遊ぶものは神である。神のみが、遊ぶことができた。遊は絶対の自由と、ゆたかな創造の世界である。それは神の世界に外ならない。この神の世界にかかわるとき、人もともに遊ぶことができた。神とともにというよりも、神によりてというべきかも知れない。祝祭においてのみ許される荘厳の虚偽と、秩序をこえた狂気とは、神に近づき、神とともにあることの証しであり、またその限られた場における祭祀者の特権である。

白川靜「遊字論」*1(1978)より。

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*1:その冒頭部。『文字逍遥』(平凡社平凡社ライブラリー)所収。平凡社ライブラリー版解説(「古代風景の遊行」)で、中野美代子先生は、「遊ぶものは神である。〜神によりてというべきかも知れない。」という「冒頭の三行は、ガーンと私の頭を搏った」、と書いておられます。ちなみに、姉妹篇『文字遊心』の解説を担当されたのは、中野先生の高足・武田雅哉先生。こちらの解説もそうとう面白い。