菊池寛、雷蔵

晴れ。体調悪し。
とてつもない疲労感におそわれる。肩が重い。
かといって眠気が全くなく、のんべんだらりと日を送るのもシャクなので、午まではとりあえず読書などして過し、午後に島耕二『末は博士か大臣か』(1963,大映)を観る。菊池寛の生涯を描いた、評伝映画というか伝記映画のオモムキのある作品で、またもフランキー堺主演(菊池寛を演ずる)。二日つづけて彼の主演映画を観たことになるのだが、べつにそれを意識したワケではない。偶々手許にあったから観たに過ぎない。
実在の人物がたくさん出て来るのが楽しい。例えば、滝田樗陰(谷謙一)、大谷竹次郎(見明凡太朗)、芥川龍之介仲谷昇)、小島政二郎(石黒三郎)、千葉亀雄(高松英郎)、夏目漱石(北原義郎)、久米政雄(早川雄三)、綾部健太郎船越英二)……といった顔ぶれ(丸括弧内は役者名)。
愉快なシーンもあるが、菊池(フランキー)と綾部(船越)の友情物語が内容の中心を占めている。「父帰る」の初演シーンは少しくどくないか、と思ったが、終ってみると、そうでもなかったことに気づいた。フランキー菊池も、意外と〈ハマり役〉だった。
雷蔵好み (集英社文庫)
村松友視雷蔵好み』(集英社文庫)読了。第一・二章、八章あたりは、村松氏が自分を語るように雷蔵を語り、雷蔵を語るように自分を語るので、ぼうっとしていると、何処までが著者自身の話か分らなくなってしまう。併しそれは村松氏の目論みであったろう。
圧巻は、「エピローグ 雷蔵好み」だが(それにしても、雷蔵が「改名魔」だとは知らなかった)、第四章の「自分が、一般の人々に向って言っているセリフの“きれいごと”を、どこかで照れて、うしろめたく感じているようなセンスが、雷蔵という人にはあるという気がする」(p.75)などという洞察にはハッとさせられた。また、勝新太郎雷蔵のライバルとしての交流、鮮やかなコントラストにも言及している。勝新雷蔵の関係については、村松友視『ライバルを探せ!―対立構造のすすめ』(生活人新書)にも描かれている。
雷蔵雷蔵を語る』(朝日文庫)を再読したいが、気力が出ず。そう云えば最近、黒鉄ヒロシとペリー荻野の共著で『伝説日本チャンバラ狂』(集英社)というのが出て、これは立読みしたのだが、雷蔵眠狂四郎)の章が簡にして要を得ているのに三嘆したものであった。ラストのコマだったかで、「雷蔵=千手観音」説が開陳されていて面白かった。
夜になり発熱。三十八度台。午前中の疲労感はその徴候だったか。早く寝る。