路線バスで読む梅崎春生
うろ覚えだが、草森紳一氏が、東京―大阪間の新幹線の車内で読むのに好適な本として松本清張の短篇集を挙げていた。ほどよい長さのため車中読書にうってつけで、しかもやみつきになる、というわけで、その状況を“手が伸びることさながらバターピーナッツのごとし”、といった面白い表現でたとえていたと記憶する。
交通機関と読書との関係といえば、確かに、乗り物や路程の違いに応じて本の分量や冊数、またはジャンルを意識的に変えるのはこれまでによくあることだったが、いわゆる「文章のテンポやリズム」も勘案すべき要素のひとつだと感じたのは、先日、路線バスに小一時間揺られながら、梅崎春生/荻原魚雷編『怠惰の美徳』(中公文庫2018)を愉しく読んだからだ。
同書所収の「チョウチンアンコウについて」「衰頽からの脱出」、それから、編者の荻原氏が「この小説を読み終えた途端、全集を衝動買いした。心を摑まれた。自分のための文学だとおもった」(解説p.301)という「寝ぐせ」あたりは、沖積舎の作品集や別の文庫本で読んだことはあったけれど、大半は今回が初読だった。各篇が長すぎず、かと云って短すぎることもなく、時折クスリ、ないしはハッとさせられながら、一篇一篇読み了えるたび、窓外の景色に目をやっていた(その日はまた天気もすこぶる良かった)。文章のテンポやリズムがバスの動きと絶妙に合って、久しぶりで、純粋に愉しく餘裕のある読書をしたという感触が残った。
ところで、この最初の方に、「憂鬱な青春」(pp.20-33)なるエセーが収めてある。そこに次のような記述がみえる。
それで昭和七年、首尾よく第五高等学校文科に入学が許可された。試験はあまり出来なかったから、すれすれで入学したに違いない。そこで詩を書き始めた。同級に霜多正次などがいて、それらの刺戟もあったのだろう。当時の五高には「竜南」という雑誌が年三回発行され、文芸部委員には三年生に中井正文や土井寛之、二年生に河北倫明や斯波四郎がいて、私がせっせと詩を投稿するけれど、なかなか載せて貰えない。上出来な詩じゃなかったからだろうと思う。
二年生になって、やっと掲載されるようになった。そして文芸部の委員になることが出来た。委員になれば、おおむねお手盛りといった形で、毎号掲載ということになる。(略)
落第する前のクラスはあかるくて、遊び好きの連中が多かったが、あとのクラスは何だか暗くて、あまり私にはなじめなかった。落第したひがみもあったのかも知れぬ。木下順二などがいたが、彼はその頃秀才で(今も秀才だろうが)文学に関心は持っていないように見えた。(pp.22-24)
木下順二も、梅崎と同じく五高から東京帝大に進んでいる。それで思い出したのだが、木下も自らの半生記で当時の梅崎について書いていた。梅崎の別の貌を表しているようでもあるので、やや長くなるが以下に引く。
五高三年の秋、私は突然一篇の私小説を書いて、文芸部委員梅崎春生に提出した。
梅崎は私が二年に上るとき落第して来て私と同級になったのだが、なにしろその頃の私は前述の仕儀で学業格別精励のほうだったから、初めて同級になったあの駘蕩たる詩人と、いきなり仲よくなるということもなかった。それが三年になって、教室で机が並んだりしたこともあってか、急にわりに親しくなった。当時の英語の教科書の余白に、授業中に梅崎がよこした漢詩(?)が写してある。私の名を詠みこんだ五言絶句というつもりだろう。木花離堂前/下草連野辺/順風吹不尽/二月漸纒綿/梅生 というのである。そして私は早速その時間中にお返しをしたらしく、余白に書き散らしてある苦吟のあとを辿ってみるとこういうふうになる。梅花漸数苞/崎陽二月朝/春日雪未消/生動万物更/木生。(略)
校友会誌の合評会に出向いたりしているところを見ると、いま思いだすほど私も創作活動に冷淡ではなかったのかという気がしないでもないけれど、なにしろ自分が書くなどということはわれながら全く唐突であって、自分にとって小さからざる事件でそれはあったのだが、梅崎委員はいとも簡単に、「大したもんじゃなかね」という感想と一所にその原稿を返してよこした。(略)
ところで年を越した一九三六年、ということは五高を卒業する年の一月二十九日水曜日と曜日まで私は書きつけているが、またまた英語の授業中に梅崎がそっとよこした漢詩(?)が、教科書の余白に写してある。今度は題がついていていわく「勧転志詩」――白面美衣青春行/肥馬銀鞭思亦遠/可憐此人誤針路/老夫無職乞路傍/梅生。――肥馬銀鞭というのは私が馬術部のキャプテンをしていたからだろうが、どうもこれは、私のあの一篇を読んだ梅崎が、私に転志を勧告した詩であるとおぼしいけれども、何で年を越した今頃になってこんなものをよこしたのだか分らない。授業が終ったあと、この詩について梅崎と何か話をしたにきまっているがそれは忘れた。私はきっと、おれは創作なんて考えてもおらん。学者になるつもりだけん、つまり学校の教師になるつもりだけん、老夫無職ということにはまあならんで済むだろう、というようなことをいったのだったろう。とにかく、梅崎から二度も漢詩をもらっていたことなど、今度何とはなしに昔の教科書をひろげてみるまで、すべてまるきり忘れていた。
別のことだが、(略)大学時代、あるいはその少しあとだったか、いや、大分あとのことになるはずだ、太平洋戦争戦時下の、もう喫茶店で甘いものが飲めなくなっていた頃の殺風景な本郷通り、東大正門前の郁文堂のところで、実に久しぶりに梅崎と会った時のことが、戦後になって時おり会うようになってからのことよりも忘れられない。ばさばさの髪に、そろそろ寒い時節だったが素足の下駄ばきで、立ったままちょっと何か話すと、黒いマントの裾をひるがえして三丁目のほうへ走って行った。肩の線がやわらかく、しかしなにかやり切れない表情が背中にあった。その後ろ姿から眼が離せないで見送った自分を、今でも覚えている。(木下順二『本郷』講談社文芸文庫1988:146-50←講談社1983)
なお、この『本郷』はコミガレで拾ったものだが、その時分は、「五高出身者」という要素がアンテナに引っかかったから買ったわけではなく、坪内祐三氏の次の記述に触発されて購ったのであった。
数カ月前に私は、神田の淡路町交差点近くにある新古本屋の百円均一コーナーで木下順二の『本郷』(講談社文芸文庫)を見つけた。元版で既に通読していたけれど、あまりにも安かったので購入してしまったのである。帰りの地下鉄で読み進めて行った。すると、初読の時には見落していたのだが(いや、正確に書けば、当時はその固有名詞に反応出来なかっただけなのだが)、木下順二の母方の伯父に国文学者の佐々醒雪がいることを知った。そして帰宅後、私は、『忘れ得ぬ国文学者たち』の「佐々醒雪博士」の章を開いた。(坪内祐三「解説」、伊藤正雄『新版 忘れ得ぬ国文学者たち―并、憶い出の明治大正―』右文書院2001:400)
ところで『本郷』は、「わるごろ(悪五郎)」「おンなはらん」等々、熊本方言について書かれた箇所が特に印象に残っていて、なかにこういう一節もあった。
(熊本の白川小学校では―引用者)発音と言葉づかいで毎日のようにやられた。今はあんまりはやらないらしい大声の朗読というよい習慣があの頃の小学校にはあって、こっちはそいつが得意のつもりだから手を挙げて当てられて立ち上って読みだすと、皆が笑うのである。「今日ぼくの兄さんが」――この“が”の鼻濁音がまずおかしいというわけだ。やがて休み時間になって運動場へ出ると、朝礼で校長先生が立つ台の上から一人が先生の調子で「おい木下くん、きみが“が”は鼻っぽんぞ」(ジフィリスで鼻の障子がなくなって息が漏れるごとくである、ということらしい)、そういって冷かされている私のそれこそ鼻の先を、「ンーンガアー」と鼻濁音の口真似をしながら飛行機の格好に両手をひろげた奴が通過して行くや否や、反対方向からたちまち一機「ンーンガアー」と飛んでくる。それからまた一機。(木下同前p.116)
九州が非‐鼻濁音地域だというのはよく知られており、長崎・諫早出身の野呂邦暢も小説中で触れていたことがある。
(盲目のわが子)といったとき、がの音は鼻声音になっていた。九州人はガ行の音をやわらかな鼻声音で発音できない。九州人である中尾昭介も上京して二十年以上になるけれど、まだきれいなガ行の音を口にすることができないでいる。(「ある殺人」『野呂邦暢小説集成6―猟銃・愛についてのデッサン』文遊社2016:22)
ちなみに、本好きならご存じのことだろうが、「野呂邦暢」は本名ではなく(本名は納所〈のうしょ〉邦暢)、梅崎の『ボロ家の春秋』の登場人物名から借りたペンネームである。
交通機関と読書との関係について述べる積りが、今回も横道に逸れてしまった。
これもまた、“読書の醍醐味”なのかも知れない。
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梅崎というと、『桜島』についてここで少しだけ触れたことが有る。
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異分析、民間語源
例えば「あくどい」を「悪どい」と捉えたり、「いさぎよい」を「いさぎ(が)良い」と解釈したりすることを、「異分析(metanalysis)」という。國語國文研究會編『趣味の語原』(桑文社1937)を見てみると、この手のものがたくさん出て来て、なかなか面白い。「呆(あきれ)」<「嗚極み荒れ(あーきはみあれ)」、「曰(いはく)」<「思吐(おもひはく)」、「怠(おこたる)」<「措き棄て肖る(おきすてある)」、「男(をとこ)」<「食し取り君(をしとりぎみ)」、「傍(かたはら)」<「片腹(かたはら)」、「慕(したふ)」<「後に立ち追ふ(しりにたちおふ)」、「相撲(すまふ)」<「進み挑み合ふ(すゝみいどみあふ)」、「養(やしなふ)」<「生け肥し擔ふ(いけこやしになふ)」……、といった具合で、ここまでくると、もう単なる語呂合わせや駄洒落の類である。
イェスペルセン/三宅鴻訳『言語―その本質・発達・起源―(上)』(岩波文庫1981)の第二部「子ども」、第十章「子どもの影響・続」の第二節「異分析(メタナリシス)」に、この用語はイェスペルセン自身が「敢えて造った」もの(p.322)とあって、これらは特に子供が「耳にした分析を一旦誤り、次いでこの形を生涯にわたって繰り返し続けることから生」じた(p.324)可能性が高い、と書いてある。全てその通りだと言い切れるかどうか分からないが、異分析は古来、洋の東西を問わずしばしば見られたようだ。これは、語源俗解、いわゆる「民間語源(folk-etymology)」*1とも関わる現象である。
ちなみに英語の民間語源ならば、ウィークリー/寺澤芳雄・出淵博訳『ことばのロマンス―英語の語源』(岩波文庫1987)の第九章(pp.232-82)あるいは第一三章(pp.378-413)が豊富な実例を挙げており面白く読めるので、一読をおすすめしたい。
また、ついでながら、モンテーニュによる民間語源を挙げておく。
この死という一言は彼らの耳にあまりに強く響き、その言葉は不吉に聞こえるので、ローマ人はそれをやわらげて遠廻しに言うことを覚えた。彼らは、「彼は死んだ」というかわりに、「彼は生きることをやめた」、「彼は生きてしまった」と言う。「生きる」ということでさえあれば、「生き終わった」でも気がすむのである。われわれが故ジャン殿 feu Maistre-Jehan というのもここからの借用である。(モンテーニュ/原二郎訳『エセー(一)』岩波文庫1965,第一巻第二十章:154-55)
訳注によると、「モンテーニュはこの feu を『あった』から来たと考えたらしい。しかし実際は俗ラテン語の fatutum『自分の運命を終えた』という語に由来する」(p.179)という。
さて、日本語の異分析、民間語源の例としてしばしば紹介されるもののうちのひとつが、「あかぎれ」である。その実例には、
といった言いまわしもあることから、「あかぎれ」を、「あか+ぎれ(あか+切れ)」と解釈する向きが多いのではなかろうか。
しかし、『日本国語大辞典【第二版】』(小学館)の「あかがり」の項の語誌欄に、
アカガリのアは足で、カカリは動詞「カカル」の連用形名詞。「カカル」は、ひびがきれる意の上代語。アカガリは、江戸時代まで命脈を保つ。虎明本狂言「皸」に、「あかがりは恋の心にあらね共、ひびにまさりてかなしかりけり」とあり、「ひび」よりも傷の大きく深いものと認められていたらしい。
とあり、また「あかぎれ」の項の語誌欄に、
アカギレは一七世紀のころ、アカガリに代わって現われる。アカガリに、ア‐カガリの語源意識が消失して、アカを垢・赤とするアカ‐ガリの異分析を生じ、さらにガリの意味の不明なのをアカ(垢・赤)ギレ(切)という変形で安定させたものと考えられる。
とあるように、「あかぎれ」は本来、「あ+かがり」であったと考えられる。
このことについては、言葉に関する本でしばしば言及される。例えば次のようである。
「あかぎれ」は手足の皮膚が寒さなどで乾燥したため、ひび割れなどができる病気である。古くは「アカカリ」あるいは「アカガリ」といった。「ア」とは足のことである。ところがこの「アカガリ」を「アカ+ガリ」と解釈して、そのために「アカ」は「赤」であるという民間語源が生まれてしまった。だが残った「ガリ」が意味不明だ。そこで「ガリ」の代わりに皮膚が切れているという理由で「キレ」を充て、その結果「アカギレ」になってしまったのである。
こうなってくると、民間語源自身が言語変化の要因となっているともいえる。(略)
ただし「アカギレ」のような例は、日本語の音パターンとも関係している。つまり「アカギレ」のように四拍分の音があれば、それを二対二で分けるのが、日本語として落ち着くのだ。したがって本来の「ア+カギレ」ではなく、「アカ+ギレ」と解釈してしまう。
(黒田龍之助『ことばはフラフラ変わる』白水社2018:185*2)
本来は、「あ+かぎれ」であって、この本来とは違う切れ目で(言語学では「異分析」と言う)捉えた結果が、「赤+切れ」なのだ。本来は、「足」を意味する「あ」と「皮膚がひび割れる」ことを意味する「かがる」からなる「足皸(あかがり)」だったのが、これが「あかぎれ」に変化したのである。赤くなるから「あかぎれ」と解釈しやすかったのは確かだろうが、「かがる」という動詞は平安時代以降はほとんど使われず、江戸時代にはすでに足以外でも「あかがり」と言っているくらいである。現代人が、語源を知らずに、「手にあかぎれができる」と言ったとしても、責めることはできない。
(加藤重広『日本人も悩む日本語―ことばの誤用はなぜ生まれるのか?』朝日新書2014:147)
しかし、なかには「あか+切れ」の民間語源を採用している現代語辞典もあり、山田忠雄ほか編『新明解国語辞典【第七版】』(三省堂2012)の「あかぎれ」の項には、「赤く腫(ハ)れて切れる意」、と明記してある。
異分析による民間語源であっても、長い時間を経たり権威を生じたりすると、それも立派な「古典語」となる。その一例を見てみよう。
卜部兼好の『徒然草』第七十三段に、
また、我も真しからずは思ひながら、人の言ひしままに、鼻の程、蠢(おごめ)きて言ふは、その人の空言にはあらず。(島内裕子校訂・訳、ちくま文庫p.151)
とあって、こちらは慶長十八年(1613)の「烏丸(からすまる)本」(烏丸光広校訂本)を底本としているのだが、同じく「烏丸本」を底本とした小川剛生訳注本は、当該箇所を、
また、我もまことしからずは思ひながら、人の言ひしままに、鼻のほどおこめきて言ふは、その人の虚言にはあらず。(角川ソフィア文庫p.79)
と起こしている。すなわち、「おごめく」:「おこめく」という解釈の相違があるわけだ。小川訳注本の補注には次のようにある。
これまでは「おごめきて」、「蠢く」の母音交替形で、「鼻のあたりをぴくぴくさせて」の意と解されてきた。この表現は、源氏物語・帚木、雨夜の品定めで式部丞が博士の娘につき語るくだり、「残りいはせむとて、「さてさてをかしかりける女かな」と、(源氏は)すかいたまふを、心得ながら、鼻のわたりをこめきて、語りなす」(河内本による)を踏まえる。ところが源氏物語の「おこめく」という語は、物語中の用例を検討すれば、清音で「嗚呼めく」、つまり「ふざけて」「おどけて」の意とするのが正しい。徒然草の本文もこの用法で解釈すべきで、厳密に清濁を区別したと言われる底本にも濁点はない。林羅山の野槌で濁点が現れ、「蠢く」との連想、また羅山の権威が加わり、「おごめきて」が定着したらしい。白石良夫「徒然草「鼻のほどおこめきて」考―続オゴメク幻想」(語文研究105、平20・5)参照。(p.239)
附言すると、小川氏の参照した白石氏の論文は、その他の論文とともに一般向きに書き改められ、白石良夫『古語の謎―書き替えられる読みと意味』(中公新書2010)に収められた(第四章「濁点もばかにならない―架空の古語の成立」)。白石氏によれば、羅山は故意に濁点を附したのではなく、版本の段階で「ほと」の「と」に附すはずだった濁点が「こ」に附されたと思しく、「羅山の認識は(略)「おこめきて」であった」(p.101)という。
いずれにせよ、「烏滸(痴)+めく」の異分析による“幽霊語(ghost word)”*3「おごめく」は、江戸期以降に古典語として定着をみたらしい。これも異分析の与った例といえるだろう。
新版として刊行中の『源氏物語(一)』(岩波文庫)は、「帚木」の当該箇所を大島本(古代学協会蔵、大島雅太郎氏旧蔵本)に基づき「鼻のわたりをこづきて」(鼻の辺りをおどけて見せて)と解し(p.138)、注釈で、「底本「おこつきて」は、河内本など「をこめきて」」(p.139)、とする。
※『徒然草』については、ここにも書いたことがある。
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久生十蘭「母子像」のことなど
神奈川近代文学館のスポット展示「久生十蘭資料〜近年の収蔵資料から〜」(2017.12.9〜2018.1.21)は、十蘭の姪にあたる三ッ谷洋子氏の寄贈品をもとに構成されていて、十蘭の改稿癖の一斑がうかがえる「海豹島」切抜きへの夥しい書込み*1等、とりわけ印象に残るものであったが、さらに特筆すべきは、吉田健一の遺品から見つかった「母子像」草稿五枚、ならびに「美しい母」の草稿六枚である。わたしはそれを一枚一枚、食入るように、ガラスケース越しに矯めつ眇めつしたのだった。
このうち「美しい母」は、これまで世に出ていなかったもので、「決定稿『母子像』の準備稿というべきものであろうが、いったいなぜ、そしていつ、吉田の手元に置かれるようになったのか」(江口雄輔「久生十蘭資料の公開」*2)は不明なのだそうだ。もっとも、「母子像」を「世界短篇小説コンクール」(ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙主催)に応募するため英訳したのが当の吉田であったから、江口氏によると、「十蘭が(中略)英国留学が長く大衆文芸批評をしていた吉田を信頼し、海外での反響を含めて相談した可能性が考えられる」*3という。
「母子像」は、十蘭自身が、「予言」と共に「最も愛した作品」であるといい、これまで何度も文庫に収録されている。新潮社の「小説文庫」に入った短篇集『母子像』(1955.10刊)は正確には新書判だから除外するとしても、このほか、『母子像・鈴木主水』(角川文庫1959)、『肌色の月』(中央公論社1957)を文庫化した『肌色の月』(中公文庫1975)*4、『昆虫図―久生十蘭傑作選4』(現代教養文庫1976)、日下三蔵編『久生十蘭集 ハムレット―怪奇探偵小説傑作選3』(ちくま文庫2001)、『湖畔|ハムレット―久生十蘭作品集』(講談社文芸文庫2005)、川崎賢子編『久生十蘭短篇選』(岩波文庫2009)に収められている。
ただし「母子像」は、必ずしも作品としての評価が高い(または読者の好みにあう)わけではなく、たとえば谷沢永一『紙つぶて 自作自注最終版』(文藝春秋2005)引くところの「蒼鉛嬉遊曲(ビスマス・メヌエット)」(塚本邦雄)*5には、「「母子像」には卻つて感興を唆(そそ)られぬままにやうやく冷えて行つた。ふたたびはげしい感動を覚えたのは、三十年、新潮社刊『母子像』で「西林図」「野萩」「春雪」「蝶の絵」等、二十三、四年初出の短篇を知つた時である」(p.933)とあるし、一方の「予言」に対しても、たとえば中井英夫が、「久生が自分で“最も愛した”由ながら、私にはいまもって“もっとも優れた”作品とは思えず」(p.181)云々*6と評している。
また、中井がつづけて指摘したように、「母子像」は「あらかじめ外国語で読まれることを計算しぬいた筋立てと運びと、いっさい感傷をさし挟まぬ淡々とした叙述」(同前p.182)ゆえに、「感興を唆られぬ」者があるのかもしれない。もっとも、「感傷をさし挟まぬ淡々とした叙述」というなら、名品「無惨やな」*7などはまさにそうで、こちらの場合、その簡勁ぶりがむしろ作品の迫力を増しているようでもあり、そこに「文体(章)の魔術師」十蘭の面目躍如たるものがあるといえるのだろう。ついでにいうならば、「無惨やな」には都筑道夫の評があって、曰く、まさにこれは「短篇作家の短篇小説」なのであり、「基本の文体に、大きな変化はないにしても、(十蘭は)題材によって、技法をえらんでいる」。さらに都筑は、「無惨やな」を大佛次郎「夕凪」*8と比較しつつ、「雰囲気はなくて、そこにはただ、事実の記述だけがある」と述べた*9。この文章は、「男ぶりの小説、女ぶりの小説」(都筑道夫)*10と記述の一部が重なるらしく、先引の谷沢著は都筑のその見解を引いて賛意を表したうえで、「然り「無惨やな」一篇は痛烈な鷗外批判なのであり、久生十蘭は鷗外の贅肉を無言で辛辣に発いたのだ」(p.804)とさらに踏み込んだ評価を下している。
なお千野帽子氏は、「久生十蘭『あなたも私も』は「戦後文学」です。」(『久生十蘭―評する言葉も失う最高の作家』河出書房新社2015.2)のなかで、十蘭と獅子文六とを並べて「いずれもテンポの速いドライな現代小説を書いた。とくに戦後の作品は、両者がスピード競争をしているかのような爽快感があ」る(p.10)と評しており、こちらもたいへん興味深い*11。
さて会場の十蘭コーナーには、「母子像」関連資料として、映画化*12(1956年東宝、佐伯清監督、植草圭之助脚本)の際に主演の山田五十鈴らと十蘭が写った貴重なスナップや、映画広告などもあわせて展示されていたのだが、それらに触発されたこともあり、「母子像」を三たび読み返した。先に述べたごとく、十蘭には「改稿癖」があった。したがって「母子像」にも、「雑誌・新聞初出の本文を底本とした」川崎賢子編になる『久生十蘭短篇選』所収版とそれ以外とでは、少なからず相違点が有る。
そこで以下、簡単に比較してみることにする。「岩」が岩波文庫所収、「ち」が日下三蔵編『久生十蘭集 ハムレット―怪奇探偵小説傑作選3』(ちくま文庫2001)所収のものである。「岩」は、初出の「讀賣新聞」(1954.3.26-28)掲載本文に基づく。「ち」は底本がよくわからないが、ざっと見たかぎりでは、『肌色の月』(中公文庫1975)、『湖畔|ハムレット―久生十蘭作品集』(講談社文芸文庫2005)とあまり違わない。後者の文芸文庫版は、『久生十蘭全集1・2』(三一書房刊1969.11,1970.1)を底本としているらしいから、ちくま文庫所収のものは(いつの時点のものかは判らぬが)後の改稿版とみてよい。
「お呼びたてして、恐縮でした」(岩p.332)
「お呼びたてして、どうも……」(ちp.338)
ご心配のないように(岩p.332)
ご心配なく(ちp.338)
「司法主任のおっしゃるとおり、私どもは、たいした事件だと思っておりませんの。(略)」(岩p.332)
「司法主任がおっしゃったように、私どもはたいした事件だとは思っておりません。(略)」(ちp.338)
ちょっと火をいじったぐらいのことで、(岩pp.332-33)
ちょっと火いじりしたくらいのことで、(ちp.338)
家庭関係と向性の概略(岩p.333)
家庭関係と性向の概略(ちp.339)
これは、熟字として一般的な「性向」に直したものか。
学院では三人預っております(岩p.334)
ちp.340は削除
これはもう猥雑なものなのでしょうが(岩p.334)
ちp.340は「これはもう」を削除
生長期(岩p.335)
成長期(ちp.340)
「生長」は植物のそれをいう、といった言説がいつ広まったのかは不明だが、一般的な表記に直したものか。
いまもいいましたように、すこし美しすぎるので、(岩p.335)
いまも申しましたように、母親というのは、美しすぎるせいか、(ちp.340)
かえって不安になるくらいです(岩p.335)
かえって不安になることがあるくらいです(ちp.341)
ポン引(岩p.336、2箇所)
パイラー(ちp.341,342)
中公文庫版、文芸文庫版ともども「パイラー」。初出が「ポン引」だったことからすると、あるいは「バイラー」の誤記か。国書刊行会の定本全集でどうなっているかは確認していない。
初発の電車(岩p.336)
始発の電車(ちp.341)
「間もなく始発が」(岩p.344)という箇所もあるので、改稿時点でこちらに揃えたのだろう。
あれは母の手にかかって、殺されたことのある子供なんです。(岩p.336-37)
あれは、母親の手にかかって、殺されかけたことのある子供なんです。(ちp.342)
島北の台地のパンの樹の下で苔色になって死んでいました(岩p.337)
島北の台地のパンの樹の下で、苔色になってころがっていました(ちp.342)
以上2箇所は、実態に即した表現に改めたものか。
あれは、どこにおりますか。こんどの事件はどういうことだったのか、よく聞いてみたいと思うのですが(岩p.338)
あれは、どこにおりましょうか。どういうことだったのか、よく聞いてみたいので(ちp.343)
巣箱の穴のような小さな窓から(岩p.338)
巣箱のような窓から(ちp.343)
「太郎や、水を汲んでいらっしゃい」(岩p.339)
「太郎さん、水を汲んでいらっしゃい」(ちp.344)
おどおどして、母の顔色ばかりうかがうようになった(岩p.339)
おどおどしながら母の顔色をうかがうようになった(ちp.344)
「大当り」
と太郎は心のなかでつぶやいた。(岩p.341)
「当り」……と太郎は心のなかでつぶやいた。(ちp.346)
たった一度だけだったのに、いったい誰から聞いたんだろう。(岩p.341)
たった一度だけだったけど、誰から聞いたんだろう。(ちp.346)
ぼくは母の顔を見るために、花売りになって母のバアへ入って行った。八時から十時までの間に五回も入った。(岩p.342)
母の顔を見るために、花売りになってそのバアへ行った。八時から十時までの間に、五回も入ったことがある。(ちp.347)
それは誤解……ぼくはアルバイトなんかしていたんじゃない。(岩p.343)
「それは誤解」……アルバイトなんかしていたんじゃない。(ちp.347)
以上2例は、地の文でやや過剰にあらわれる「ぼく」を極力排除しようとしたものか。
それはたいへんなまちがいだった。(岩p.343)
それはよけいなことだった。(ちp.347)
その運転手は、
「知らなかったら、教えてやろうか。こんな風にするんだぜ」(岩p.343)
その運転手が、
「知らないなら、教えてやろう。こんなふうにするんだぜ」(ちp.348)
汚ない、汚ない、汚なすぎる。(岩p.343)
汚い、汚すぎる……(ちp.348)
太郎はロッカーから母の写真や古い手紙をとりだして、時間をかけてきれぎれにひき裂くと、炊事場の汚水溜へ捨てた。(岩p.344)
ロッカーから母の写真や古い手紙をとりだすと、時間をかけてきれぎれにひき裂き、塵とりですくいとって炊事場の汚水溜へ捨てた。(ちp.348)
保線工夫がぼくを抱いてホームへ連れて行くと、駅員にこんなことをいっていた。(岩p.345)
保線工夫が太郎を抱いてホームへ連れて行くと、駅員にこんなことをいった。(ちp.349)
こちらは、地の文を心内文ではなく客観的な記述に改めている。
警察では、正直にさえいえばゆるすといっている。言わないと罪になるぞ(岩p.345)
ちp350は「言わないと罪になるぞ」を削除
「死刑にしてください」
だしぬけに太郎が叫んだ。
「死刑にしてくれ、死刑にしてくれ」
ヨハネは、
「まア静かにしていろ」
といって、部屋から飛びだして行った。(岩p.346)
太郎は、だしぬけに叫んだ。
「死刑にしてください……死刑にしてくれ、死刑にしてくれ」
「まあ、静かにしていろ」
ヨハネはそういって、あわてて部屋から飛び出して行った。(ちp.350)
なにかうんと悪いことをすれば、だまっていても政府がぼくの始末をつけてくれる……(岩p.346)
なにかうんと悪いことをすると、だまっていても政府が始末をつけてくれる……(ちp.350)
撃鉄をひいた。(岩p.347、2箇所)
曳金をひいた。(ちp.351、2箇所)
これは、適切な表現に改めたものだろう。
正面の壁が壁土の白い粉末を飛ばした。(岩p.347)
正面の壁が漆喰の白い粉を飛ばした。(ちp.351)
この他、表記の違い(岩p.337「駒結び」:ちp.342「細結び」など)や読点の位置などの違いも複数あるが、改稿版は概して簡潔を旨としていることがわかる。また川崎賢子氏が指摘するように、「何度書き直しても、ちょっとした誤字や誤記が改まっていな」いこともあるし、「誤記にみえるものが実は巧妙なもじりであったり、パロディーの仕掛けなのかもしれない。表記の揺れにも意味があるのかもしれない」(「解説」『墓地展望亭・ハムレット 他六篇』岩波文庫2016)。だから「パイラー」なども実はこのままでよいかもしれない。
しかし厄介なのは、編集サイドもミスをおかすということで、都筑によれば、「ハムレット」には長らく次のような誤植が残されたままになっていた。
久生十蘭の傑作短篇「ハムレット」では、博文館の「新青年」に最初に発表されたときからのもの、と思われるミスが、三一書房で全集が出るまで、ずっと持ちこされていた。「ハムレット」の登場人物のひとりの衣裳の描写に、
「パイン・ツリー・スーツ」と緑色のスキー服の変り型、
という言葉があって、全集以前はどの版も、変り型にラアンシイというフリガナがついていた。変り型を意味するラアンシイという言葉はない。これはファンシイの誤植なのだ。さいわい三一書房版の全集には、私が参画していたので、訂正することが出来て、それが最近の教養文庫版にもおよんでいるが、初出かならずしも信頼できない好例であろう。(都筑道夫『推理作家の出来るまで 上巻』フリースタイル2000:175-76)
ちくま文庫や文芸文庫にはもちろん「フアンシイ」のルビ有、しかし岩波文庫の『墓地展望亭・ハムレット 他六篇』は、当該箇所のルビを(おそらく意図的に、だろうが)省いている。
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*1:そのうちの1枚は、『久生十蘭―評する言葉も失う最高の作家』(河出書房新社2015)のp.87で見ることができる。十蘭はこの作品を六度(七度?)も改稿したらしい。
*4:展覧会で知ることとなったのは、この単行本(文庫版にも)に収められた久生幸子「あとがき」が、どうやら「婦人公論」に発表されたエセーを元にしているらしい、と云うことだ。
*5:薔薇十字社版『黄金遁走曲(フユーグ・ドレエ)』(1973年刊)の解説。
*6:『肌色の月』(中公文庫1975)の解説。
*7:最近では、『久生十蘭ジュラネスク』(河出文庫2010)に収められた。
*8:「無惨やな」と同じく『姫路陰語』に材をとっている。
*9:『久生十蘭―評する言葉も失う最高の作家』河出書房新社2015所収pp.88-93「『無惨やな』について」。初出は「ユリイカ」1989年6月号。
*11:このエセーの中に「獅子文六の『八時間半』」(p.11)というミス? がある。千野氏は、同年2015年の5月に復刊された獅子文六の『七時間半』(ちくま文庫)の解説も担当した。
*12:映画化にあたっては、作中の母親のイメージが「聖母」的なものへと変更がなされており、十蘭もそれを諒承したという。
『広辞苑』第七版刊行
今月12日、新村出編『広辞苑』第七版(岩波書店)が出た。ネット上では早くも、「LGBT」の語釈に誤りがある(のちに「しまなみ海道」の件も報道された。1.22記)ということで話題となっている。
第五版の宣伝文句は「私が、/21世紀の/日本語です。」、第六版のそれは「ことばには、/意味がある。」、そして今回は、「ことばは、/自由だ。」である。
また、六版の予約特典は『広辞苑一日一語』(新書判)だったが、今回の予約特典は三浦しをん『広辞苑をつくるひと』(文庫判)である。
まだ中身をじっくり見たわけではないが、気づいた点や、変更点などについていくつか述べておく。
まず後ろから見て気づいたが、最後の採録語が変わった。六版までは末尾が、
ん‐と‐す→むとす。「終わりな―」
という空見出しであって、作例がなかなかしゃれていたのだが、七版はその後に、
ん‐ぼう バウ【ん坊】《接尾》(多く動詞の連用形に付く)そういう性質・特色をもつ人や事物。「んぼ」とも。「暴れ―」「食いし―」「赤―」「さくら―」
を追加している。
山田忠雄ほか編『新明解国語辞典 第七版』(三省堂)は「んぼう」を見出しに立てず、「んぼ」を「『ん坊』の短呼」として採録する。見坊豪紀ほか編『三省堂国語辞典 第七版』(三省堂)は「んぼう」を見出しに立てており、次のようにやや詳しい語釈を施している。
‐んぼう[(ん坊)](造語)(1)困った性質の人を呼ぶことば。「あまえ―・あわて―・けち―・忘れ―」(2)そういう すがたや かっこう、行動(をしている人)。「赤―〔=赤ちゃん。赤いから言う〕・はだか―・立ち―・かくれ―」(3)動植物をしたしんで言うことば。「あめ―・さくら―・つくし―」(4)〔←ぬ+坊〕→ぼう(坊)[三](2)。▽んぼ。
次に、柳瀬尚紀『広辞苑を読む』(文春新書1999)の指摘に即して七版を見てみることにする。
まず注意しておかなければならないのは、柳瀬著は五版の刊行直後に出ているが、六版でそれらの指摘に応えたとおぼしい箇所がかなりある、ということだ。
例えば「こゆび」の項。五版の第二義は、「俗に、妻・妾・情婦などの隠語。浮世風呂三『おめへンとこの―も派手者はでものだの』⇔親指」となっていたが、これについて柳瀬氏は、「他の二冊(『大辞林』『大辞泉』のこと―引用者)にある身振言語としての小指の説明(小指を立てて云々ということ―同)がないのは惜しい」(p.39)と書いている。六版ではこれを受けてか、「(小指を立てて示すことから)」との注記が加えられている。
さらに柳瀬氏は「しかし、さすが広辞苑、浮世風呂(略)を引いているところが他の二冊と決定的に違う」(p.38)と記しているが、これは、先行する上田萬年・松井簡治共著『修訂 大日本國語辭典』(冨山房*1)に見える用例である。当該箇所を引く。
こ‐ゆび 小指 (名)(略)[二]つま(妻)、又は、せふ(妾)をいふ隱語。(おやゆびの對)浮世風呂三上「御新造さん中略おめへん所の小指も派手者だの」
『広辞苑』のもとになった『辞苑』が、『大日本國語辭典』に採られた用例を多数「孫引き」していることは、新村猛『「広辞苑」物語―辞典の権威の背景』(芸生新書1970)も「異常な短期間の過程で、多くの範を『大日本国語辞典』に仰ぎ」(p.123)と認めるところであったが、松井簡治自身もそのことを把握しており、『修訂 大日本國語辭典』の序文(1939年6月)で、
(国語辞典の)多くは本辭典に採録した語彙を基礎として、多少の加除修正を施したに過ぎないと言つても、誣言ではないと思ふ。根本的に多數の典籍から語彙を蒐集し、整理するといふ基礎的作業に努力されたと見るべきものは、殆ど見當らない。(p.1)
と痛烈に批判している。これが『辞苑』に向けられた批判であることは、倉島長正『「国語」と「国語辞典」の時代(上)その歴史』(小学館1997)が「特に後半部分は多分に『辞苑』を意識していたとみるのは邪推というものでしょうか」(pp.246-47)と書いていることや、石山茂利夫『国語辞書事件簿』(草思社2004)がさらにはっきりと「松井の指弾のターゲットは『辞苑』とその姉妹辞書である『言苑』だったと考えざるを得ない」(p.189)と記していることなどから明らかだが、石山著によれば、語の取捨選択や語釈の面では、むしろ『広辞林』や『言泉』が多く参照されているようだという。
話を戻す。柳瀬著は、「本居長世」やポーランドの政治家「ヤルゼルスキ」が『広辞苑』に立項されていないことを指摘しているが(p.23,75)、六版では二人とも加えられた(第七版ではヤルゼルスキの歿年=2014年も示された)。「(「肉球」を)立項して定義してほしい」(p.101)、「鼠害」を立項していない(p.102)という要望や指摘に対しても六版は応えている。「スリジャヤワルダナプラコッテ」の原語の綴りミス(p.106)も訂正されている。「悪太郎」の項の語釈、「たけだけしく悪強い男を人名めかして呼ぶ語」(五版)に対しては、「この『悪強い』が読めない。意味も判然としない」(p.143)と批判しているが、六版ではこの表現が「乱暴な」と書き換えられている。また、五版で新たに採録された「でくわす」に「出会す」という漢字表記しか認められていないことも指摘しているが(p.154)、六版で「出交す」が加えられた。ちなみに、現代言語セミナー『辞書にない「あて字」の辞典』(講談社+α文庫1995)は、他に「邂逅す」「出逢す」「撞見す」「遭遇す」の当て字の用例を示している。
それから、「広辞苑の『伝説的』の定義がほしい」(p.181)という要望にも六版は応えているし、(「学生語」と注記される)「シャン」「エッセン」は「すでに学生語ではないだろう」という指摘(p.193)に対しては、「旧制高校の学生語」と訂することでこれに応えているし、「トマト」「たまねぎ」の語釈中の「重要な野菜」(p.202)という表現も消えている。
次に、七版で変更された点について述べる。
こちらも柳瀬氏の指摘するところであるが、鷗外の史伝に見える語で、かつ『大辞林』や『大辞泉』が採録した「記性」「校讐」「逆推(げきすい)」「救解」「時尚」は、いずれも五版にない。六版にはこのうち「時尚」のみ採録されたが、「記性」「救解」は七版から追加されている。「校讐」「逆推」は七版にも採録されていない。
「ゴールデンバット golden Bat」は「大辞泉のように(Golden と)大文字で示すのが正しい」(p.138)が、六版では小文字のまま。しかし、七版では“Golden Bat”と明記されている。
細かいことだが、「じゅげむ【寿限無】」の項の語釈、六版まで「雲行末」となっていたところが、七版では「雲来末」となっている。「けいたい【携帯】」の項、六版は第二義として単に「携帯電話の略」と記されていたところが、七版では「(「ケータイ」とも書く)携帯電話の略」となっている。「みみざわり【耳障り】」の項、六版は「「―がよい」というのは誤用」と記していたが、七版は項目を二つに分け、次のように処理している。
みみ‐ざわり・・ザハリ【耳触り】聞いた感じ。耳当たり。「―のよい言葉」
みみ‐ざわり・・ザハリ【耳障り】聞いていやな感じがすること。聞いて気にさわること。「―なことを言うが」「―な雑音」
「みみざわり」については、「日本語の用例拾い」を参照のこと。
また、「にやける」は六版まで俗用に言及がなかったが、七版は第二義として、
俗に、にやにやする。「―・けた顔」
を掲げている。
以下は、H氏に教わったことである。
まず「敷居が高い」。六版の語釈は、
不義理または面目ないことなどがあって、その人の家に行きにくい。敷居がまたげない。
となっていたが、七版では、
不義理または面目ないことなどがあって、その人の家に行きにくい。また、高級だったり格が高かったり思えて、その家・店に入りにくい。敷居がまたげない。
となっており、新しい意味を許容しているようである。
次に、「ばくしょう【爆笑】」。六版の語釈は、
大勢が大声でどっと笑うこと。「―の渦につつまれる」
であったが、七版は、
はじけるように大声で笑うこと。「―の渦につつまれる」
となっており、「大勢が」という但し書きがなくなっている。「爆笑」については、「『爆笑』誤用説」をご参照いただきたい。
さらに、一部の字体については拡張新字体を採用している。例えば六版まで「祈禱」だったのが、「祈祷」となっている。
形の上では、「祈祷」を採用した初版に、いわば「本卦還り」したことになるが、H氏によると、
広辞苑は現在、個々の漢字ごとに方針を決めているのではなく、「人名用漢字(表一)で複数の字体が掲げられている字種については、簡略字体のほうを採る」という内規をもうけ、それを「表外漢字字体表」以降に人名用漢字入りした字種・字体にも適用している(適用しなくていいのに)と思われます。
とのことである。『広辞苑』と(「祷」を含めた)拡張新字体との複雑な関係については、石山茂利夫『国語辞書 誰も知らない出生の秘密』(草思社2007)の第5章「国語改革熱が刻印された辞書たち(上)」をぜひ参照していただきたい。
(※文中の『広辞苑』第六版は、2008.1.11第六版第1刷を参照している。第七版の変更点と見なした諸点のなかに、第六版の増刷で微修正されたものが含まれているかもしれない。その点、どうかご諒承願いたい。)
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*1:修訂版は1939年発行。手許のは1952.11.28刊の新装版。
将を射んと欲すれば
日本で言い慣わされている漢籍由来の故事成句は、漢籍における元々の表現とは異なった形で人口に膾炙している、ということがしばしばある。
例えば、『史記』巻九十二「淮陰侯傳」にみえる「敗軍之將不可以言勇」(敗軍の将は以て勇を言ふべからず)は、日本では専ら「敗軍の将(は)兵を語らず」として知られる。
これが有名になったのは、1978年11月の福田赳夫(1905-95)の発言の影響もあるかもしれない。福田は、かねて“総裁予備選で二位になった者は本選を辞退すべきだ”と主張していたが、予備選で大平正芳に敗れたため、その発言が自らの首を締めてしまうこととなる。そして福田は本選辞退に際して、会見で、
天の声にも変な声がたまにはあるな、とこう思いますね。ま、いいでしょう。今日は『敗軍の将、兵を語らず』で行きますから。へい、へい、へい。
と述べた。わたしは、もちろんこれをリアルタイムで見たわけではないが、「三角大福中」時代を扱ったテレビの特集番組などでよく流れるので、何度か目にしたことがある。もっとも当時は、「天の声にも変な声がある」の方が有名になったようだけれど。
また、その福田発言よりも前のことだが、神代辰巳『かぶりつき人生』(1968日活)*1には、「『敗軍の将、黙して語らず』――こない言いまっしゃろ」という台詞が出て来る。
いずれにせよこれらは、出典とされるものとは違う形で受容されてきたといえる。
「敗軍の将、兵を語らず」に似た例として、「将を射んと欲すれば先ず馬を射よ」が挙げられる。先日、明野照葉『魔家族』(光文社文庫2017)を読んでいたら、主人公の西原早季がこの「諺」を反芻するので、妙に引っかかったことだった。
だが、その時早季の頭に浮かんだのは、「将を射んと欲すれば先ず馬を射よ」という諺だった。言うまでもなく将は恭平で馬は梨子だ。(p.89)
(やっぱり将を射んと欲すれば……だ)
恭平と関係を持った後の早季の目標は、梨子と会うことになった。(p.106)
「将を射んと欲すれば……」は忘れてはならない諺だろうが、言うまでもなく早季の一番の目的は馬ではない。将である恭平だ。(p.109)
「妙に引っかかった」というのは、早季が二十五歳という設定だからで(2017年時点)、二十代半ばの女性にしてはやけに大人びているな、と感じたのである。
それからずっと遡るが、増村保造『最高殊勲夫人』(1959大映)にもこれに類する表現が出て来る。劇中でテレビプロデューサーに扮した夏木章が、杏子=若尾文子と結婚したいがために、まずは杏子の父・林太郎=宮口精二から攻め落としたというつもりで、
将を得ようと思い、いま馬を得たところです。
とうっかり口にしてしまう。間、髪を容れず宮口が、「わしゃ馬かね」と応じて、クスリとさせられる一齣だ。源氏鶏太の原作『最高殊勲夫人』*2で夏木が演じた人物にあたるのは「風間」だが、この風間は、「紳士の中の紳士」で通っているため、上述のような軽々しい台詞はそもそも口に出さない(つまりキャラクター設定が映画で改変されている)。
また、最近復刊された安達忠夫『素読のすすめ』(ちくま学芸文庫2017)*3は、「将を射んと欲すれば先ず馬を射よ」なる小見出しのもと、
英和大辞典などで知られる市川三喜博士のばあい、昆虫学に凝って英語の文献を読みあさっているうちに、語学や言語学への興味がまし、結局その道の専門家になってしまいました、と述べておられた。これはむしろ、「将を追い求めんと欲すれば自ずから馬に習熟す」とでもいうべきか。
いずれにせよ、生涯を賭けて追い求めるに値するほどの大将(=対象)に出逢うことが、真剣な練磨のきっかけになり、持続性を生む。(p.40)
云々、と書いている。
「将を射んと欲すれば」などというと、いかにも漢籍由来らしくおもえるが、これは、杜甫の「前出塞」九首の其六の三〜四句に「射人先射馬/擒賊先擒王」(人を射ば先づ馬を射よ、賊を擒〈とりこ〉にせば先づ王を擒にせよ)と出るのが元の形である。
つまり、「将は」「欲すれば」という表現は出て来ない。
鈴木棠三・広田栄太郎編『故事ことわざ辞典』(東京堂出版1956*4)は、「人を射んとせば先ず馬を射よ」を本項目とし、「将を射んとせば馬を射よ」を空見出しとする。「将を射んと欲すれば」の形は掲出していない。
井波律子『中国名言集 一日一言』(岩波現代文庫2017)*5も、これを十月五日の條で取り上げているが、見出しは「人を射ば先ず馬を射よ」で、文中に、
俗諺「将を射んと欲すれば先ず馬を射よ」はこれにもとづく。(p.292)
とあり、「将を射んと…」を「俗諺」と見なしている。
なお、小林祥次郎『日本語のなかの中国故事―知っておきたい二百四十章』(東京堂出版2017)は「人を射んとせば先ず馬を射よ」と読み下しており、「今は『将を射んと欲すれば先ず馬を射よ』と言うほうが多い」(p.395)と述べ、太宰治の使用例(「将を射んと欲せば馬を射よ」)を紹介している。
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飯間浩明氏の新著
先日、飯間浩明『小説の言葉尻をとらえてみた』(光文社新書2017、以下『言葉尻』)を読んだ。特におもしろく読んだところを抜書きしてみる。
「愛想を振りまく」
先回りして言っておくと、この表現(「愛想を振りまく」―引用者)は誤用ではありません。でも、誤りと主張する向きはあります。「振りまくのは『愛敬』であって、『愛想がいい』が本来の言い方なのだ」と。
この「本来」というのはくせ者でしてね。調べてみると、たいした違いはないことが多いのです。「愛敬を振りまく」は一八八六年の饗庭篁村(あえばこうそん)「当世商人気質(あきゅうどかたぎ)」に例があり、「愛想を振りまく」は一九一一年の徳冨蘆花(とくとみろか)「謀叛(むほん)論(草稿)」に例があります。どちらも百年以上の歴史があり、もはや定着しています。
「愛想を振りまく」は、ほかに、北原白秋(はくしゅう)・久生十蘭(ひさおじゅうらん)・山口瞳・井上ひさし・倉橋由美子らの例も拾いました。文学的表現としても、実例に富んでいます。
ではなぜ「愛想を振りまく」が誤用とされたのか。一言で言えば、印象で断定されたんですね。かつて「愛想を振りまく」は、使用頻度が「愛敬を振りまく」より低かったのは事実です。それで、「そんな言い方はない」と拙速に考えられたのでしょう。(pp.33-34)
これについては、例えば最近の神永曉『悩ましい国語辞典』(時事通信社2015)も、「雰囲気は振りまくことはできても、実際の動作は振りまくことができない」(p.11)という観点から「愛想を振りまく」を認めていない。一方で、『明鏡国語辞典【第二版】』(大修館書店)などは、「愛嬌(愛敬)」の項で「愛嬌を振りまく」「愛想を振りまく」両形を認めている。
「愛想を振りまく」「愛敬を振りまく」が同一作品の中に混在する珍しい例を挙げておく。
ヒップ大石は、小倉汀や赤鈴雛子に愛想をふりまきながら宣伝カーの中に姿を消した。(「右腕山上空」泡坂妻夫『亜愛一郎の狼狽』創元推理文庫所収p.51)
ヒップはゴンドラの中でまわりの子供たちに愛敬をふりまいている。(同上p.62)
「足下をすくう」
「『愛想』は振りまけない」、という言葉とがめに似たものとして、「『足下(あしもと)』はすくえない」、というのがある。これも『言葉尻』p.133-35に出て来る。
実はこの表現(「足下をすくう」―引用者)、一部では少々評判が悪いのです。
平成十九(二〇〇七)年度の文化庁「国語に関する世論調査」で、「『足下(あしもと)をすくわれる』と言うか、『足をすくわれる』と言うか」が問われました。約七割の人が「足下をすくわれる」を選びました。べつに意外ではない結果です。
ところが、調査を報告した文書には、「足をすくわれる」が「本来の言い方」と記されました。国語辞典にも「足下」は「本来は誤り」と記すものがあり、それを踏まえてのことだったのでしょう。マスコミはそれを受け、「『足下』は誤り」と報道しました。(略)
でも、「足下をすくう」は、誤りと断定することはできない表現です。
ことばの実際の歴史を見ると、「足をすくう」は一九一九年から例が確認されています。対して、「足下をすくう」は三十年ほど遅れ、一九五〇年代から例があります。川端康成(かわばたやすなり)「千羽鶴」(一九五二年)にも出てきます。
〈菊治は足もとをすくわれた驚きで、その驚きをかくすのにも不用意だった〉
「足下」は、足の下の地面のことなので、すくえるはずがない、という意見があります。でも、「犬が足下にじゃれつく」という表現はよくあり、問題にもされません。この場合の「足下」は足の先の方のことで、この部分は、すくうことができるのです。(略)
「足下をすくう」を使う作家は、ほかに瀬戸内寂聴(じゃくちょう)・司馬遼太郎(りょうたろう)・城山三郎・田辺聖子・筒井康隆らがいます。(pp.134-35)
飯間浩明『三省堂国語辞典のひみつ』(三省堂2014→新潮文庫2017)pp.45-47(文庫版だとpp.63-66)もこの問題に言及していて、そこでは「千羽鶴」が「1949〜51年」の作品(つまり雑誌媒体への連載期間)となっている。また、河野多恵子や見坊豪紀の使用例も拾っている(それぞれ1962、1977年の用例である)。
以下、わたしが拾った1950年代の「足下をすくう」の例。
チャーリー桜田(笈田敏夫)「いいですよ。足もとからすくってやりますよ」
ボス・持永(安部徹)「そのうち足もとをすくわれねえようにしろよ」
(井上梅次『嵐を呼ぶ男』1957日活)
その足許を、見事にすくわれたようで、いまいましかった。(源氏鶏太『最高殊勲夫人』ちくま文庫2017:24←1958〜1959連載)
やや新しい例(といっても二十年以上前)。
古畑任三郎(田村正和)「本来なら証人発言を残しておくための裁判記録に足もとをすくわれましたね」(「警部補古畑任三郎2nd第1話『しゃべりすぎた男』」1996.1.10)
先日放送された「相棒」season16の第1話(10月18日放送)には、浅利陽介の科白に「足をすくわれる」が出て来たけれど、あるいは、このような例が後世に至って、「この時代は『足をすくわれる』の方がよく使われていた」という「証左」になりはしないだろうか、とも思う。
これはいわば言葉の「規範意識」が強く反映されたもの、と見なすべきではないか。
『言葉尻』は、朝井リョウ『桐島、部活やめるってよ』に、ただの一度も「ら抜き(ar抜き)言葉」が使われていないことについて、「物語の作者の意図が強く感じられる」「いわば文学的加工を施した」(p.27)と評しているが、このように「規範意識」が強く表れた部分(鑑)と、実態がそのまま表れた部分(鏡)とを、後世の観点から区別するのはむつかしい。だからこそ、ある特定の時期の一例や二例でことばの使用実態を判断してはいけない、ということにもなる。
「準備(は)万端だ」
前述の「相棒」第1話には、確か反町隆史の科白だったかに、「準備万端です」「苦肉の策」も出て来た。後者は漢籍にみえる「苦肉計」などとは違う使われ方をしている、というもので、言葉とがめの本などでよく論われている。前者の「準備万端」は『言葉尻』にも出て来る。これは、「万端」には「あらゆる事柄」という義しかないはずなのに、「準備万端」単独で「準備万端整った」を意味する、ということであって、
似た言い方の例は、他にもあります。たとえば、「しあわせ」ということば。もともとは「巡り合わせ」ということで、「仕合わせがよい」は「巡り合わせがよい。幸運だ」の意味でした。ところが、「ああ、仕合わせがよい」が省略されて「ああ、仕合わせ」となり、「しあわせ(幸せ)」だけで「幸運」を表すようになりました。
あるいは、「天気」もそうですね。「天候」という意味で「今日は天気がいい」と言っていたのが省略され、「今日は天気だ」「お天気だ」などと言うようになりました。「天気」だけで「晴天」の意味を表しています。
現在、「準備万端」は誤用だという批判もあります。でも、(略)これもまた省略の一種、つまり、「準備万端」だけで「準備万端整った」の意味を表すようになったと考えれば説明はつきます。(pp.231-32)
「天気」をめぐる話で思い出すのが、(再掲だが)吉田戦車氏と川崎ぶら氏の共著『たのもしき日本語』(角川文庫2001)。
戦車●(略)「男前」にもいろいろあるからな。
ぶら■その男前だが、元々単語自体には「良い容貌」という意味はないようなのさ。男前が上がる、男前がいいね、などと遣うのが本来で、それで初めて褒めている意味になるものでな。言ってみれば「天気」のようなものさ。「いい天気」と言えば、普通は晴れのことだが、「お天気でよかったね」と言っても晴天を意味する。
戦車●「明日天気になあれ」と歌っても、初めから天気は天気だからな。(p.225)
国広哲弥『日本語誤用・慣用小辞典〈続〉』(講談社現代新書1995)も類例を挙げている。
「実力」という語がある。「抜き打ちテストをやって学生の実力をためす」と言うときの「実力」は〈見かけではなく実際の力〉という意味であり、実力の程度はゼロから満点の範囲にまたがる。つまり中立的な意味の「実力」である。ところが、「彼は実力がある」と言うときは〈平均以上の、かなり高い実力〉を指している。「私は実力がないから駄目だ」というときも、実力がゼロだというのではなくて、〈高い実力がない〉と言っているのである。つまりプラス値の実力を指している。一般化して言うならば、ある種の語は「プラスマイナス値」と「プラス値」の両義を持っている。
類例を続けよう。「あの人は人格者だ」と言うとき、〈普通以上に立派な人格を持っている〉ということであり、「あの人は人物です」というときも〈偉い人物〉ということである。(p.229)
「結果を出す(=よい結果を出す)」「評価する(=たかく評価する)」もこの例に当たろうか。古いところでは「分限(者)(=金持ち)」などもそうだと言えるかも知れない。
このように、ニュートラルな表現が「プラス値」を持つことになる理由について、国広氏は別の本で次の様に述べている。
プラス方向に変っている理由を断定的に説明するのは難しいが、恐らく、プラス方向の方が「目立ち度が高い」(salientである)ということではないかと考えられる。(『理想の国語辞典』大修館書店1997:69)
これとは逆の例――すなわち「プラス値」だったのが、ニュートラルな意味になったものとして、「相性(合性)」がある。
神永曉『さらに悩ましい国語辞典』(時事通信社2017)には次の如くある。
なお、『大辞泉』(小学館)には補説として、「『相性が合う(合わない)』とは言わない」という説明がある。これは、「相性」にはお互いの性格が合う意味もあり(かつては「合性」という表記もあった)、「相性が合う(合わない)」では重言(同じ意味の語を重ねた言い方)になってしまうからである。やはり「相性」は「相性がいい(悪い)」と言うべきであろう。
「相性」が本来「お互いの性格が合う」という意味であったとすれば、もともとは単独で「プラス値」だったということで、そうすると、「相性が悪い」という言い方はありにくい、ということになりはしないか。以下、「相性」が「プラス値」の義で使われた例――。
『言葉尻』に戻ると、マイクテストで「メーデー、メーデー」と言うの(p.42)は初耳であったが、わたしと同世代の人(特に男性)ならば、あるいは、東映メタルヒーロー「特警ウインスペクター」のOP曲、「Mayday, Mayday, S.O.S」という歌詞を思い出されるかもしれない。救難信号の一種だということは、そこで「学んだ」のである。
「いさめる」
これを書いていて、ふと思い出したこと。「いさめる」について、飯間氏は「ことばをめぐる」の「子を『いさめる』」(1998.8.15)で、辞書にはおおむね「目上の人に対して忠告する意味で使われる」と説明されるが、と前置きした上で、親が息子を「いさめる」という用例が鎌倉期の『平家物語』『徒然草』に見える、と述べているが、江戸期(十八世紀)に至っても同様の例がみえる。
母なる人の、「いざ寝よや。鐘はとく鳴りたり。(略)好みたる事には、みづからは思したらぬぞ」と諫められて、…(上田秋成「二世の縁」)
(親が子を―引用者)「此の頃は文明、享禄の乱につきて、ゆきかひぢをきられ、たよりあししと云ふ」など、一度は諫めつれど、…(上田秋成「目ひとつの神」)
「目上の人に対して」と説明されるようになったのは、一体いつの頃からなのだろうか。
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「功を奏する」か「効を奏する」か
再掲だが、ここに、「日本文学全集」第30巻(池澤夏樹個人編集)『日本語のために』(河出書房新社2016)所収の松岡正剛「馬渕和夫『五十音図の話』について」(pp.261-68)から、
問題を五十音図だけに絞っているのも効奏した(p.267)
という箇所を引いた。「効奏」は、「奏効」ないし「奏功」の誤だろう。ただし 原文には当該箇所がない。
「奏効」「奏功」は、つまり「効を奏する」「功を奏する」ということで、以前わたしはこの表記の違いが気になって、辞書を引き較べてみたことがある。
その時のメモが残念ながら見当らないので、手許の資料だけを頼りにこれを書くことにしよう。
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文化庁編『言葉に関する問答集【総集編】』(大蔵省印刷局1995)は、「『奏功』と『奏効』の使い分け」(pp.156-57)という問いを立てて、これについて説く。
同書は、「奏功」は「てがらを天子に申し上げる」、転じて広く「功が成就する」を意味することになったと述べ、これが「ききめ」「効験」の意味で、「新薬が奏功した/事前の根回しも奏功しなかった」などと使われるようにもなった、とする。その結果、この用法に限って「奏効」の形も行われるようになったという。ただし、「功が成就する」義の「奏功を見る/奏功を確実にする/偉大な奏功/策略が奏功した」などを「奏効」と表記するのは誤りだと断じている。
もっとも、「中国の古典にも『効験』の意味で『奏効』の用例が見られるから、『奏効』という形を誤りとすることはできない」とも記しており、そのうえで次のように述べる。
国語審議会でこの種の問題を取り上げた際の報告「語形の「ゆれ」について」(昭和36)の中の「漢字表記の「ゆれ」について」の扱いであるが、「奏功(奏効)」の形で、3の例として示されている。そこにはほかに「記念(紀念)」「親切(深切)」などがあり、次のように解説されている。
漢字表記にゆれがあるといっても、その一方が一般的であるということで解説のよりどころとすることができるものもある。
その点で「奏功」を一般的だとするのが、この場合の扱いである。
ただし、この3のグループでは、この種の語を例示したあとに、次のような解説も加えられている。これらのうち、「集荷・集貨」「冗員・剰員」「奏功・奏効」「滞貨・滞荷」などは、むしろ8の例として扱ったほうがよいかもしれない。
ここで8の例というのは、「特に必要のある場合のほかは、かっこの外のものを使うようにしたらよい」とするグループのことで、「探検(探険)」「精彩(生彩)」などが例示されている。いずれにしても、「奏功」と「奏効」については、「奏効」も誤りではないが、「奏功」の方が好ましいという扱いである。『新聞用語集』に「奏効→奏功」のように掲げられているのも、このような事情によるものである。(pp.156-57)
この『新聞用語集』が何年版なのかは不明だが、2007年版の新聞用語懇談会編『新聞用語集』(日本新聞協会)では、「こうをそうする(効を奏する)→功を奏する」「そうこう(奏効)→(統)奏功」というふうに、漢語とそれを読み下したものとの両形が示されている。
さて上の引用から、旧国語審議会の「語形の「ゆれ」について」は、「奏功」「奏効」を同義とみているようでもあり、『問答集』の態度とは立場を異にしているようにも思える。『問答集』は、「功が成就する」という意味で「奏効」を用いるのは誤りとしていたのだから。
では実際に、「奏功」「奏効」の明確な使い分けはあったのか、どうか。
この表記の違いのあいまいさに言及したものとして、石山茂利夫『今様こくご辞書』(読売新聞社1998)が挙げられる。石山氏はかつて、「功を奏する」が正しく「効を奏する」は誤りだと思っていたそうだが、十九種の国語辞書を引いてみて驚いたという。
「功」と「効」の項目で、「功を奏する」と「効を奏する」の両形を掲載しているのが九種、「功を奏する」のみが九種。驚いたことに、「効を奏する」だけという辞書も一種あった。『三省堂国語辞典』だ。「奏功」は見出し語にしているが、「功を奏する」と「効を奏する」のどちらか一つとなれば、「功」の方ではないだろうか。いずれにしろ、半分以上の辞書が「効を奏する」を載せている。どの辞書にも誤用の注記はない。
もっと不思議なことがある。見出し語「功」の意味説明の中にある、用例の「奏功」や「功を奏する」の掲載場所だ。「手柄」の意味のところに入れている辞書もあれば、「効き目」の意味の項に載せている辞書もある。「功」に効き目の意味があることを初めて知ったが、それにしても「功を奏する」と使う場合の「功」の意味は、手柄のことではないのか。
『大漢和辞典』などいくつかの漢和辞典を見る。「功」と「効」は、なんと、手柄と効き目という意味で共通しているのである。「奏功」「奏効」の熟語も『大漢和辞典』では類義語扱いだ。『大漢和辞典』の説明は次のようになっている。
「奏功」――〈功をたてる。又、事の成功を君に言上する。転じて、広く事の成就すること〉
「奏效(効)」――〈(1)いさをを奏上すること。(2)ききめがあらはれる。效を奏する。奏功〉
「奏功」や「功を奏する」を、見出し語「功」の意味のうち、効き目のところに配している七種の国語辞典の根拠は、ここにあるのだろうか。(略)
『広辞苑』四版。見出し語「奏効」に〈(「奏功」の誤記から)〉の注がある。三版にはない。あえて、「誤記」と入れるには、相当な勇気がいる。日本語における「奏効」誕生にまつわる資料を新たに発掘、満を持しての記述に違いない。漢字の迷路から脱出する突破口になると期待したのだが、空振りに終わった。勘違いによる誤りとのことだった。(p.78-79)
そして石山氏は、『学研国語大辞典(第二版)』(1988)が挙げた森鷗外『阿部一族』の〈図らず病に罹って、典医の方剤も功を奏せず、…〉などの用例を根拠に、「つまるところ、(過去の文人たちは)漢和辞典に見る『功』と『効』の密接な関係を踏まえた、自在な使い方をしている印象がある」(p.82)と結論している。
ちなみに、石山氏の文中に見える『三国』は第四版(1992)をさすが、最新の第七版(2014)は、「効を奏する」だけではなく「功を奏する」も見出し語(成句)として掲げており、「功を奏する(1)成功する。奏功する。(2)→効を奏する」「効を奏する(1)ききめをあらわす。奏効する。(2)→功を奏する」と、両者は互換性のある表記と見なしている。
山田忠雄ほか編『新明解国語辞典(第七版)』(三省堂2012)は、「功を奏する」を見出し語として、「(一)目的通りに事をなし遂げる。(二)薬の効果があらわれる」という語釈を施し、「表記」欄で、「(二)は「効を奏する」とも書く。」と注する。また「そうこう」の見出し下には「【奏功】しようと思った事を目的通りに為し遂げること。【奏効】ききめが現われること」とあり、「奏功(功を奏する)」「奏効(効を奏する)」をはっきり区別していることが分かる。「功を奏する」の第二義を、なぜ「薬の効果」に限っているのか不明だが。第三版(1981*1)を見てみると、「奏功」「奏効」の語釈は表記に小異があるがほぼ同じ。一方、「こう〔功〕」の見出しのもと、「(一)(りっぱな)仕事」のほか「(二)ききめ」の語釈を掲げ、(二)のところで「功を奏する」という表現を認める。つまり「奏功」「奏効」の両者を区別するものの、「功」には薬に限らず、「ききめ」一般の義があると見なす。
西尾実ほか編『岩波国語辞典(第七版)』(岩波書店2009)も、「奏功=従事していることが首尾よくできて、功をおさめること」「奏効=物事の効果があらわれること」と語釈を施しており、両者を区別する。
石山著が刊行された後に出た北原保雄編『明鏡国語辞典(第二版)』(大修館書店2010)は、日本語の「俗用」「誤用」にうるさいことでも知られるが、「功を奏する 成功する。うまくいく。(略)【表記】「こう」は「効」とも書く」、「こう【効】」の欄にも「ききめ。『―を奏する(=功を奏する)』とあるから、両者が通用することを認めている。意外なことに、ゆるやかな運用である。
一方「そうこう【奏効】」については、「表記」欄に、
効果に視点を置いて「奏功」が「奏効」と書かれるようになった語。新聞では「奏功」を使う。
とあり、『問答集』と同様のことを述べている。
では、古い辞書類はどうか。まず、実質的に見坊豪紀が執筆した金田一京助編『明解國語辭典(初版)』(三省堂1943*2)は、
そお‐こお【奏功】ソウコウ(名)(一)使命の經過を奏上すること。(二)なしとげること。(三)奏效。
そお‐こお【奏效】ソウカウ(名)ききめがあること。奏功。
と両者の通用を認める。
もう少し遡る。一部引用を略すが、上田萬年『ローマ字びき國語辭典』(冨山房1915*3)は、「奏功」の表記のみ掲げ、「1.成功したことを,申し上げること. 2.ききめがあること.効驗のあらはれること. 3.成功すること.」と解する。翌々年刊の井上哲次郎ほか編『ABCびき日本辭典』(三省堂)も「奏功」の表記のみ掲げ、「(い)使命又は職事などををへて、其經過を奏上すること。(ろ)事功を成就すること。成功すること」とする。こちらには「ききめ」がない。
その少し後に出た、大町桂月監修『國語漢文ことばの林』(立川文明堂1922*4)も「そうこう(奏功)手柄をたてるコト」のみ、大正末年の大町桂月編『コンサイス新辭典』(文武書店1925*5)も「そうこう【奏功】手柄をあらはすこと」しか採録していない。同時期の保科孝一ほか著『大正漢和字典』(育英書院1926)も、やはり「【奏功】ソウコウ てがらをたてる「日露役に奏功して金鵄勳章を授けらる」」のみである。
さらに遡る。湯淺忠良編輯『廣益熟字典假名引之部』(片野東四郎1875刻成)も、「奏功(ソウコウ)テガラヲ申シアゲル」(八十三丁ウ)のみ。中村守男輯『新撰字解』(奎文閣1872官許*6)は、「奏功」を「コウヲソウス」と読み下しており、「テガラヲ天子ヘモウシ上ル」(四十九丁ウ)とする。
こうして見てくると、日本語としての「奏効(効を奏する)」は、「奏功(功を奏する)」の新しい表記とも見なせそうである。まだまだたくさんの辞書等を見る必要があるし、簡単に結論してはいけないけれども。
では、「奏効(効を奏する)」表記の古い用例はどこまで遡れるのだろうか。
さきに見た石山著は、『新潮現代国語辞典(第一版)』(1985)が芥川龍之介『点鬼簿』の「生憎その勧誘は一度も効を奏さなかった」という用例を引き、また『学研国語大辞典(第二版)』が谷崎潤一郎『細雪』の「いろいろのことが効を奏して案じた程でもなく良くなっていった」という用例を引くことに言及している。
わたしの見つけた用例としては、同じ芥川の、
僕は佐藤春夫氏と共に、「冥途」を再び世に行わしめんとせしも、今に至って微力その効を奏せず。(「内田百間氏」*7石割透編『芥川竜之介随筆集』岩波文庫2014:361)
が挙げられる。同時期のものに次の例がある。
この例などは、はっきりと「ききめ」に力点を置いた用例といえる(ちなみに吉川の『鳴門秘帖』に関しては、ここで書いた)。
ちょっと時代が下るが、
この我の勸告(すゝめ)は、なんらの效もなく、無知なる輩の勸告ぞ、效を奏しぬ。(豊島与志雄訳『千一夜物語(一)』岩波文庫1940:107)
というのもあった。
戦後であれば、
いつかはこの毒入りのアンプルが効を奏することは当然期待出来た(高木彬光『人形はなぜ殺される(新装版)』光文社文庫2006(←1955)*8:368)
この思い切ったほのめかしで、実直なる宿屋の亭主の疑念を消そうとしたのである。これはありがたいことに、いくぶんの効を奏した。(西村孝次訳/バロネス・オルツィ『紅はこべ(新版)』創元推理文庫2017(←1970修訂←1958)*9:254)
などがあり、後者の西村訳には、「この国がまたもや労多くして効少ない戦争に乗り出すには」(p.34)という用例も見られるから、「功」「効」両字を通用しているらしいことが知られるのである。そういえば、この「労多くして功(効)少なし」という表現こそ、「功」に「ききめ」の義があることを示す成句だといえないだろうか。
最後に、「青空文庫」を探ってみると、「奏効」のもっと古い例――南方熊楠『十二支考』の「蛇に関する民俗と伝説」(1917)の「これらいずれも応急手当として多少の奏効をしたらしい」、同じく「猪に関する民俗と伝説」(1923)の「東洋に古く行われた指印から近時大奏効し居る試問法」が拾えた。さらに、吉川英治の『新書太閤記』の用例も引っかかった。
また、「効を奏」で検索したところ、谷崎潤一郎「途上」や豊島与志雄「文学以前」の用例、柳田国男『山の人生』『木綿以前の事』等が引っかかってきたから、芥川、谷崎、豊島、吉川、柳田など、「効を奏する」という表記を好んで用いたらしい書き手には偏りがある、つまり一種の個性であるようにも思えてきたのだった。
もちろんこれも、簡単に結論を出せる問題ではない。とにかくたくさんの用例を集めてみるまでは、まだ何とも云えない。
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(所在不明のメモをもとにした文章の草稿が見つかった〈メモそのものではない〉。上の記述と重なる部分もあるが、上記で述べなかったことにも言及しているので、重複をいとわず以下に示しておく。2018.2.13記す)
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まずは、次のふたつの用例をご覧ください。同じ本から拾ったものです。
通行人をピンポイントで誘いこむ攻めのサクラ作戦は、その後も功を奏し、午後八時までに、八人の客を集めた。(荻原浩「砂の王国(上)」講談社文庫p.116)
仲村は人と話をする時に目を合わせようとしない。逆にそれが効を奏する気がしていた。(同pp.428-29)
いずれの文章にも、「ききめをあらわす」という意味で「コーをソーする」という表現が使われています。しかし、その漢字表記が異なっています。一方は「功を奏する」、もう一方は「効を奏する」。
はたして、このどちらが「正しい」表記なのでしょうか。
まずは、北原保雄編『明鏡国語辞典〔第二版〕』(大修館書店)を引いてみます。「コーを奏する」は、もともと「奏コー」という漢語に由来するので、「そうこう」を引きます。
そう‐こう【奏功】目的どおりに物事を成し遂げて成果を得ること。功を奏すること。
そう‐こう【奏効】効き目が現れること。効果が上がること。(表記)効果に視点を置いて「奏功」が「奏効」と書かれるようになった語。新聞では「奏功」を使う。
「功を奏すること」という語釈は、「同語反復(トートロジー)」といって、辞書としてはふさわしい説明のしかたではないのですが、それはともかくとして、このように両者とも見出し語に立っています。そして、「奏効」の項目の「表記」欄には、「効果に視点を置いて(略)『奏効』と書かれるようになった」、と明記しています。
この辞書によれば、「奏功」に比べて「奏効」は後出のもの、ということになるわけです。
では、少し古い辞書を開いてみましょう。たとえば、新村出編『言苑〔戦後第三版〕』(博友社、一九五一)を見ます。
そう‐こう【奏功】(1)事の成就したこと。成功。(2)功を奏すること。
こちらの辞書は、「奏功」しか挙げていません。とすれば、さきの「奏効」が後出で、本来の表記はやはり「奏功」なのではないか、この『言苑』が編まれた時期には「奏効」という表記が存在しなかったのではないか、とも思えてきます。
ところが、たとえば吉川英治『鳴門秘帖(二)』に、
目安箱の上書が効を奏して、…
という表記がみえ、また豊島与志雄が訳出した『千夜一夜物語(バルトリュス版)』(一九四〇刊)にも、
この我の勸告(すゝめ)は、なんらの效もなく、無知なる輩の勸告ぞ效を奏しぬ。(岩波文庫p.107)
とあるのです(「效」は「効」の異体字です)。
『新漢語林〔第二版〕』(大修館書店、二〇一一)を引いてみます。
【奏功・奏効】(1)てがらをたてる。(2)事の成功を君主に申しあげる。(3)できあがる。成就する。(4)ききめがあらわれる。奏効。◇一般に、功は手柄、効はききめとされる。しかし、功にはききめの意、また効にも手柄の意があり、「奏功」と「奏効」はほぼ同意と考えられる。ただ、昭和三十六年の国語審議会報告などの影響もあって「奏功」が一般的となっている。
文化庁の下部組織であった「国語審議会」の答申や報告は、こちらで見ることができます。
この文章がさしているのは、「語形の『ゆれ』について」という報告のことでしょう(※いずれもリンク切れ―2018.2.13)。
その第一部三節で、漢字表記の「ゆれ」があるものについて、「一方が一般的であるということで解決のよりどころとすることができるもの」の一例として、「奏功(奏効)」が挙がっています。
ただ注記として、「奏功(奏効)」などは、「むしろ8の例として扱ったほうがよいかもしれない」と書いています。そこで8節を見てみると、「漢字は一字一字意味をもっている」から厳密に書き分けることも可能だが、「漢字の意味の相違にあまりこだわることは,社会一般としては限度がある」。したがって、どちらが一般的かと考えた――ということがうかがいしれます。
いずれにせよ、この報告は「功」「効」に別々の意味があった、ということを言っているわけです。
しかし、さきに見たように、「功」「効」は同義といってもさしつかえないものです。(未完)
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- 作者: 池澤夏樹
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2016/08/26
- メディア: 単行本
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- 作者: 文化庁
- 出版社/メーカー: 大蔵省印刷局
- 発売日: 1995/03
- メディア: 単行本
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- 作者: 石山茂利夫
- 出版社/メーカー: 読売新聞社
- 発売日: 1998/07
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- 作者: 金田一京助
- 出版社/メーカー: 三省堂
- 発売日: 1997/11
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- 作者: 石割透
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2014/03/15
- メディア: 文庫
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- 作者: 吉川英治
- 出版社/メーカー: 講談社
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人形はなぜ殺される 新装版 高木彬光コレクション (光文社文庫)
- 作者: 高木彬光
- 出版社/メーカー: 光文社
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- 作者: バロネス・オルツィ,西村孝次
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 1970/05/20
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- 作者: 荻原浩
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2013/11/15
- メディア: 文庫
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