎努)がやって来る。彼はすぐにバーテンダーとして採用されるのだが、マダムの仙子(淡島千景)は、それが自分の子であることを知らない*2。仙子には「パパ」がいて、それが伸一の父親、立石良作(芥川比呂志)であった。立石家はいわゆる「斜陽華族」で、高輪の屋敷が唯一の財産である。この屋敷をめぐって、“醜い”争いが展開されるのであるが、だからといってこの映画がドロドロとした人間関係だけを描いているというわけでは決してなく、むしろコミカルな部分が多い。
「金の亡者」たる仙子は、銀座に自分の店を持つことを夢みているのだが、店の立ち退き問題にも巻き込まれ、金策に必死だ。彼女はさらに、権利金のために高輪の屋敷まで欲するのだが、良作はきっぱりと断る。しかし、伸一は屋敷を勝手に売り払ってしまっていた。ところがラスト間際、その屋敷は猛火に包まれてしまう…。
仙子よりも、ブルジョワジーの父に反撥する伸一よりも、ドライなマリイ(団令子)よりも、はるかに人生を達観しているのが良作である。良作によって、仙子も伸一もマリイもラストで救われるのであるから。

良作「ねえ、伸一。お互いに人間の誇りだけは持ちたいもんだね。現実を生き抜いていくということは、現実にへつらってみじめな生き方をすることではないと思う」

それにしても贅沢な映画である。脇を固めるのが、乙羽信子(ゆかり)、岸田今日子(らん子)、丹波哲郎(二郎)、中村伸郎(恭助)、松村達雄(尾松)、フランキー堺(健ちゃん)、有島一郎(晴海)、森繁久彌(宗田)…という豪華さ。学生運動に挫折して自殺する加田という学生も出てくるのだが、彼に扮しているのは高橋昌也。この加田を描く部分は、やや感傷的になってしまっているのだが、まあ「時代」のなせる業なのだろう。
ところでこの作品は、カメラのパンが少ないのでどこか奇異に思われるかもしれないが、セット撮影でない部分―たとえば、冒頭でフォルクスワーゲンが街なかを疾走するシークェンスの素晴らしさには唸らされる(撮影は玉井正夫)。はじめは車がフレームインしてフレームアウトする直前までのカット、次にやや近い距離からのカットを挟み、ふたたび離れて車がフレームアウトするまでを捉える。そして、小路に入って車から降り立つのが山崎努。この冒頭部からして、作品にすっかり引き込まれてしまう。
山崎は、この作品での熱演によって『天国と地獄』の準主役に抜擢された、という話をどこかで聞いたことがあるのだが、それも宜なるかな

*1:百作品達成記念映画であるらしい。

*2:しかも彼がバーにやって来たことには、別の目的があった。