ストーリーを陵駕した殺陣

『雄呂血(おろち)』(1925,阪東妻三郎プロダクション)

監督:二川文太郎、総指揮:牧野省三、助監督:村田正雄・宇沢芳幽貴、脚本・原作:寿々喜多呂九平、撮影:石野誠三、字幕(タイトル):坂本美根夫、主な配役:阪東妻三郎(久利富平三郎)、関操(漢学者 松澄永山)、環歌子(その娘 奈美江)、春治謙作(奈美江の夫 江崎真之丞)、中村吉松(赤城治郎三)、山村桃太郎(浪岡真八郎)、中村琴之助(二十日鼠の幸吉)、嵐しげ代(にらみの猫八)、安田善一郎(薄馬鹿の三太)、森静子(お千代)。
活動辯士は、澤登翠さん。故・松田春翠*1のお弟子さんです。ナマで聴いたら、さぞかし迫力があるだろうなあとおもいます。私が観たバンツマの「無声映画」は、これでようやく二本目(もう一本は、『江戸怪賊傳 影法師』)。本作品は、阪妻プロの第一回作品となるはずだった*2のだそうです。しかも、「寿々喜多が(略)阪妻独立のはなむけに贈ったものだといわれる一方で、マキノ映画から離れて行く阪妻を忘恩の徒として、この作品を最後に、寿々喜多は絶縁状を叩きつけたともいわれている」(高橋治『純情無頼―小説 阪東妻三郎』文春文庫,p.207.とくにことわりのない限り以下おなじ)のだそうです。それにもかかわらず、後年この作品が、「バンツマ無声映画時代の傑作」といわれるようになるのですから、まったく皮肉なものです。
また本作品は、『無頼漢』というタイトルで公開される予定だったそうですが、検閲時にそのような人間を讃美するものと判断されたので、寿々喜多がなかばヤケになり、『雄呂血』と改めたのだそうです(p.211,249)。しかし、この破れかぶれのタイトルがうけて、『強狸羅(ごりら)』、『怒苦呂(どくろ)』など「二匹目の泥鰌」をねらった映画がたくさん製作されたというのだからおもしろい。
バンツマ(に限らない話ではあるのですが)の無声映画は、もうほとんど残っていません。しかしこの『雄呂血』だけは、あちこちで称讃されていることもあって、絶対に一度は観てやろうおもっていました。そんなおりに、BS2でこの『雄呂血』が放送されることを知り、嬉々として録画しました。そして一昨日、じっくり鑑賞することが出来ました。
本作品は、徹底したニヒリズムに支配されており、いわゆる「傾向映画」に仕上がっています。そのことは、映画の冒頭にあらわれる字幕*3からしても明らかです。

世人・・・・・
無頼漢(ならずもの)と稱する者必ずしも眞の無頼漢のみに非らず(ママ)
善良高潔なる人格者と稱せらるゝ者必ずしも眞の善人のみに非らず
表面善事の假面を被り裏面に奸悪を行ふ大僞善者 亦 我等の世界に數多く生息する事を知れ・・・

これは、流行を反映しているからでしょうし、バンツマの性向が影響したこともあるからでしょう。たしかに、現代に相通ずる部分もあるといえるのですが、「現代」という地点からすると、わりかた公式的に見えます。しかし公開当時は、世間に大きな衝撃を与えたであろうことが察しられます。
圧巻は、もちろん殺陣シーン。掉尾をかざるバンツマの大立ち回り(二十分ちかくもある!)が、やはり凄い。俯瞰ショットが多いのですが、とてつもない迫力があります。

二十分の殺陣といえば、描写としては、人間わざとは思えないと誰もが考えるに違いない。誇張だ。確かに誇張はある。それがなくては剣戟などというものは成立しないのだから仕方がないことなのだ。しかし、阪妻の殺陣は誇張を美しく見せつつも、生身の人間がすることだという事実を忘れない。(p.245)

これと同じようなことを、表現はかなり異なるのですが、市川雷蔵も書いています。

雷蔵、雷蔵を語る (朝日文庫)
私が今までに創造した時代劇のヒーローはずいぶんと人を斬ってきました。無責任かもしれませんが、その数は、斬った当人も記憶できないほどです。ズバリ、ズバリと大根を切るように人が斬れる世界は現実にはありません。しかしそのような現実にはないようなことを事実あったように見せるのが、時代劇であり、時代劇の演技づくりなのです。(中略)絵ソラごとなどともいいますが、それがたとえ絵ソラごとであっても見るものに深い感銘を与えるようなら、それは名画だし、名演技だと思うのです。
市川雷蔵雷蔵雷蔵を語る』朝日文庫,2003.p.341)

つまり、殺陣を美しく見せつつも、生身の人間がするということ(事実あったように見せること)になおも自覚的である。そういう役者こそが、時代劇スターとして不動の地位を確立することができるのでしょう。
さて、ラストの殺陣には「とてつもない迫力」がある、と書きましたが、それでもある種の悲壮感にみちあふれています。平三郎は刀をたずさえてはいるのですが、実は徒手空拳で、時代にむなしく抗っているようにも見えます。そして、救いが見出せないまま終幕をむかえます*4
もっと書きたいことがあったのですが、うまく言葉にすることができないので、この辺りでやめておきます。

*1:二代目。『阪妻 阪東妻三郎の生涯』を監督したことでも有名。

*2:しかし、タイトルには「阪東妻三郎プロダクション第一回作品」という字幕が。結局、実質的な第一回作品は『異人娘と武士』になりました。

*3:映画のラストでも、辯士によって繰り返されます。

*4:平三郎が我に返って、人を殺めてしまったことを悔悟するシーンは特に印象的です。