前回の記事で引用した室鳩巣『駿臺雜話』は、享保十七(1732)年に成立したものであるが、この(確か)再版本を、四天王寺の古本市だったかで端本で拾ったことがある。しかし廉価だったこともあって虫損がそれなりにひどく、披くたびにパリパリと音がするのでそのうち披かぬようになってしまい、いまは実家の書庫に眠っている。
それで『駿臺雜話』を参照する際には、森銑三の校訂にかかる岩波文庫本(1988第6刷。1936第1刷)を読むことにしている。
ちなみに森の『讀書日記』(出版科學總合研究所1981)は、残念なことに、岩波文庫本『駿臺雜話』の出た昭和十一(1936)年の記述を丸ごと缺いているが、同書中には『駿臺雜話』が、少なくとも二箇所出てくる。
まず、その昭和九年二月四日條、
夜駿臺雜話を讀む。われらにはやはり事實を敍したる條々が面白し。「結解の何がし」「二人の乞兒」など、無名の人々の佳話嘉行を書ける、殊によし。將軍と老僧との問答、板倉重宗の「あれ周防こそ通らるれ」の條など、鳩巣の人の言を文語に寫すことの巧なる、敬服するに堪へたり。この種の文の技倆に於て、鳩巣は白石の下にあらず。(p.80)
次に、同年同月十七日條、
鳩巣の駿臺隨筆(ママ)五卷を讀む。鳩巣が少年時に彦根の岡本半助宣就より兵學を授かりしなどいふこと珍し。(p.83)
「『あれ周防こそ通らるれ』の條」というのは、巻四「燈臺もと暗し」のことだろう。しかし、「鳩巣が少年時に彦根の岡本半助宣就より兵學を授かりしなどいふこと」がどの話をさすのか分らない。井伊掃部頭直孝は出て来る*1のだけれど…。
『駿臺雜話』は断定調が多く、たとえば「神道を交へたる闇齋學」(森銑三「解題」)*2や古文辞学派等を排撃したり(卷一「異説まちまち」、卷五「作文は讀書にあり」など)、伊勢物語や源氏物語を「淫亂を導く媒(なかだち)」「冗長にて醜惡なる物」と評したり(卷四「つれづれ草」)するなど、かなりの「毒」を含んでいるが、森のいうように無名氏の佳話も多く、引用したい誘惑にかられるところもある。言葉に関しても一家言あるし、話題が詩評に及ぶ(卷五「詩文の評品」「一日の澤」)こともあって、なかなか面白い。
かつて新村出は、同書について「本来随筆というよりはむしろエッセイに近い名著として、室鳩巣の『駿台雑話』のごときは、私の愛誦措くあたわざるものである」(「随筆の名義」『語源をさぐる』旺文社文庫1981:268)、と書いていたことがある。
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森の『讀書日記』は、以前ここで紹介したことが有るが、その他にも興味深い記述が色々出て来る。過日拾い読みしていて気になったのが次の記述だ。
富山房(ママ)の市村宏氏來訪、近く出でんとする百科文庫の計畫につきて聽くところあり。山海經などいふものを出して見たしといはる*3、わが意を得たり。十部に一二部は現代離れのした型破りの書物をも出して欲し。どこの叢書も極まりきつたるもののみ出すこと、甚だ以て面白からず。(昭和十二年十月二十七日、p.234)
「冨山房百科文庫」はこの翌年の六月に創刊されるが、昭和十六年八月までに約一二〇冊が刊行される。しかし戦争によって刊行が中断され、約三十年後の昭和五十二年四月に、「冨山房百科文庫(新書判)」として新たに発刊されることになった。
そして、「新生」百科文庫の発刊時に文章を寄せた文化人六人のうちの一人が、森銑三であった*4(以上、植田康夫『出版の冒険者たち。―活字を愛した者たちのドラマ』水曜社2016:245-46参照)。翌年には森の『おらんだ正月』がラインナップに加わることとなる。
なお植田氏によれば、
この(戦前版の冨山房百科)文庫は、ふつうの文庫本に比べて少し縦長で新書判のサイズであったが、契沖著、武田祐吉校註『萬葉代匠記』一、川田順校註『全註金槐和歌集』(略)などが発刊当初の書目である。(p.245)
ということだが、私の持っている『萬葉代匠記』一〜四巻(全五巻とか)は、全て一般的な文庫本の判型である。しかし、戦前版の永井荷風『改訂 下谷叢話』や中島孤島譯『新譯 西遊記』は新書判になっている。途中でサイズが変わったのだろうか。
百科文庫は、戦前版・戦後版を含めて三十冊ほど持っている。今でもよく憶えているが、十三年前の春に、『完本 茶話(上中下)』を買ったのが最初だった。その後、目にする度に大体買っていて、大阪のTでエズラ・パウンド/沢崎順之助訳『詩学入門』を100円で釣り上げたときは狂喜したものであった。
また、ここでは、寿岳文章/布川角左衛門編『書物とともに』について書いたことがある。
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森銑三といえば、最近、中野三敏「森銑三翁」(『師恩―忘れ得ぬ江戸文芸研究者』岩波書店2016)をおもしろく読んだ。
森銑三翁は齢の割には随分と背の高い人で、何時もステッキ代りのコーモリ傘を携えておられた。一寸カン高い御声で「ス」音を「ツ」と発音されたように思うが、これは三河弁だったものか。(p.27)*5

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