フレドリック・ブラウン「星ねずみ」

 ひところ、古書肆や新古書店に入るたびに、目を皿のようにして連城三紀彦フレドリック・ブラウンの本ばかり探していたということがあった。
 最近は一時期に較べると、いずれもかなり見つけにくくなってきたのを感じていたが、このところ、両者の復刊や新訳が相次いでいるのは嬉しいかぎりだ。
 まず連城作品は、未刊だった長篇『悲体』『虹のような黒』が幻戯書房から出たり、「連城三紀彦傑作集1、2」*1を皮切りに『運命の八分休符』『敗北への凱旋』といった入手のやや困難だった作品が創元推理文庫に入ったりした。
 またブラウン作品の方は、「フレドリック・ブラウンSF短編全集」全4巻が東京創元社から出たり(約1年半かけてこのほど完結した)、高山真由美訳『シカゴ・ブルース』や越前敏弥訳『真っ白な噓』がやはり創元推理文庫の「名作ミステリ新訳プロジェクト」シリーズ枠*2で刊行されたりしている。後者の小森収「解説」によれば、越前氏は『復讐の女神』の新訳も準備しているのだそうだ*3
 連城作品についてはまた機会があれば述べるとして、今回は、ブラウン作品のうちで私が最も多くの訳書で読んだ「星ねずみ」(Star Mouse)を紹介することとしたい。
 「星ねずみ」は初め、ロバート・ブロック*4編/星新一訳の『フレドリック・ブラウン傑作集』(サンリオSF文庫1982)で読んだ。その「訳者あとがき」に、星が、

「星ねずみ」では、博士のひとりごとが、すべてドイツ語なまりなのである。アメリカ映画にもドイツ語なまり、フランス語なまりのキャプションが、時たまある。日本で「SFマガジン」にのった時は、井上一夫氏がそれを九州的方言で訳し、えらく好評だった。ひとつの試みである。ここでは未熟さを強調して訳したが。(p.484)

と書いていたのが気になっていたところ、しばらく後、某古書肆の店頭二百均にフレドリック・ブラウン早川書房編集部編『わが手の宇宙』(ハヤカワ・SF・シリーズ1964)を見出したのだった。これには、都筑道夫訳「1999年」、福島正実訳「狂った星座」等と並んで、井上訳「星ねずみ」が収められているのだ。
 さてその「九州的方言」がどういうものかというと、

「ほほう! こいは! ミッキー・マウスじやあなかとな! ミッキーや、どうかい、来週、ひととびしてみんかね? おもしろかぞ」(p.91)

「ミッキー、おんしは、名前ばもらつたちねずみば、見たことあつとな? なになに? ないと? 見んさい、こいがウォルト・ディズニーミッキー・マウスばい。だが、おいは、おんしのほうがかわいいと思うちよつと」(p.92)

「ミッキーやこげんこつは、精度と幾何学的正確さが肝心ばい。すべて条件はそろつちよる――おいたちはただそいを組み合せるだけで――なあミッキー、どげんこつになると思う?
 引力圏からの脱出ばい、ミッキー。ただただ、引力圏から出るこつだけばい。たぶん、未知の条件もあるかもしれん。大気圏の上層、対流圏、成層圏とな、おいたちは、抵抗を計算でくるよう、そこん空気の量を正確に知つちよるつもりばい。けんど、完全に自信があつとな? ミッキー、そげんうまくはいかんばい。まだ、行つちみたこともないとこじやけんな。だが、機械もこまいけん、空気の流れも大した力はあたえんじやろう」(p.93)

等々、まさに、「九州的」方言というほかはない。これをはじめに読んだとき、『社長漫遊記(正続)』だったかでフランキー堺が演じた強烈なキャラクターを思い起したりして、ひどく可笑しかったものだった。
 ちなみに引用の三箇所目にあたる部分を、星がどう訳したのかというと、

「わたしは実現させたいのだ。小規模ではあるが、すべて入念に計算をばなされ、バランス的な条件はととのっておる。で、どうなるかじゃ、ミッキー。引力圏からの脱出である。すごいことなりだぞ。大気の上層部分の空気密度、空気抵抗。万全の計算したつもりではあるが、保証つきと断言はでけん。しかしながら、小型なるがゆえに、うまくいくじゃろう」(p.234)

となっている。それにしても、この主人公の博士というかオーベルビュルガー教授がもともと「ひとりごと」を好む性格で、鼠にさえもどんどん話し掛ける、といった設定のお蔭で、地の文で延々と状況説明をせずに済むわけで、結果的には、作品がテンポよく進むことになっている。あるいは、地球人の登場人物が極端に少ない作品なので、わざわざそのようにしたのかもしれない。
 さて上掲の箇所を、今度は中村保男訳『宇宙をぼくの手の上に』(創元推理文庫1969*5)所収「星ねずみ」で見てみよう。わたしが三番目に読んだ訳である。

「これは、一分の狂いもない絶対の精密さと、数学上の正確さが必要なものなのじゃよ、ミッキー。条件はなにもかも揃っとる。あとはそれらを組み合わせさえすればいいのじゃ。そうしたら、なにを実現させることができると思うかね、ミッキー。
 引力圏内から脱出するのに必要な速度じゃよ、ミッキー! それで脱出速度が倍加するのさ。たぶんな。大気圏の上層、対流圏、成層圏には、まだ未知の要素があるやもしれん。どの程度の空気抵抗があるかは正確にわかっとるつもりじゃが、完全に自信があるとは言えんのじゃ。そうなんじゃよ、ミッキー、自信はないのじゃ。実際にそこまで昇ったことはないのじゃからな。しかも、安全余剰(マージン)はきわめてわずかなので、気流というような些細な要素に影響されかねないのじゃ」(p.269)

 原文は見たことがないが、こうして並べてみると、――他の箇所からもそう感じたのだが――星訳はかなりの意訳であろうことが推察される。
 最近の安原和見訳『フレドリックSF短編全集』(東京創元社2019~2021)の第1巻(2019年刊)の表題作が「星ねずみ」で、わたしが四番目に読んだのがこちらである。当該箇所の訳文はというと――。

「これはな、たんに徹底的な精密しゃと数学的正確しゃの問題なんじゃよ、ミツキー。なんもかもとうにあるもんばっかりなんじゃ。しょれをただ組み合わしぇりゃ――しょれでどうなると思うね。
 脱出速度じゃよ、ミツキー。ほんのちょびっとじゃが、脱出速度を上まわるんじゃ。たぶんな。まだわかっちょらん要因があるんでな、ミツキー、大気圏のうえ、対流圏、成層圏まで行くとな。抵抗を計算しゅべき大気の量は正確にわかっちょるつもりじゃが、果たしてしょれは正確かっちゅうこっちゃ。いんや、ミツキー、正確じゃありえんのじゃ。なんしぇ行ったことがないんじゃからな。しかも許容幅がえれえ狭いんでな、ちょびっと気流があるだけで影響が出かねんのじゃよ」(p.62)

 安原訳が、他の訳者がみな「ミッキー」としているところを「ミツキー」と訳しているのは、実は意図的にそうしているのであって、牧眞司氏の「収録作品解題」に、

 この主人公はミッキー・マウスならぬ、ミツキー(Mitkey)である。ディズニーのミッキー(Mickey)は一九二八年に誕生し、ブラウンが「星ねずみ」を発表したころ(1942年―引用者)にはすでにすっかり人気者になっていた。読めばおわかりのとおり、この作品は読者がミッキーを知っていることを前提として書かれており、ぬかりなくディズニーへのリスペクトも盛りこまれている。(p.333)

とある。
☆☆☆
 今回はブラウンのSF作品を特に取り上げたが、ミステリ作家としてのブラウンについては、『短編ミステリの二百年3』(創元推理文庫2020)巻末の小森収氏の解説「第五章 四〇年代アメリカ作家の実力」の第2、3節(pp.631-48)がたいへん参考になる。

*1:特に「2」の方に収められた『落日の門』はこれが初めての文庫化となった。

*2:当初このシリーズは冊数を限っていたが、好評を博したのか、最近は無制限に出しているようだ。

*3:旧訳は、『シカゴ・ブルース』が青田勝訳、「短編集1」の『真っ白な噓』が中村保男訳、「短編集2」の『復讐の女神』が小西宏訳。ちなみに旧訳『真っ白な噓』は、原書にはあった “The Dangerous people” について、『世界短編傑作集5』(リニューアル版は『世界推理短編傑作集5』)が既に収めていたため(大久保康雄訳「危険な連中」)あえて省いたのだそうだが、越前氏による新訳版は「危ないやつら」とタイトルを改めて収めている。このほか、星新一訳として「ぶっそうなやつら」(『さあ、気ちがいになりなさい』所収)もある。

*4:『サイコ』の原作者として知られる。

*5:手許のは1982年3月5日19版。