君は○○を見たか

午後七時ころ大学を出る。
帰途、高峰秀子『にんげん住所録』(文春文庫)を購う。今月の文春文庫には、高島俊男さんの『イチレツランパン破裂して』も入っていますが、これは今度買うとしよう。
君は小人プロレスを見たか (幻冬舎アウトロー文庫)
本棚の奥から、高部雨市*1『君は小人プロレスを見たか』(幻冬舎アウトロー文庫)が出てきたのでした。ひじょうに面白い本です。すでに品切れというのが残念。
かつて、坪内祐三さんが『文庫本を狙え!』(晶文社)で取上げたことがあるので、お読みになった方もいらっしゃるでしょう。単行本版の書名は、『異端の笑国―小人プロレスの世界』(現代書館)。この作品のテレビドキュメンタリー化に成功した*2のは森達也さんで、『ドキュメンタリーは嘘をつく』(草思社)にその経緯が語られています(p.23-29)。「差別用語」とは一体何か、という問題についてあらためて考えさせられる文章ですが、今日私が書こうと思ったことは、実はそれとは全く関係がなくて、『君は小人プロレスを見たか』という言い回しが気になった、ということなのです。つまり、「君は○○を見たか」なる構文、というか定型表現。
ふだん何気なく見たり聞いたりしているけれど、よく考えてみると妙だといえる定型文には、たとえば「なぜ今、××なのか」*3とか「何が〜〜をそうさせたか」*4とかいったものがありますが、「君は○○を見たか」という定型文はいつ生れたのかということが、ちょっと気になったわけです。
私の知っている「君は○○を見たか」で一番古いものは、金秀吉の『君は裸足の神を見たか』(1986)。秋田の角館でロケが行われたATGの名作です。また、特撮ヒーローものでは多用されている感があって、「仮面ライダーBLACK」の主題歌に「君は見たか愛が真っ紅に燃えるのを」という歌詞がありますし、仮面ライダーメタルヒーローか何かは忘れましたが、次回予告でナレーターが、しばしば「〜を君は見たか」と言うものがあって、それも記憶に残っています。
さて、「君は を見たか」でググってみると、「秘密戦隊ゴレンジャー」に「真赤な潜入!! 君は海城剛を見たか?」(第七十六話,1977.1.15放送)という回があることが分り、特撮ヒーローものに好んで使われていることから、やはりその辺りから生れた表現なのかしらと勝手に想像していたところが、倉本聰の「君は海を見たか」という連続ドラマがそれよりも以前に放送されていた(1970)ことを知ったのでした。映画版(1971)やリメイク版(1982)もあるみたいですが、ぜんぜん知りませんでした。
さらに、「日本の古本屋」で検索をかけてみると、岩川隆『キミは長島を見たか』(立風書房,1981)、大阪読売アメリカ取材班『君はアメリカを見たか』(角川文庫,1985)、田中光二『君は円盤を見たか』(角川文庫,1976)、吉村義雄『君は力道山を見たか』(飛鳥新社,1988)、ワルター・ケンポウスキ編『君はヒトラーを見たか』(サイマル出版会,1973)、児玉隆也『君は天皇を見たか』(潮出版社,1975)、佐藤忠男『君は時代劇映画を見たか』(じゃこめてい出版,1977)などが引っかかりますが、一九七〇年以前に出た本はありません。
というわけで今のところ、「君は海を見たか」(1970)が一番ふるいといえるのでしょうが、これよりも古い用例をご存じの方がいらっしゃったら、ぜひご教示ください。

*1:「高」はハシゴ高。

*2:『君は小人プロレスを見たか』の文庫版追録「汝、プロレスを武器とせよ」でも、著者とTさんがやり取りをする過程で、「小人プロレス」はドキュメンタリーにしにくい対象である、という問題点が浮彫りになります。

*3:「なぜ今、モーツァルトなのか?」「なぜ今、寒天ダイエットなのか?」など。

*4:これは、鈴木重吉の傾向映画の(翻訳調の)題名に由来するものかと思うのですが…。