ツィマーマンのベートーヴェン

 昨年はベートーヴェン・イヤーであったが(生誕250年)、あいにくのコロナ禍で休日の外出もままならず、コンサートへは一度も行けなかった。岡田暁生氏は、「コンサートやライブが自粛されていた間、録音音楽ばかり聴いていたせいで逆に、生の音楽における背後のかすかなお客たちの気配やざわめきが、いかに音楽を生き生きと映えさせるための舞台背景であったか、改めて実感した」(『音楽の危機―《第九》が歌えなくなった日』中公新書2020:28-29)と書いており、これにはまったく同感であった。
 しかし「録音音楽」というのは、自分の好きなときに好きなだけ、居ながらにして何べんもくり返し聴けるという利点があるわけで、夕まぐれの曖昧な時間帯に、あるいは深夜の夢寐のうちに、アルバン・ベルク四重奏団による『ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第12番変ホ長調弦楽四重奏曲第16番ヘ長調』『ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第14番嬰ハ短調』(いずれもワーナークラシックス)を筆頭に、ベートーヴェンの楽曲を何度もくり返し聴けたのは、非常によい経験になり、また刺戟にもなった。
 EテレやBSなどでベートーヴェンの演奏会がかかるかどうかも缺かさずチェックしており、過去の名演が放送されると聞けば、きっと録画して、帰宅後のひとときにゆっくり聴いていた。
 今年に入ってからもなおその熱はさめやらぬ状態で、先月下旬には、NHKBSプレミアムで、ツィマーマン(p)、バーンスタイン&ウィーン・フィルによる「伝説の名演を再び! ツィマーマン*1が弾くベートーベンのピアノ協奏曲」という3本立てのシリーズが放送されたので(3番、4番、5番。いずれも1989年のライヴ収録)、こちらも録画し、それぞれ少くとも3回は通して聴いている。
 ツィマーマンと云えば、わたしは高校生の頃に、カラヤン&ベルリン・フィルカップリング盤『シューマングリーグ ピアノ協奏曲』(グラモフォン)がすっかり気に入り、愛聴していたことがあった(1981~82年録音)。この盤のシューマンの協奏曲については、青山通(青野泰史)氏が、

 とにもかくにも、まずツィマーマンのピアノに感嘆してしまう演奏だ。(略)ここでツィマーマンが高速で弾く八分音符の一つひとつは、くっきりと粒立ち、クリアで明晰な音色で響いてくる。やや遅めのスピードで入り、テンションを高めていく流れはみごとだ。(略)第1楽章は、とくにこの3つの木管楽器*2がピアノとよくからむのだが、ベルリン・フィルの希代の名人たちからツィマーマンへのメロディの橋渡しは、シューマンのピアノ協奏曲史上でもベストの1枚に挙げられるだろう。(『ウルトラセブンが「音楽」を教えてくれた』新潮文庫2020:109-10)

と評している。
 しかし、ツィマーマンによる「ベートーヴェンの」協奏曲は、実をいうと、これまでに一度も聴いたことがなかった。
 わたしがベートーヴェンの音楽に衝撃を受けたのは交響曲第3番「英雄」で、これを初めて聴いたのは父の持っていたカセットテープ、ハンス・シュミット=イッセルシュテット&ウィーン・フィルの演奏だったから(確か1960年代の録音。その後よく聴くようになったのは、カラヤン&ベルリン・フィル、モントゥー&アムステルダム・コンセルトヘボウ管、フルトヴェングラー&ウィーン・フィルだった)、これこそまさにベートーヴェン!という固定観念や思い込みがあったせいか、かつてはピアノ協奏曲も、とりわけ5番(よく聴いたのはバックハウス(p)、イッセルシュテット&ウィーン・フィル)が好きだった。
 しかし年齢とともに嗜好も変わるものなのだろうか、ツィマーマンの演奏をじっくり聴いていて、特に惹かれたのは「4番」なのだった。5番の方は、以前ほどにはよいと思えず、これはツィマーマンだからそう感じたのかと思って(まさか!)、カサドシュ(p)、ロスバウト&ロイヤル・コンセルトヘボウ管の5番などを聴いてみたけれど、やはり印象はあまり変らなかった*3
 ところで、新保祐司氏はこの第4番について、『ベートーヴェン 一曲一生』(藤原書店2020)で「ピアノ協奏曲全五曲の中で、一番好きな第4番」「ピアノ協奏曲に限らず、ベートーヴェンの全作品の中で、一番好きかも知れない」(p.158)と書いており、

 この第4番のベートーヴェンは、実に新鮮な精神である。第1楽章の、ピアノで開始される第1主題を聴いた瞬間に、もう心は高められる。何という冴えであろう。この第1主題は、第5交響曲のいわゆる「運命の動機」と近親関係にある。この新鮮さが、単なる新しさではなく、深みのある新鮮さである所以である。(p.158)

と記し、さらに、吉田秀和武満徹も第4番が好きだったということに触れている。
 新保氏はこれ以前にも、「恐るべき独創―ホルスト・シュタイン」という文章のなかで、次のように述べている。

 ベートーヴェンの全五曲の(ピアノ)協奏曲の中で、私はこの「第四番」が最も好きだが、この「第四番」は、逆説的にいえば、ベートーヴェンらしくないものなのである。
 当時、いわばベートーヴェンらしい名曲をまず聴いていた私は、この曲に至ってベートーヴェンらしさなどを突き抜けた、ベートーヴェンの本当の独創を感じとったのである。
 冒頭で、直ちにピアノが第一主題を呈示するところで、もう私は、あえていえば陶酔してしまう。何という独創であろう。大胆さであろう。こういう創造の力を見せられると、それだけで人間の精神の栄光を感じ、深く感動する。(『ハリネズミの耳―音楽随想』港の人2015:166)

 なお、新保氏の『ベートーヴェン 一曲一生』は、「みすず」二〇二一年一・二月合併号「読書アンケート特集」で富士川義之氏が紹介しており、「著者もまた『正気を保つために』はベートーヴェンを聴き、彼の音楽について書くことが不可欠であったのである」(p.54)等と書いていた。
 ちなみに、4月に入ってからは、ヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ長調「春」もよく聴いている。以前は専らケンプ(p)&メニューイン(v)だったが、最近は、フィルクシュニー*4(p)&ミルシテイン(v)の演奏で聴いている。

ベートーヴェン 一曲一生

ベートーヴェン 一曲一生

ハリネズミの耳 音楽随想

ハリネズミの耳 音楽随想

  • 作者:新保 祐司
  • 発売日: 2015/11/17
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

*1:ツィメルマン」というカナ表記のほうに馴染みのある方もいらっしゃるかも…。

*2:クラリネット、フルート、オーボエ

*3:そもそも「皇帝」という俗称的な副題があることで、イメージが先行してしまうのかもしれない。

*4:「フィルクスニー」とも。