三木左助?

◆『大阪春秋』秋号(新風書房,特集:「近代大阪の出版事情」)の本文中ではくわしく触れられることがないが、北久宝寺町の「三木左助」(p.19)は、屋号としても「三木佐助」が普通ではないのか。
小田光雄『書店の近代――本が輝いていた時代』(平凡社新書)に、『玉淵叢書』(複刻版の『明治出版史話』ゆまに書房、を参照したとか)を手がかりとして、三木佐助とその出版事業について言及した章あり(「明治維新前後の書店」,pp.26-32)。
また『大阪春秋』に、「大阪は読書力の低い幼稚な土地といわれ、明治初期の大阪で売れた本としては、いろは字引・偏画引(漢和)・実語教・商売往来・塵功(本文ママ)記(珠算本)・用文章(木版本)・市井の出来事記事雑記等の類であり、学者肌の上流社会の子弟の間で読まれる『日本外史』『論語』等とは異なって、一般人は実語教をもって金科玉条としていた(前出『上方の出版と文化』)」(吉田永宏「明治・大正の大阪の出版」,p.26)とあるが、河内屋は創業当初(江戸中期)『日本外史』も出版していたらしい。これはよく売れたのだろうか。
ところで三木が河内屋へ丁稚奉公に出た頃、河内屋佐助は貸本屋を専業で営んでいたというが(小田前掲p.27)、河内屋がそもそも出版事業から貸本屋専業に移行したのはいつ頃だろうか。
◆最近目についた誤植の話題二、三。大阪毎日新聞社校正部編『文字と鬪ふ』(大阪毎日新聞社東京日日新聞社)p.68 の「玄海 【校正】文字ノ誤ヲ比ベ正スコト」の「玄海」は、単なる『言海』の誤植? ワザ? 語釈も一致しているし…。『校正の研究』にも入っているの?
小林芳規博士喜寿記念 国語学論集』(汲古書院)所収、田村夏紀氏の論文はタイトルから注まで悉皆『干禄辞書』で統一されている。田村氏のコダワリのあらわれなのかしらと推察してしまうほどの“徹底”ぶりなのだが、しかし、それ以前に書かれた『国語文字史の研究 八』(和泉書院)所収論文では、ちゃんと『干禄字書』に統一されている。やはり編集上のミスか。