本との出会い

 本というものの面白さの一つは、数カ月(ときには一年以上)かけてやっとのことで読み了える大部の作品よりも、片々たる小册の方に心を鷲づかみにされる瞬間がある、ということであろう。あるいはまた、大枚はたいて購った本ではなく、古書肆の店頭百均に転がっていた本こそが生涯の一册となり得る場合もある、ということだろう。
 そうしてそれは、読者の側では決して豫測できない。本との出会いはいつも唐突である。もっともそれには大きく二種類あって、一読ないし読後ただちに電撃に見舞われたような気持になることもあれば、後々ふりかえってみて、あの本との出会いがあったればこそだと深く感じ入ることもある。前者は即効性、後者は遅効性と取り敢えずは言えるだろうが、本質においてそれらは同じである。
 そのような本との出会いについて語ることは愉しいし、書かれた文章を読むのも実に愉しい。
 例えば吉川幸次郎は、ある本との出会いについて次のように記している。

 私が宣長を読みだしたのは、決して久しいことではない。昭和十三年の夏、関西には大水害があった。私は夙川の母の安否を案じ、食糧をもって見舞いに出かけた。家は濁水につかっていたけれども、母は無事であった。私は翌日京都に帰ることとし、阪急夙川駅前の小さな書店で、岩波文庫本「うひ山ぶみ」一冊をあがなった。水害を記念せんがためである。
 しかしこの半ば好奇心から購った小さな書物は、帰途の車中で、私を魅了した。宣長国学の方法は、すなわち私の中国研究の方法であった。そうして私が年来、私の方法の理論として考えていたものを、この書物ははっきりと説きつくしている。私は私の方法の誤っていなかったことを知り、百万の援軍を得た思いをすると共に、先きを越されたというくやしさをさえ感じたのであった。(「本居宣長―世界的日本人―」『詩文選』講談社文芸文庫1991所収:59-60*1

 ちなみに文中の「大水害」とは、谷崎潤一郎細雪』中巻(四~十)にも描かれた阪神地方の大水害をさす。とまれ、およそ本好きであれば、たれしも吉川の記述に心惹かれるところがあるのではなかろうか。
 吉川はこの後も、「私が宣長を知り、驚き、嘆服するに至ったのは、今からちょうど三十年前の昭和十三年、いわゆる関西の大水害に、夙川の母のすまいも水につかったのを見舞っての帰り、電車の中の時間をもてあましてはと、阪急駅前の小さな本屋の乏しい棚を物色して、数冊の岩波文庫の中から、「うひ山ぶみ」を、おおむねは好奇心からえらんだのを、読み、驚嘆したという、偶然の機会によること、かつて別の文章に書いたごとくである」(「鈴舎私淑言―宣長のために―」『本居宣長筑摩書房1977:p.5)と述べ、あるいはまた、「日本の十八世紀の「読書の学」に接しはじめたのは、中国のそれに接したのよりおそく、三十代になってからである。新刊が乏しい戦時中、水害にあった母を見舞っての帰り、宣長の「うひ山ふみ」を、電車の中の読書とすべく、駅前の本屋で買ったのを、さいしょのきっかけとすること、二三ど他の文章に書いた」(『読書の学』二十五、ちくま学芸文庫版2007:p.235)云々と、当時のことを幾度か振り返っているが、くりかえし言及するところをみると、当人にとってこの出会いは、それだけ深く印象に刻まれた出来事であったということに他ならない。
 歴史に「もし」を持ち出すのは無意味であることを承知の上でいうが、もしも吉川がそのとき宣長に出会っていなければ、吉川版『本居宣長』や『仁斎・徂徠・宣長』は書かれなかったであろうし、雄篇『読書の学』は、たとえ書かれていたとしても、いささかその魅力を減ずる作品となっていたであろう。かかる意味において、『うひ山ふみ』という小さな本との出会いは、吉川のその後の人生を確かに変えたのである。
 その吉川の著作に心を動かされたのが足立巻一だった。足立は次のように記している。

 わたしは『うひ山ぶみ』を学生のころから読んだといったけれど、言=事=心を説いたくだりの深い意味を悟っていたわけではなかった。それを知ったのは戦後のことで、それも吉川幸次郎先生によって教えられた。(「『うひ山ぶみ』逍遥」『人の世やちまた』編集工房ノア1985:p.250)

 わたしは吉川幸次郎先生の『本居宣長』によって、『うひ山ぶみ』ひいては宣長の世界についての理解を格段に深めることができた。それも先生が中国文学の碩学だったからこそ、それまでの宣長学者のだれもが触れなかった新しい宣長を照らし出し、それもきわめて格調の高い名文で表現されたのだと思う。余人は及ばない。(同前p.252)

 こうして本と本、人と人とが繋がってゆくこともまた、読書の醍醐味だといえる。
 さて、本との出会いを語った文章ということで、最近いたく感銘したのが、金井雄二『短編小説をひらく喜び』(港の人2019)であった。
 まずは劈頭、次のような力勁い文章に逢著して、大いに励まされた。

 「本は読まなければいけない」と断言しよう。「本は読んだほうがいい」とか「読まなくても生きていけるから読まない」とか、そうではなく、「本は読まなければいけない」のだ。ご飯も食べなくてはいけない。お風呂に入らなければいけない。排泄もしなければいけない。ならば、「本は読まなければいけない」のだ。(pp.13-14)

 著者は、主として若い人たちに向けてこの本をものしたようだが、どの章も、全世代の本好きたちを鼓舞することばに溢れている。「あとがき」には「岩波新書阿部昭の『短編小説礼讃』という名著があるが、それには遠く及ばない」(p.209)とあるけれど、これはいわば謙辞で、「読書の悦び」を自身の読書遍歴に重ね合わせつつ素直に衒いなく、なおかつ自在に語った本であるから、こちらとしても、読んでいてすこぶる気持がよい。
 それに触発されるところ多々あり、マラマッド「借金」や尾崎一雄「華燭の日」、阿部昭「自転車」などは、この本を読んだお蔭でゆっくり読む機会をえた。これらの短篇が「呼び水」となって、それからそれへと短篇集を手に取っている。
 その過程で、また心に残る出会いがあったのだが、それについて語るのは他日を期することとしたい。

本居宣長 (1977年)

本居宣長 (1977年)

読書の学 (ちくま学芸文庫)

読書の学 (ちくま学芸文庫)

人の世やちまた (1985年) (ノア叢書〈8〉)

人の世やちまた (1985年) (ノア叢書〈8〉)

短編小説をひらく喜び

短編小説をひらく喜び

*1:初出は昭和十六年十月「新風土」。