赤玉ポートワインのポスター

赤玉スイートワインを初めて飲んでみた。もとの名称を「赤玉ポートワイン」といい(さらに遡れば「向獅子印甘味葡萄酒」)、母などは未だに「ポートワイン」と呼んでいる。サントリーが、「sun(=赤玉)+鳥井」に由来することは知っていたけれども、ポートワインが明治四十年生れだということは初めて知った。せいぜい大正末年頃の生れだろう、と漠然と思っていたのは、多分、松島恵美子*1がモデルとなっている赤玉ポートワインの宣伝ポスター(大正年間のもの)を何度か目にしていたせいだと思われる。
残念ながら、動く松島恵美子を見たことはないが(出演映画も多くはなさそうだ)、有名な「ヌードポスター」は『日本歴史館』(小学館)でも見たし、最近では、心斎橋そごうの十一階か十二階かで見た。松島がヌードになったせいで親から勘当された、という裏話は『日録20世紀』(講談社)で読んだのだっけ(赤玉ポートワインが大当たりしたのが大正十年、同年に鳥井信治郎壽屋を設立。松島がポートワインの宣伝に起用されたのは、その翌年のことである)。
このヌードポスターについては、山口瞳開高健『やってみなはれ みとくんなはれ』(新潮文庫)にくわしい。

やってみなはれ みとくんなはれ (新潮文庫)
女はのちに赤玉楽劇団のプリマ・ドンナとして人気を集めた松島恵美子である。
「一生一度のおねがいなんだ。ぼくの言うことをきいてくれないか。変なことをするわけではない。だまって無理をきいてほしいんだ。無理は承知で頼むんだけれど……」
大正十一年の初春のことである。
しかし、片岡敏郎(当時の寿屋宣伝部長―引用者)の頼みは、変なことであった。(中略)片岡は赤玉ポートワインの宣伝のためにヌード・ポスターをつくろうと考えついたのである。
半裸体も許されない大正時代のことである。胸を露出するだけでも大変な冒険だった。片岡としても思いなやんだことだろう。うっかりすれば警察へひっぱっていかれるかもしれない。それより、刷りあがったポスターが店頭に飾れないようになったら会社に大損害をあたえてしまう。(中略)
片岡から依頼をうけたのは、印刷屋の深尾精々堂の鶴見精一である。鶴見は工場の隣にある森田写真館を紹介した。写真館のほうも、はじめは驚いたが、スタッフの熱意にうたれ、ポスターの撮影のある日は表戸をおろして客をことわってしまった。撮影も撮影だが、企画が外部に漏れることを何よりも恐れたのである。(中略)
松島恵美子は、写真館に延べ六日間、罐詰同様にされた。一回につき、五十枚も六十枚もの写真をとられたという。
ようやくにして原画の写真が出来あがった。これに井上木它(デザイナー兼画家―引用者)が修正を加えた。(山口瞳「青春の志について―小説・鳥井信治郎―」p.100-102)

この後が面白いのだが、引用はもうやめておく。
そういえば、八日にも梅田のワゴンセールに行った。K君とは多分、入れ違いだった。
扇谷正造『聞き上手・話し上手―市民のための講座』(講談社現代新書)、幣原喜重郎『外交五十年』(中公文庫)、杉森久英大谷光瑞』(中央公論社)各100円などを買ったのだった。
結局、四天王寺へは行けずじまいだった。
今日は、『須賀敦子全集1』(河出文庫)を購い、また大学構内の廃棄本(メディア論の本がたくさん捨てられていた)のなかから、丸谷才一編『作家の証言―四畳半襖の下張裁判』(朝日選書)、岡留安則『雑誌を斬る―『文藝春秋』から『ぴあ』まで―』(教育研究社)など七冊を拾った。

*1:『日本歴史館』では、なぜか、「松島栄美子」となっている。