復刊された『女と刀』のことなど

 四年前に「『女と刀』のことから」というエントリで、中村きい子の『女と刀』を復刊してくれないものか、と書いたことがあるけれど、それが三月にちくま文庫に入ったので、驚き、かつ嬉しく思ったことだった。
 ところでこの四年のあいだに、必要あって田宮虎彦「霧の中」(『落城・霧の中 他四篇』岩波文庫1957*1所収)を読んだのだが、主人公の中山荘十郎(旧幕臣の遺児という設定)、旧幕臣の鎌田斧太郎や岸本義介の生き方にも、『女と刀』のキヲに通ずるものを感じたものであった。
 もっとも荘十郎は、戊辰戦争の動乱時、「西郷吉之助の配下」(p.183)に父親を殺されたうえ、「薩摩の枝隊」(p.175)に母親や姉の一人を惨殺されている。それに斧太郎は、西南の役に参加して薩摩藩士を斬った側の人間である(p.184)から、キヲとはまったく逆の立場にある。しかし、たとえば斧太郎が「我々が生きていては文明開化には障りになる」(p.183)と云えば、義介は「所詮、負けたものの強がりほど見るにたえんものはない」(p.189)と云うように、その登場人物たちがみな近代国家としての日本から切り捨てられた敗残者であるということは共通している。
 表題の「霧の中」は、作中に、

加波山で鎮兵隊の縛についた人たちがすべてというのではないが、その大半が自分と同じ星の下を歩いている。生ま生ましい憤りが今は二十歳を越した荘十郎の胸にもえさかっている。二千という秩父の暴徒も多くは斧太郎や篠遠と變りない身上のものであろう。一寸さきの見えぬ霧の中にさまよっている。そこからぬけ出なければならぬ。だが、鎮臺兵に爆彈を投げることも巡査隊に銃火をうちかけることも所詮夏の夜の花火にすぎぬことだ。義介に言わせれば「巡査隊に鐵砲うったとて今の政治がびくとでもゆるぐものか」と冷たく笑うだけであろう。(p.188)

とあることに由来するのだろうが、この者たちも、恐らくは近代日本から取りのこされた敗残者なのであって、仇敵があまりに大きいため、あたかも霧中にいる如く標的を見失っている。結局そのような敗残者がいくら束になって目前の敵に立ち向かったところで、それは「所詮夏の夜の花火にすぎぬこと」、「日本」そのものは決して揺らがない。ところが、磐石であるはずの「日本」は第二次大戦の敗北であっけなく瓦解してしまって、主人公たる荘十郎は落魄と孤独のうちに死ぬ。物語は、そういった皮肉な結末を迎える。
 さて復刊なった『女と刀』(ちくま文庫)は、講談社文庫版に附された鶴見俊輔の解説にくわえて、斎藤真理子氏による解説をあらたに附している。斎藤氏がその解説で、

 中村きい子は、谷川雁の『サークル村』や森崎和江の『無名通信』(五九~六一年)に参加した鹿児島の作家だ。最近、森崎和江の『まっくら』が復刊されるなどサークル村関連の書き手が注目を集めているが、『女と刀』は、その中でも突出してポピュラーな人気を獲得した作品といってよい。(p.408)

と書いているように、森崎のデビュー作『まっくら―女坑夫からの聞き書き―』は、昨秋岩波文庫に入り(初の文庫化という)、増刷をかさねている。この『まっくら』の水溜真由美氏による「解説」も、やはり「サークル村」や「無名通信」に言及している(pp.316-21)のだが、わけても興味ふかく読んだのは、森崎の手法が石牟礼道子の『苦界浄土』第一部の白眉「ゆき女きき書」に影響を与えたというくだりや、研究者によるオーラルヒストリーにも刺戟をもたらしたというくだりである(p.327)。
 「オーラルヒストリー」と云えば、こちらもここ四年のうちに読んだ、保苅実『ラディカル・オーラル・ヒストリー―オーストラリア先住民アボリジニの歴史実践』(岩波現代文庫2018←御茶の水書房2004)のことがおもい出されるので、一寸紹介して置きたい。
 表題に「ラディカル」とあるように、同書で保苅氏は、既存の「オーラル・ヒストリー」とはまったく異なる方法論を提唱している。まず副題の歴史実践(historical practice)というのは、保苅氏によると「日常的実践において歴史とのかかわりをもつ諸行為」(p.55)であって、歴史学者による歴史研究のみならず、琵琶法師の弾き語りや寄席に古典落語を聴きに行く行為などをも包含するものだという。
 そのひとつの例を、保苅氏はグリンジ・カントリーのグンビン(アボリジニ)の長老のひとり、ジミー・マンガヤリの歴史語りにみている。従来のアカデミックな歴史家であれば、その語りを「歴史的な神話」「神話的な歴史」(p.126)などとみなし、人類学者の守備範囲だと考えてしまうところだろうが、保苅氏はそれを、「近代実証主義的な経験論(empiricism)とは異なる仕方で〈歴史への真摯さ〉*2を紡ぎだ」す(p.259)分析手法ととらえたうえで、「西洋近代に出自をもつ学術的歴史実践と、先住民グリンジの歴史実践とのあいだのコミュニケーション」(p.186、これを保苅氏は同書中で「共奏」と表現している)の可能性を探ろうとする。
 とは云い條、保苅氏は「グリンジ・カントリーで行われていた歴史実践を神秘化する意図はまったくない」(p.63)とことわっているし、「ジミーじいさんによる分析が、グリンジ社会の歴史観を代表しているわけではない。ましてや、オーストラリア先住民全体の歴史観を代表しているわけでもない」(p.150)とも述べ、安易な一般化からはまぬかれている。
 これまでにない挑戦の書でもあったからだろう*3、同書は「そうではなく」という言葉を多用して、明快な表現で誤解をひとつひとつ解きほごそうとしていく。
 保苅氏が試みたことは、現時点では恐らく歴史家による歴史実践のメインストリームとはなり得ていないだろうけれども、その叙述スタイルには好感がもてる。
 保苅氏は、翻訳のほかにはこの一冊のみを遺して、満三十二歳の夭さでこの世を去っている。
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 復刊といえば、この二月に、笠松宏至氏の『徳政令―中世の法と慣習』(岩波新書)が小瀬玄士氏の「解説」附きで講談社学術文庫に入ったことも欣快事であった。この『徳政令』は昨年、「笠松宏至『徳政令』」「「器量」の話―『徳政令』餘話」で紹介したばかりだった。
 またこれは復刊ということではないけれど、三年前に「国木田独歩「忘れえぬ人々」」「加藤典洋『日本風景論』のことから」でとり上げた「忘れえぬ人々」が、昨秋文庫化された庄野雄治編『コーヒーと小説』(mile books)に入った*4こともまた、おもいがけず、うれしい出来事であった。

*1:手許のは1988年の第4刷。某書肆の店頭百均にて入手がかなった。

*2:別のところでこの「真摯さ」は、次のような態度として説かれている。「(長老たちが語る)歴史は突然捏造されたりはしない。歴史は、日常的な歴史実践の中で何度も再現され、交換され、メンテナンスされるのである」(p.168)。

*3:同書は、保苅氏の博士論文の一部に加筆したものがもとになっている。

*4:忘れえぬ人々」のほかに、田山花袋少女病」もあらたに収められた。ちなみに目次では、誤記なのか、この新収録の二作品のみ著者名を逸している。