笠松宏至『徳政令』

 早島大祐『徳政令―なぜ借金は返さなければならないのか』(講談社現代新書2018)の第一章に、次のようにある。

 ここで、日本の歴史学において、債務破棄を意味する徳政令がどのように理解されてきたかをまず紹介しておこう。
 最初にとりあげるのは、笠松宏至氏の研究である。
 笠松氏は、著書『徳政令』のなかで、戦前からの研究史をたどりつつ、この徳政令と呼ばれた奇妙な法令が、研究史上、どのように把握されてきたかを述べていた。
 具体的には近代法制史研究の父である中田薫以降の古典的研究において、鎌倉時代後半以降に頻発した徳政が、「しばしばわが経済界を擾乱し、かつ当時における法制の健全なる発達を阻碍」するものと否定的にとらえられてきたことを指摘した上で、なぜ債務破棄が徳政と呼ばれたのかと問いを立て直し、元の持ち主に返す=あるべきところに返すことが、古代~中世の政治において徳政とされた可能性を主張した。
 近代的観点からなされた、債務破棄としての徳政を愚かしいものと断じる態度を一転させ、中世固有の思想にあり方に迫った作業は、歴史認識を文字通り百八十度転換させた画期的なもので、現時点でも色あせない業績と言えるだろう。本書を笠松氏の著書と同じ書名にしたのも、一つには笠松氏へ敬意を表明するためでもある。(pp.27-28)

 また、呉座勇一『日本中世への招待』(朝日新書2020)の「〈付録〉さらに中世を知りたい人のためのブックガイド」にも笠松氏の『徳政令』が挙げられていて、紹介文の末尾で呉座氏は、

 とはいえ、(笠松氏の著書で―引用者)1冊に絞れと言われたら、やはり『徳政令』(岩波新書)だろう。長らく絶版状態だったが、読者からの熱い要望に応え、最近復刊された。借金帳消しをいう現代の常識を超える法令がなぜ生まれたか。この素朴な疑問から出発して、中世法の本質に迫る、日本中世史研究を代表する名著だ。(p.272)

と書いている。これらの記述に触発されたこともあり、「最近復刊された」というので*1、昨年の初めに大型書店をいくつか廻ってみたのだが、『徳政令』は店頭には見当らず、既に版元品切となってしまっていた。そして気がつけば、マーケットプレイスでは結構な値がつけられていた*2。地道に古書肆を廻ればもっと安いのがそのうち見つかるだろう、と気長に構えていたところが、昨年末に散歩がてら這入った近所の小さな「街の本屋さん」ですんなり入手できたのだから(しかもたったの100円で)、本屋巡りというのは面白い。
 その本屋は新刊販売が中心なのだが、店内の約十分の一のスペースを占める形で古書用の棚も設置されており、岩波新書の青版や黄版、カバーのない時代の岩波文庫や角川文庫などが1冊100円で出ている。そこに笠松宏至『徳政令―中世の法と慣習―』初刷(1983年刊)を見出したのだった*3
 スリップがついたままだったので、おそらく新刊で売れ残って返本できずに倉庫かどこかで眠っていたものを店頭へ出してきたのだろう。
 とまれ、その『徳政令』を、この年始に味読していたのである。
 冒頭から、ひとつの偽文書の記述をもとに『吾妻鏡』の成立時期を「永仁五年以後」と断じたり(pp.13-14)、下久世の百姓らの陳状が原法令の「質券買得の地」を「質券売買の地」と書き替えた理由について解き明かしたりと(pp.22-24)、スリリングな考察が展開されるので、おぼえず引き込まれる。そして早々に、

 永仁徳政令で、Aという名の御家人が売った所領が、A御家人のもとへもどった。現代の所有の観念からすれば、何より大事なのはAという固有名詞である。しかし、このAをとり払ってみるとどうなるか。御家人の売ったものが御家人の手にもどった、ということになるだろう。もっと単純にいえば、それは「もとへもどる」という現象にすぎないのである。そして、もしこの、あるべきところへもどす(復古)政治こそが、徳政の本質であるとすれば、徳政と永仁五年の徳政令との間の違和感は、ほとんど消滅してしまうだろう。(p.54)

と結論らしきことを提示する。それから以下、「もとへもどる」ことが、中世社会において社会通念上決して不自然ではなかった、という事実が論証されてゆく。その過程で、笠松氏が重視するのが、いわゆる「中世語」の解釈である。
 同書では、たとえば「悔返す」(p.64)、「神物」「仏物」「法物」「僧物」「人物」(pp.65-76)、「本主」(pp.102-03)、「甲乙人」(pp.121-25)、「土風」(pp.131-32)、「時宜」(pp.134-35)といったことばが当時どのような思想のもとで使われていたか、という点に着目している。前掲の呉座著も、「笠松氏の研究の特徴としては、中世語への注目が挙げられる。現代では使われなくなった、あるいは現代とは意味が異なる中世の特異な語を蒐集し、その分析を通じて、中世社会独特の法慣習・価値観を浮き彫りにするのである」(p.270)と評する通りだ。
 笠松氏のその姿勢がよく表れているのが、以前「『首塚の上のアドバルーン』と『太平記』と」という記事で少しだけ触れたことのある、『法と言葉の中世史』(平凡社ライブラリー1993)だ(この本は呉座氏も紹介している)。ここに収められた「甲乙人」(pp.28-45)、「仏物・僧物・人物」(pp.86-119)を併せて読むと、『徳政令』に対する理解がさらに深まるし、『法と言葉の中世史』各論の問題意識も明確なものとなる。
 ちなみに、この「徳政」という現象が、鎌倉・室町期に限らず戦国期にもひろく見受けられることを教えてくれるのが、阿部浩一「戦国大名の徳政」(高橋典幸五味文彦編『中世史講義―院政期から戦国時代まで』ちくま新書2019、その第14講)である。阿部氏は、「為政者の法としての徳政令」が「中世社会の終焉とともに歴史の表舞台からは姿を消してい」った理由として、次のような説を提示している。

 一つは、徳政令が出されても公権力につながる蔵本たちには手厚い保護が与えられていたように、借銭・借米の破棄や土地取戻しを主内容としていた中世の徳政令そのものがきわめて限定的なところでしか有効性を発揮しえなくなっていたことがある。徳政免除や買地安堵にみられるように、債権債務関係や土地売買の安定化を求める社会的要請は確実に存在する。それ故に、戦国大名の徳政は「撫民」「善政」を幅広く含む内容のものとして民衆に訴えかける必要があった。(略)
 二つ目は、そうした「撫民」「善政」が本当に実現されるためには、災害や戦乱、代替りに発布される徳政令という限定的な法令ではなく、領国支配さらには社会全体の恒常的なシステムの中で構築されなければならなかった。(pp.244-45)

徳政令――中世の法と慣習 (岩波新書)

徳政令――中世の法と慣習 (岩波新書)

日本中世への招待 (朝日新書)

日本中世への招待 (朝日新書)

法と言葉の中世史 (平凡社ライブラリー)

法と言葉の中世史 (平凡社ライブラリー)

中世史講義 (ちくま新書)

中世史講義 (ちくま新書)

  • 発売日: 2019/01/08
  • メディア: 新書

*1:正確には「重版」だろう。どうも2016年のことらしい。

*2:その頃には、軽く1,500円を超えていた。

*3:ついでながら、このとき同時に入手したのが、同じ岩波新書黄版の鹿野政直『近代日本の民間学』であった。この本は、山本貴光吉川浩満『人文的、あまりに人文的』(本の雑誌社2021)で山本氏が「在野研究者や独立研究者というあり方に興味が」ある人にとって参考になる一冊として挙げていたので(p.116)、まさにタイムリーだった。