和田誠『快盗ルビイ』(1988,ビクター=サンダンス・カンパニー)を観た。同年の「キネ旬」ベスト10の作品。
同じく和田による『真夜中まで』(1999)を観たときにも思ったが、監督の「映画愛」がストレートに伝わってくる作品だ。ワイルダー風であり、また、「巻き込まれ型」という意味でヒッチコック風でもあり、なかなかしゃれている。小泉今日子の魅力がはじける正統派の「アイドル映画」だけれども、そのスタイルは一種の「肉づけ」にすぎず、根本のところでは、映画好きが自分の好きなように、あくまで愉しんで撮っているふうなところに惹かれる。
原作はヘンリー・スレッサーの『快盗ルビイ・マーチンスン』という連作小説。語り手ボビイと、その従兄で天才的な犯罪者・ルビイとが、数々の奇想天外な犯罪を計画するも、ちょっとした綻びによってどれもこれも失敗に終るといったお話。
スレッサーといえば、ヒッチコックがその作品の多くを映像化している。劇中、加藤留美=快盗ルビイ(小泉今日子)の蔵書の一部が映るのだが、そのなかに、チャンドラーの『湖中の女』や山田宏一『映画的なあまりに映画的な―美女と犯罪』(単行本)などにまじって、スレッサーの『うまい犯罪、しゃれた殺人』(ポケミス版)が見えるのは、自己言及的でおもしろい。ルビイはこういう小説を夜な夜な読んでいて、そこから犯罪のヒントを得ているのだろう、などと想像すると愉しい。
原作は主人公が男だが、映画では加藤留美=ルビイという女の子に置き換えられている。和田の述懐によると、「うんと若い頃に「ヒッチコック・マガジン」で読んだ読切短篇シリーズの「快盗ルビイ・マーチンスン」」を「六〇年にハヤカワ・ミステリとして出版された時にすぐ買っ」たのだとかで、「短篇集だけど連作だから一本につなげることもできるなあと」考えたというが(和田誠『シネマ今昔問答・望郷篇』新書館2005:p.237)、「「快盗ルビイ」の主役を女性にしたのは(略)直接の影響は実は「虹を掴む男」なの」だ、という(同p.238)。
ジェイムズ・サーバーの短篇集『虹をつかむ男』は、鳴海四郎訳が「ハヤカワepi文庫」に入っている(2014年刊)が、これはもともと早川書房の「異色作家短篇集」に収められていた。表題の短篇は、しがない中年男が妄想のなかでは英雄となって目覚ましい活躍をするという、古くさい言い方だが「男のロマン」を体現したような作品。ついでにいうと、『快盗ルビイ』の劇中には、ルビイの蔵書として、「異色作家短篇集」のうちの一冊、ロバート・ブロック/小笠原豊樹訳『血は冷たく流れる』も映り込んでいる。
さて和田が、ここで「直接の影響」を受けた作品として挙げているのは、そのサーバーの原作ではなく、ノーマン・Z・マクロードの映画版(1947年製作)をさす*1。主役の中年男、ウォルター・ミティは映画では出版社の校正係ということになっており、ダニー・ケイが演じている。彼の妄想の世界=白昼夢にロザリンド(ヴァージニア・メイヨ)がいつも登場するのだが――ロザリンドはサーバーの原作には出て来ない――、その女性が現実の世界に現れることで、ウォルターは宝石の争奪戦に否応なく巻き込まれてしまう。ジェラール・フィリップ主演の名作、ルネ・クレール『夜ごとの美女』(1952)には、この『虹を掴む男』を意識したと思しきところが多分にある。
『虹を掴む男』のロザリンドは劇中では犯罪者ではないが、その小悪魔的魅力が『快盗ルビイ』の小泉の役柄に投影されている。ウォルターは母親との二人暮らし――こういう細かな設定も原作にはない――、ルビイの相棒となる林徹=真田広之も、やはり水野久美扮する母親との二人暮らしで、いわゆる「マザコン」という位置づけ。しかしラストで、それまでルビイが提案していた犯罪計画を、初めて徹の方から提案することになる。これは母親依存からの独立を意味しているのだろうが、『虹を掴む男』のウォルターも最後に母親から自立するという筋立てで、そのような点でも、『快盗ルビイ』は同作を踏襲しているといえる。
ところで真田は、『柳生一族の陰謀』(1978)しかり『里見八犬伝』(1983)しかり、それまでは二枚目のアクション俳優としての活躍が目立っていたが、『快盗ルビイ』では三枚目を巧く演じている。それはまさに、巧く、というほかない。和田は、真田に三枚目を演じさせることを申しわけなく思っていたというが、「ぼくが「キャメラの前で(自転車ごと)転んでカラカラ回る車輪が画面いっぱいになるように」って注文すると(真田が)その通りやってくれる」(和田前掲p.241)、「ぼくが現場で思いついて「仰向きで寝ている姿勢から瞬時に正座できる?」ってきいてやって貰ったんですが、見事に決まりましたね」(同p.242)とも述べている。そもそもずば抜けた運動神経がないことには、このような藝当ができるはずもない。
和田はさらに、キャスティングを決めた上で脚本を書き進めたとも語っており、それゆえに、めいめいが所を得た動きをしている。小泉、真田はもとより、たとえば輸入雑貨店主役の天本英世。見るからに怪しげで偏屈そうなのだが、実は善人。小泉に、「あの顔見たでしょ。悪人の顔よ。陰でだれかいじめたりしてるわ。それとも、夜中に怪しい薬を発明してるのよ」と、“楽屋落ち”めいたせりふを言わせるのだから可笑しい。ちなみに和田は、「高品格さんも出て欲しかったけど、ぴったりの役がなかった」(同p.243)とも振り返っている(高品は1994年歿)。
小道具やセットにも注目したい。まずおもしろく思ったのが、銃を構えたハンフリー・ボガードの巨大なパネル。林母子の住むマンションの最上階にルビイが引っ越してくる。クレーンがパネルを上階に引き上げている。それが母子の部屋の窓越しにゆらゆらと見える。まるで白昼夢を見ているかのごとく、徹がポカンとそれを見詰めている。母親が、徹の様子のおかしさに気づいたころには、パネルはすっかり引き上げられてしまっている。この絶妙さ。その後、ルビイと徹とが「密談」するのをアオリで撮る場面があり、ボガードの構える銃が二人に突きつけられているように映っているのもおもしろい。ほかに、細かいけれども、冒頭で徹の枕許に置いてある角川文庫版(旧版)の星新一『ごたごた気流』。所収の「重なった情景」などは、これから徹の身の回りに起こる出来事を暗示しているようでもある。しかも旧版の装釘・挿画は、和田誠自身が手がけているのだ。この遊び心がまたおもしろい。
セットも随所に工夫が見られて、和田は後に「星空を豆電球吊って作った」(前掲p.250)、「稲妻は照明部の助手さん担当で、アークライトを光らせ」た(p.309)、などと語っている。マンション屋上の夕景をつくり出すのにも色々と苦労があったらしいが、ルビイと徹とが屋上で語り合うシーンは、後の名作、相米慎二『東京上空いらっしゃいませ』(1990)にもつながるような美しい場面である。
クレジットタイトルでは、二人が次の犯罪について愉しげに語りあう場面の長回しが続く。その果てないおしゃべりが、いつまでもいつまでも続いてほしい、と願わずにはいられない。
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*1:『虹をつかむ男』は、2013年にも『LIFE!』というタイトルで映画化されている。もっとも、こちらも原作とはかなり異なる。