ただ「番外篇」を読みたいがために

保阪正康『昭和史 七つの謎 Part2』(講談社文庫)

昭和史 七つの謎 Part2 (講談社文庫)
単行本と文庫本とを、ダブりで購入することはほとんどありません。理由は簡単。それほどお金がないからです。
しかし今回とりあげた、保阪正康さんの『昭和史 七つの謎 Part2』(講談社文庫,以下『Part2』)はその例外で、単行本も文庫本も購いました。
この文庫本は、奥付に「2005年2月15日第1刷発行」とあるのですが、単行本(講談社刊)は「2004年2月15日第1刷発行」。つまり、ちょうど一年で文庫に入ったわけです。宝島社文庫のようなはやさ。なぜこんなにはやく文庫おちしたのかというと、それはたぶん、前著『昭和史 七つの謎』(以下『Part1』)が文庫化されるやいなや、たいへんなベストセラーとなったからでしょう。
あだしごとはさておきつ。私がなぜ、単行本につづいて文庫本も買ったのかというと、文庫化にさいして附された「番外篇 宮中祭祀というブラックボックス」が読みたかったからです。これは、著者の保阪氏と、原武史さんによる対談形式になっています。
保阪氏と原氏には、まず『Part1』の番外篇、「昭和天皇の『謎』」という対談(これも文庫化にさいして附された)があり、それがさらに発展して、『対論 昭和天皇』(文春新書)が刊行されるに至りました。二者の微妙なスタンスのちがい(誤解をおそれずに言うならば、「ジャーナリズム」と「アカデミズム」という相違)が、かえって意見のやりとりをスムースにしています。
そのため、この新書はもちろんですが、今回の対談もたいへんおもしろく読みました。標題にもあるように、ふだんはなかなか取上げられることのない「祭祀」について語る、という異色の対談になっています。その原氏によれば、祭祀問題は、「戦前と戦後で断絶したどころか、きわめて連続性があり、しかも強化されている」(p.262)のだそうです。この問題は、皇室について考えるうえで、あらたな視点のひとつたりうる、といえるのかもしれません。
もちろん、対談以外の「七つの謎」もひじょうにおもしろく、第3話「『陸軍中野学校』の真の姿をさぐる」では、精神性や作戦立案能力を重視したために情報戦に乗り遅れた軍部を批判し、第5話「昭和天皇に戦争責任はあるか」では、天皇制政治システムと天皇個人をきりはなし、「責任」という語の不透明さ(すなわち問いかけ自体に仕掛けられたトリック)を批判します。そして、第7話「田中角栄は自覚せざる社会主義者か」では、角栄が不知不識の間に選択していた政策は、社会主義的方法論にもとづいたものであったと喝破します。
このような保阪氏の自信に満ちた「回答」は、徹底的な取材能力と、そして厖大な数にのぼる「聞書き」とに支えられています。保阪氏のいわゆる「聞書き」とはなにか。そのことについては、まず原武史さんが、保阪正康『昭和史再掘』(中公文庫,2004)の文庫版解説で、

本書の著者、保阪正康さんは、(中略)今日でいう「オーラル・ヒストリー」の方法を確立した先駆者といってよい。(中略)最近になって、歴史学界でも従来の方法の限界が自覚され、オーラル・ヒストリーの重要性が認識されるようになったが、この在野の歴史家に学ぶべき点は多いはずである。(p.262)

と書いておられます。しかし保阪氏自身は、近年の「オーラル・ヒストリー」と、自分の「聞き書き」は別のものだ、と主張されています*1

昭和の空白を読み解く―昭和史の謎が明らかに
現在、「オーラル・ヒストリー」という語がよく用いられるが、単に証言を聞くだけでは、歴史にふれたということにはならない。その証言が正確か否か、あるいは真に証言に値するものであるか否かは、なべて聞き手の姿勢にもかかっている。(中略)私の聞き書きの旅は、文字どおりの「聞き書き」であって、オーラル・ヒストリーとは一線を劃したいと思っているが、オーラル・ヒストリーの危険性は証言が秩序化、管理化されるところにあり、そのことはやがて史実の固定化につながることにもなりかねない。その愚はいかなることがあっても避けるべきだというのが私の見解である。
保阪正康『昭和の空白を読み解く』清流出版,2003.「あとがき」p.310)

また、『Part2』の冒頭にも、

昭和史の謎を知性だけで解明できると思うのは傲慢であり、人間の心理を読む想像力や推理力を働かせることが重要になるといえるだろう。(p.14)

とあります。このような信念こそが、「保阪昭和史」の真髄でもあるのです。

*1:ところで、保阪氏は平成十年以降、この「聞き書き」をやめてしまったと書いておられます。『昭和の空白を読み解く』の「まえがきにかえて」に、「平成十年ごろから、私は『聞き書き』を中止している。その理由は簡単で、私の関心をもつ昭和初期や太平洋戦争について語れる人がいなくなったからだ」(p.15)とあります。なお、保阪氏の「聞き書き」についてもっと詳しく知りたい方は、『昭和史 忘れ得ぬ証言者たち』(講談社文庫,2004)と、その続篇的性格をもつ『昭和の空白を読み解く』とをご覧ください。約四千人にも及ぶ「聞き書き」対象者から、全部で九十一人の人たちが選ばれています。前者が社会的に名の知られた人々を取上げているのに対し(なんと言語学者服部四郎先生まで登場します)、後者はいわゆる「庶民」も取上げています。