柳北『航西日乗』の文庫化を寿ぐ

漢字百話 (中公新書 (500))

漢字百話 (中公新書 (500))

 白川静氏が『漢字百話』(中公新書)に、

江戸戯作の字遊びは、寺門静軒の『江戸繁昌記』、また下って成島柳北の『柳橋新誌』に著しい。(略)旧幕臣としていま「天地間の無用人」と称する柳北は、妓樓で狼藉する武弁者を罵って、女中に「真に是れ被髪夷人(ザンギリトウジン)、攘ふべし(ペケ)攘ふべし(ペケ)」といわせている。その戯文のうちに、屈折した抗世の精神がかくされているのである。
(pp.226-27)

と書くその文章は、『柳橋新誌』(岩波文庫,31-117-1)の「解題」(塩田良平)も参照したふしがあるのだけれども、その柳北作品の初文庫化から実に六十九年、柳北歿後百二十五年の時を経て、『航西日乗』が岩波文庫に入った(底本は初出の「花月新誌」)。

 『航西日乗』は、栗本鋤雲の『暁窓追録』と併せて書名も『幕末維新パリ見聞記』としてあるが、通し番号「31-117-2」であるから、あえて柳北二冊目の文庫化だと言ってしまおう。
新潮選書 パリの日本人

新潮選書 パリの日本人

 時をおなじくして、鹿島茂氏の「遊歩人」「波」連載記事が書籍化、『パリの日本人』(新潮新書)としてまとめられた。その一章に、「江戸最後の粋人・成島柳北」が有る。こちらも『航西日乗』を中心に述べたものだが*1、引用元は『明治文化全集』(明治文化研究会)となっており、岩波文庫版と若干異なる部分もある。
 たとえば明治五年十一月十一日、岩波文庫版「窩子を多しとす」とあるところ、鹿島氏の引用では「窩子ヲ多シトス」となっているし、また「病者を見て」が「病者ヲ見テ」(同六年二月二十日)、「其の席価フランクなり」は「其の席価『フランク』ナリ」(同六年三月四日)となっている*2等、間々相違が見られる。何れも文脈から考えて前者が正しいと考えられるが、これらは岩波文庫版が「底本の明らかな誤記誤植」を「訂した」ものであろうか。
 ついでにいうと、岩波文庫には改変の度合が激しいものとそうでないものとがあり、あるものは「飯す」(例:『幕末維新パリ見聞記』)となり、またあるものは「飰す」(例:永井荷風『摘録 断腸亭日乗』)となる等、編者によって統一されていないのが少々残念、もっとも文庫版は原文として引用すべきものではないかも知れないが。
 そう云えば、おもい出した。未だによく解せぬのは、朝永振一郎「滞独日記」。『量子力学と私』(岩波文庫)所収の「滞独日記(抄)」と、『わが師わが友』(講談社学術文庫)所収の「滞独日記」とが文言において相当異なるのである。これは全集収録の際に日記を書き改めたことに由来するものなのかどうか。岩波文庫には全集をテクストにしたとあるが、講談社学術文庫は底本について一言しないため、よく分らないのである。
 閑話休題(どうでもよろし)――。
明治人物閑話 (中公文庫)

明治人物閑話 (中公文庫)

 さて森銑三『明治人物閑話』(中公文庫)所収「成島柳北の人物」にも、『航西日乗』からの引用、というか紹介がある(旧版p.68)。森は単に「柳北の紀行にいう」とのみ記すが、これは『航西日乗』明治六年一月十九日条をさす。そこには、柳北が「旧識シアノアン氏」の邸宅をはじめて訪うたことが記されている。その際、書斎にはかつて柳北がシャノアンに贈った日本刀や『江戸名所図会』(岩波文庫版では『〜図絵』となっている)が置いてあった、という。
 旧誼をあたためる情景が森の印象に残ったのに加えて、『江戸名所図会』が出て来るために、ここはぜひとも触れておきたかったのであろう。
 ところで森は、「「新柳情譜」は、成島柳北の著作中の第一に推すべきものだと思う。私は以前から、一人極めにそう極めている」(「成島柳北と名妓たち」、同前p.81)と書いており、さらにはこれを「明治年間を通じての名著」(同p.89)とまで言っている。そして、その埋もれていた名著が、肥田晧三氏の尽力によって刊行されたの(1971年)を一大快事としているのである(そのうちの数章を書下しで引用している)。
 この「新柳情譜」について、森は『史伝閑歩』(中公文庫)で再説している。

 柳北は、『朝野新聞』に筆を執る傍ら、『花月新誌』という趣味中心の小雑誌を興して、歿するまで続けた。その『花月新誌』に「新柳艶(ママ)譜」というを連載して、新橋と柳橋との名のある芸妓を、一人ずつ組み合わせて月旦している。それが実に立派な作品を成して居り、私などは『柳橋新誌』や『京猫一斑』以上に、それを買うのであるが、そうしたよいものがあるのに、世人の顧みるところとはなっていないのは、どういうものかといいたくなる。先年肥田晧三さんが作って、知友に頒たれた私刊年はあるが、それは広く流布しているわけではない。その「新柳艶(ママ)譜」なども、どこかから出し直したいものであるが、さようなもののあることすらも、一向に知られずにいる状態である。(「随筆というもの」p.199)

 「新柳情譜」は古書価が高騰している。この機会に、柳北三度目の岩波文庫入り、ということにはならないのだろうか。

*1:「ゲテ座」の竣工年次を示す(p.49)など、『幕末維新パリ見聞記』の注釈で触れられていないことも書いてあるので、どちらから読んでも愉しめる。

*2:ちょっと見にくいが、前者は漢字「ニ」、後者はカタカナ「ニ」という相違である。