和本礼賛

曇り。
朝から大学。某先生から「著者割」で、ご高著をお譲り頂く。
細谷正充編『松本清張初文庫化作品集4 月光』(双葉文庫)を買う。細谷氏の「解説」によれば、「『松本清張初文庫化作品集』と銘打ったシリーズも、第四弾となる本書『月光』で、ひとまず完結」(p.207)ということになるのだそうで、ちょっとさびしい。
中野三敏『江戸文化評判記―雅俗融和の世界』(中公新書)を読む。
これは、例えば最近出た、橋口侯之介『和本入門―千年生きる書物の世界』(平凡社)も何度か言及していた本なのだが、その「巻ノ六 和本礼賛」に、次のような一節がある。


図書館というのは、だいたい見たい本を見に行くところであり、ということはどんな内容かがあらかじめわかっている本を請求して見せてもらう場であるわけだが、古本屋の店頭はそうではなく、中身がなにとも知れないものを、その場で心置きなく知ることができる場だということである。極言すれば図書館は知識を確かめる場であり、古本屋さんは知識を発見する場であるということになろうか。(p.170)
以前某先生に教えて頂いた一節なのだが、成程と唸ってしまう。後に出た『本道樂』(講談社)にも、似たような(同じ?)文章があったかと思う。
また、「端本のめぐり合い」という小文に面白い話が出てくる。くどくどしく説明すると煩雑になるだけだから、これもそのまま引いておこう。

木村仙秀氏の随筆『病間瑣語』に、万象亭作の『お千代之伝』の稿本が松廼舎(まつのや)文庫にあったことを記して、実は大正の震災の前に林若樹氏が借り出してそのまま忘れ、松廼舎主人は震災に亡びたものとあきらめていたら、林氏が数年後に思い出して返却してきたのでたいへん喜んだという話をご披露に及び、しかしその本も昭和の空襲によって今度は本当に焼亡してしまったと嘆じられた記事がある。ところが、実にところが、先年著名な工芸家の会田富康氏のお宅にそのご蔵書を拝見にうかがったところ、この稿本が出てきたのには本当に驚いた。中身が舟饅頭のお千代の伝だから濡(ぬれ)に縁あって焼けなかったのサといえば落し咄になるが、それにしてもこのしぶとさは尋常ではない。(p.186)
林若樹氏のことは、樽見博氏の『古本通』(平凡社新書)にも出てくる(林氏がキリシタン版の『コンテムツスムンヂ』を所有されていたということは初耳だった)。