寒月雑話

雨。世間は祝賀ムードなのに、私にとっては散々な一日だった。最後の最後に、そんなオチが待っていようとは。何なのだ、一体。一昨日の「サプライズ企画」が、夢のようである。ああ時間よもどれ……。
梵雲庵雑話 (岩波文庫)
こんなときは読書に限る。淡島寒月『梵雲庵雑話』(岩波文庫)を半分ほど読む。何度も読んだエセーもあるのだけれど。「江戸の花見というのは京阪地方のそれよりも、ずっと新しいことです。何しろ、江戸桜が隅田川に始めて植えられたのは正保の頃ですからね」(p.75)。「正月の江戸の空は殆んど凧で満たされたといってもいい位で、それがブンブン唸っている」(p.91)。「江戸でかるやき屋というものは、先ず浅草誓願寺門前樽荷屋九兵衛、これは柳樽にも『軽焼を買いに他宗の通りぬけ』とあって有名なものであった」(p.122)。そう語る寒月自身は、しかし江戸の人間ではない。数えで十のときに、「御一新」を迎えたからである。そんなわけで、しばしば「江戸趣味の人間」と評される。だが、寒月はそれを嫌っていた。「人はよく私を江戸趣味の人間であるようにいっているが、決して単なる江戸趣味の小天地に跼蹐しているものではない。私は日常応接する森羅万象に親しみを感じ、これを愛玩しては、ただこの中にプレイしているのだと思っている」(p.77)。アメリカに強烈な憧れをいだく一方、世界各国のおもちゃと戯れ、西鶴を耽読する寒月ならではの答えである。
関東大震災によって蔵書が灰燼に帰した、という有名なエピソードも何度となく語られている。