奇怪な動物たち

奇怪動物百科 (ハヤカワ文庫 NF (299))
ジョン・アシュトン 高橋宣勝訳『奇怪動物百科』(ハヤカワ文庫)を読みました。
アシュトンは「はしがき」で、「過去の作者のことばを現代風になおし、それによって原著の名誉を奪ってしまうというのが大流行であるが、それよりも、過去の作者にそのまま語ってもらう方がいいと思う」と書いており、過去の言説をこそ重視しているのがよく分ります。『白鯨』に勝るとも劣らない博引旁証の手並みには感歎するほかなく、あるときはプリニウスから引き、またホメロスから引き、さらにはジョン・マンデビルから引く。
解説は、金子隆一さん。たとえば次のようなことを書いておられます。

中には本書の最初の方に登場するインドの首なし人間と『山海経』の形天のように、まったく同じイコンが双方にまたがっている例もある。これは、一方が一方に影響を与えたということだろうか? それとも、より奇怪な生き物を見たいという人間の欲望が、たまたま同じ類型に収束した結果なのか。
いずれにせよ、洋の東西、時代を問わず、人間が普遍的にこのようなイメージを追い求めてやまなかった、という事実だけは疑う余地がないだろう。(p.389)

これと同じような文章を以前どこかで読んだぞ、と思っていたら、澁澤龍彦の作品でした。
ただし、結論部はかなり異なっています。

たとえば紀元前四世紀頃に成立したとおぼしい、わが国でも江戸時代から広く読まれていた、中国古代の怪物誌ともいうべき『山海経』がある。おもしろいことに、この古くから伝わる『山海経』の挿絵のなかにも、スキヤポデスやキュノケファロスにそっくりな、国境外の遠い国々に棲む畸形人間のイメージがたくさん出てくるのだ。ヴェズレー教会の石に刻まれたパノッティとよく似た、巨大な耳を押し垂らした種族も出てくる。頭がなくて、胸の上に目鼻のついた無頭人のイメージなどは、ヨーロッパのそれと、驚くほどよく似ているといってよい。
どうやら異なった民族や文化が接触しながらも、その間のコミュニケーションが意のままにならなかった暗黒の時代には、世界のどの地方でも、好奇心にふくれあがった民衆の想像力が、このような畸形人間の存在を思い描くものらしいのである。(澁澤龍彦『幻想博物誌』河出文庫,p.34)

金子氏によると、人間たちはこのようなイメージを常に追い求めつづけてきた、ということになりますが*1澁澤龍彦は、「暗黒の時代」特有の現象であったとみています。
先の引用につづけて澁澤は次のように書いています。金子氏の解説を実際に読んで頂ければお分りになると思いますが、この点では、澁澤と金子氏の考え方は一致しているようです。

それは後世の学者の、無理にひねくり出した合理的な説明などとは何の関係もない、人間の想像力の自由な展開だったと思われる。私たちは、これを神話的な想像力と呼んでよいかもしれない。(澁澤同前,p.35)

山海経 (平凡社ライブラリー)
ちなみに、『山海経』所収の動物や奇人たちは、あるていどの比定が可能だそうで、京極夏彦・多田克己・村上健司『妖怪馬鹿』(新潮OH!文庫)のp.150-54に、そのことが書いてあります。この本はその問題にもっと踏み込んでいて、「妖怪と差別」ということにまで話がおよびます。平凡社ライブラリー版『山海経』の解説(水木しげる「日本に渡った精霊たち」)や中野美代子による「アツユ論」等と併せて読むとひじょうに面白いのですが、それはまたの機会に、ということに致します。

*1:その結論に至る過程で、イワン・エフレーモフ「社会主義的SF論」に反論した小松左京の「拝啓イワン・エフレーモフ様」を引いています。