ぢいさんの話

◆いま借りて読んでいる「大人の本棚」の一冊、小山清『小さな町』(みすず書房,2006)所収の「をじさんの話」に、「そして私達が配達から帰つてくる頃には、ひと眠りして起きたぢいさんが、既に店の掃除をすましてゐるのである」(p.36)、とあった。この「ぢいさん」は「をぢさん」の誤りだろうと思って、小山清『日日の麵麭・風貌』(講談社文芸文庫,2005)所収の「おじさんの話」で確かめてみると、やはり、「おじさん」である(p.97)。いずれも筑摩書房刊『小山清全集』(増補新装版,1999)を底本としているらしいが、「文字遣い、ルビ等は底本通りとし」た、というみすず書房版と、「本文中明らかな誤植と思われる箇所は正し」た、という文芸文庫版のスタンスの違いに由来するものなのだろうか。
なお、みすず書房版には、同じ「をじさんの話」に、「凡帳面に帽子を被つて出かけていく」(p.40)というのもある。はてさて、筑摩書房刊の増補新装版がいいかげんなのか、「大人の本棚」がいいかげんなのか、一体どっちなのだろう。ここはひとつ、筑摩書房版を見てみるしかあるまい。
とまあ、誤植にたいしてやや敏感になっているのは、昨日読んでいた某書が「段玉裁」を「殷玉裁」と誤り、また、「侯」とあるべきところを「候」に作っていた……というせいもある。いずれも、字形の類似による誤りである。
坪内祐三まぼろしの大阪』(ぴあ,2004)所収の対談(谷沢永一×坪内祐三,pp.63-93)に、「大阪の洒落言葉」というのが有る。ちょっと引いておこう。

谷沢 (略)それに比べると、例えば大阪の洒落言葉は全部相手をたたく言葉(笑)。『牛のおいど』っていうのはつまり、モーの尻。「物知り」の蔑み言葉なんです。「あいつ物知りぶりやがって」っていう。
(中略)
谷沢 (略)『河童の川流れ』っていう言葉は、昔は川に杭を打ってある。で、河童が流されて杭にかかっている。その「杭にかかる」と「食いにかかる」をかけているわけです。物をぎょうさん食う人あるでしょ。その人のことを皮肉るんですよ。
坪内 あと、谷沢さんが書かれたことで僕が知ったのは、うどんやの……何でしたっけ、「ゆうだけ」ってやつ。
谷沢 『うどんやの釜』。釜ちゅうのは、物を茹でるためだけにあるわけでしょう。うどんやの釜には、湯しか入ってない。だから湯だけ。「言(ゆ)うだけ」。少し前に大阪でよく言いましたよ、日本社会党は『うどんやの釜』って。大阪は一杯飲みながら、いちいち同僚にそんなことを言う(笑)。(pp.76-77)

この対談を思い出したのは、このあいだの酒の席で、某さんからこのテのことばを沢山教えて頂いたからなのである。たとえば「雨降りの太鼓」は「どんならん」。「赤子のしょん便」は「ややこしい」。「黒犬のしっぽ」は「おもしろない(尾も白ない)」で、「春の夕暮れ」は「ケチ(くれそうでくれん)」。「ヘタな大工」は「呑み(鑿)つぶす」で、「やもめの行水」は「勝手に言う(湯)とれ」。聞いたことのあるものもあったが、知らないものも沢山あった。
◆「黒犬のしっぽ」、どこかで聞いたような表現だと思っていたら、牧村史陽編『大阪ことば事典』(講談社学術文庫1984)の巻末附録「大阪のシャレ言葉」の中に入っていたのだった。「黒犬のおいどで、尾も白うない」(p.758)。そうだ、これだこれだ。「雨降りの太鼓」なども、ちゃんとあった。
前田勇の『浪華しゃれことば』は、持っていない。