『誤植読本』など

 高橋輝次編著『増補版 誤植読本』(ちくま文庫)を読んでいる。装画は、『関西古本探検』(右文書院)や『ぼくの古本探検記』(大散歩通信社)等と同じく、林哲夫さんによる。
 この増補版は、『誤植読本』(東京書籍2000)に六篇を増補したもの。東京書籍版は、気になりながらも(いつの間にか品切れとなっていたせいもあり)読んでいなかった。眺めたことがあるだけ。
 まだ途中までしか読んでいないが、フリガナに気になるところが何点かある。中村真一郎「誤植の話」の「室生犀星むろおさいせい)」(p.16)。「むろう‐」のほうが見慣れているので、すこし違和感がある。またこれはフリガナではないが、「大恥を掻きそこなった」(p.17)は、「大恥を掻きそうになった」でよいだろう。「大恥」はかかずに済むに越したことはないからだ。
 稲垣達郎「誤記、誤植、校訂」には、自著『角鹿の蟹』が出て来るが、「角鹿」に「かづの」という読み仮名(p.23)。正しくは「つぬが」(敦賀の古名)だが、なぜこうなったのか、分らない*1

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 『誤植読本』オリジナルの中山信如「屁の街」(pp.52-56)は、泉麻人「屁と庇」の直後に収められているのがおかしかったが、「薄墨の桜」が「薄黒の桜」になっていたり、「屍の街」が「屁の街」になっていたりした、というエピソードになんとなく既読感があった。あとで確認してみると、おもったとおりで、中山信如『古本屋おやじ―観た、読んだ、書いた』(ちくま文庫2002)の「日日不安」にも出て来る話なのだった。当該箇所を引いておく。

 四月某日 「明治古典会通信」、「ふぐるまブレティン」など、自分が担当する業界内雑誌の編集作業が重なり、日がな二階で原稿の添削。これがなかなかの怪作ぞろいで、“二者卓越”(なんだ!?)、“薄黒の桜”(きたなそう……)、“落丁を喰う”(腹いっぱい!?)なんて、活字文化の一翼をになう古本屋とはとても思えぬ用字用語が、ぞろぞろ飛び出す。これでは、近頃の学生の国語力の低下を示す典型として新聞紙面をにぎわす、
 こんぜんいったい→婚前一体(渾然一体)
 好々爺→すきすきじじい(こうこうや)
 □肉□食→焼肉定食(弱肉強食)
なんて読み書きテストの珍解答と、なんらかわりがない。(以下略)
 四月某日 明治古典会特選市目録抄刷上り。念のため一瞥してみると、あんなに目をこらして校正したつもりなのに、とんでもない誤植を発見。野田宇太郎の『日本耽美派の誕生』が『日本恥美派の誕生』。これは文字通り、恥づ(ママ)かしかった。かつてさる店の目録に、大田洋子の『屁の街』とあり、ずいぶんクサそうな街だと笑ったことがあったが、こうなると、あまり人のことも笑えまい。ああ。(pp.195-96)

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 誤植をめぐる話といえば、加藤康司(やすし)の一連の著作がおもしろい。加藤は、名古屋新聞社(のち中部日本新聞社、現・中日新聞社)社員、朝日新聞校閲部次長、同出版校閲部長を経て、退社後に文藝春秋新社(当時)嘱託となった人。今でも古本屋でときどき著作を見かける。
 わたしが持っているのは、『新聞づくり三十年 赤えんぴつ』(虎書房1956)、『新聞づくり三十年 続・赤えんぴつ』(虎書房1957)*2、『校正おそるべし』(有紀書房1959)*3、『辞書の話』(中公新書1976)の四冊。いずれも豊富なエピソードが面白く、たとえば獅子文六が、『自由学校』の新聞連載時に、「イカレ・ンチ」のつもりで書いたのが、「イカレ・ンチ」と拾われてそのまま広まってしまった、というのも『赤えんぴつ』で知ったことだ(p.184)。
 『校正おそるべし』なる書名が、櫻痴福地源一郎の『懷往事談』に由来するということは、『赤えんぴつ』pp.234-35にも書かれているが、最近、「スーパー源氏」のリアル書店で『懷往事談 附新聞紙實歴』(改造文庫1941)を拾ったので確かめてみる*4と、正確には、「新聞紙實歴」の「新聞記者并校正の事」に出て来る話なのであった。これも引いておこう。

余は一日曾て校正の惡しきが腹立しき餘りに校正可畏焉知硃筆之不知墨也四囘五囘而無訂焉斯亦不足恃也已と紙に大書して校正擔當者が机を並べたる傍の壁に貼付け置きたれども彼輩は一向平氣なるものなりき。其後馬琴が著書を閲したるに其緒言の中にも淨書と校正の疎漏なるを憤りて彼また夢にだも草稿を見ずと書たるを見たり、左れば誰も校正には困つたるものと思はれたり、但し今日の諸新聞雜誌の校正は一體に進みて往時に比ぶれば稍々宜しき方に向ひたるが如し。(p.200)

古本屋おやじ―観た、読んだ、書いた (ちくま文庫)

古本屋おやじ―観た、読んだ、書いた (ちくま文庫)

*1:「鹿角」と取り違えたのだろうが、どういう経緯で? 編集ミス?

*2:「『赤えんぴつ』正誤表」(pp.197-236)あり。

*3:「『赤えんぴつ』正誤表」(pp.252-55)あり。

*4:後で知ったが、「近デジ」でも見られるのだな。