糸井重里監修『言いまつがい』(新潮文庫)
2005.4.1発行。2004年2月に東京糸井重里事務所より刊行。単行本がかなり売れたので、ご存じのかたも多いはず。投稿によって集まった「言いまつがい」*1がたくさん。文庫版解説(「あなたの中のあなたの仕事を知るデータ」)を書いているのが、『言い間違いはどうして起こる?』(岩波書店)の著者寺尾康さん。この解説がまた、おもしろい。たしかに、「本編より興奮した、という奇特な方」(p.350)もあるのではないでしょうか。
本編は、「あーおもしろいなアハハ」というたわいない感想を抱かせるものがほとんどですが、なかには「このテの言いまつがいはしょっちゅうするなあ」というのもあって、素直に笑うことができなかった部分もありました。
とりわけ印象にのこったのは、「テレビのリモコン」の呼び方について(p.319-320)。「ピッピ」だの「ズバコン」だの「ぱちやん」だの「チャンネル権」だの、色々なものがある。ちなみに私は、「リモコン」と呼ぶのですが、父は「チャンネルメイト」と呼んでいます。
小松和彦『憑霊信仰論―妖怪研究への試み』(講談社学術文庫)
1994.3.10→2000.3.17第11刷。1982年に伝統と現代社より刊行され、さらに1984年、二篇の論考をあらたに加えて出版(ありな書房)されました。それを文庫化したものが本書です。解説は、佐々木宏幹さん。
再読。今回は、じっくりと時間をかけて読みました。「式神と呪い」以降の後半部が、とくにおもしろい。以下、そのうちのいくつかを簡単に取上げてみます。
「護法信仰論覚書」は、『枕草子』を材料にして、「物怪調伏」のプロセスで「護法」や「憑坐(よりまし)」、「夢」がどう関わってくるかを考察した論考。「式神」と「護法」が混同されるようになる過程がおもしろい。著者解題には、「その筋の専門家たちからはまったく無視されているが、今でも私はその指摘が正しいものであったと確信している」とあります。「山姥をめぐって」では、柳田國男による「妖怪=神の零落」説を批判し*2、「山姥」をひとつの例として、「《神》と《鬼》との間をダイナミックに振動する生きた〈妖怪〉」の姿を見出します。つまり〈妖怪〉とは、《一系的妖怪進化説》によって解釈できるものではなく、つねにプラスマイナスの両義性をおびた存在だ、というわけです。「器物の妖怪」では、中世における商工業の発達が、古来のアニミズムと結びついたことを解き明かします。『今昔物語』をもとにして、古代的な妖怪観と中世的な妖怪観を辨別してみせる著者の鮮やかな手並みには感歎しました。