時をかけるパロディ映画

きのう観た映画です。

『お笑ひ週間 笑ふ宝船』(1946,松竹)

演出:梅川忠、撮影:亀山松太郎、音楽:浅井擧曄、美術:五所福之助、主な配役:坊屋三郎(密航者、弥次郎兵衛)、横尾泥海男(密航者、喜多八)、河村黎吉(船長)、坂本武(事務長)、橘薫、東宝室内楽団、並木路子佐野周二水戸光子、三井秀男(一心太助)、山路義人(笹尾喜内)、上山草人(大久保彦左ヱ門)、三浦光子、原保美(間貫一)、高峰三枝子(川島浪子)、朝霧鏡子、小月冴子、眸瑠璃子、大國阿子。
素敵な小品。川島雄三が、「梅川忠」という変名*1で撮った(と思われる)映画。かなりの「レアもの」ではないかとおもいます。もともと、将兵慰問のために製作されたものだったそうです。しかし、なぜかずっとお蔵入りになっていて、戦後にようやく公開されたみたいです。
理由は分りません。あるいは、坊屋三郎が『湖畔の宿』を歌う*2シーンやレヴューシーンがあるからなのかもしれません。いずれにせよ、これが「皇軍慰問」のための映画であることは明らかです。
しかし、それにしても、とにかく明るい作品です。簡単にまとめると、三百年前(公開年からかぞえて)の一心太助や大久保彦左衛門、百五十年前の弥次さん喜多さん、五十年前の間貫一、川島浪子が時空をかけぬけて現代にやって来る…というハチャメチャなストーリー。
観おえたとき、ルネ・クレールの名作『夜ごとの美女』(1952)を思い出しました。
そのタイムトリップは、寛永年間に出回った「瓦版」がキッカケとなるのですが、インサートされる内容が、なんだかおもしろい。

瓦版 寛永三年發行 大口屋書林
笑ふ寶船出航
一九四五年陽春
われと思はん藝人*3
奮つて參加せよ
乘り遲れては
末代までの恥辱
出航はいよいよ
後三百年の
近きにあり

これを見た一心太助が、「あと三百年しかない、乗り遅れてはてえへんだ」と、大久保彦左衛門・笹尾喜内とともに、一路「三百年後」へ。その道すがら、生娘に声をかけている弥次さん喜多さんの傍を駆け抜けます。彼らが落としていった瓦版を見た弥次さん喜多さんも、ぐずぐずしてはいられないと、一路「百五十年後」へ。
場面は転換して、とある海岸。そこには『金色夜叉』の間貫一が。彼はひとりの女性がたたずんでいるのをみとめて、「あなたは宮さんでは」。しかし、人違いだといわれ、「それじゃあここは熱海の海岸ではないのか」。女性が笑って、「ここは逗子の海岸ですよ」。彼女の正体はなんと、『不如帰』の川島浪子でした。
彼女は貫一に、「人間はなぜ死ぬのでしょう」と問いかけます。すると貫一は、「それはあとがつかえているからです」。つづけて彼は、「そんなことよりも…」と前置きして、かの有名なせりふ―すなわち、「来年の今月今夜のこの月もきっと僕の涙で曇らせて見せます」*4―を言います。浪子も負けじと、「私、千年も万年も生きていたいわ」*5。すると貫一が、「貴様、よくもそんなに欲張ったな」。これでは、深遠な思想もすばらしいセリフも台無しです。この一連のやり取りに大笑いしました。
そこに走ってやって来るのが、「百年前」の弥次さん喜多さん。貫一や浪子も誘われるがままに小舟に乗って、一路「五十年後」へ。
そしてフィナーレを飾るのは、スター総出演の船上シーン。出演者たちはみな、「藝人」に戻っています。
それにしても、小品にしてはよく出来たタイムスリップ映画であり、パロディ映画であり、またミュージカル映画であり、スター名鑑映画でもあるたのしい作品でした。個人的には、晩年の上山草人が見られるのがうれしい。

*1:ただし、永田哲朗さんの『日本映画人改名・別称事典』(国書刊行会)にはなし。

*2:一部―「山の淋しい湖にひとり来たのも悲しい心」「焚き捨てる古い手紙のうすけむり」の部分―の声は、高峰三枝子による吹替えです。当時は、歌詞の内容がよろしくないという理由から、国内では販売禁止とされていたそうです。しかし、前線の将兵たちは好んで歌っていたといいます。

*3:この言葉に要注意。つまり登場人物たちは、演じている対象かつ(たとえば旅回りの一座に所属している)藝人という二重の「役割」を演じているわけです。それは、彼らの言葉の端々からもうかがい知ることができます。

*4:原作は、「来年の今月今夜になったらば、僕の涙で必ず月は曇らして見せるから」。

*5:原作は、「千年も万年も生きたいわ」。このセリフはふたつとも、戸板康二『すばらしいセリフ』(駸々堂ちくま文庫)が取上げています。