「恐妻家」

 朝、成瀬巳喜男『女優と詩人』(1935,P.C.L)を再鑑賞した。成瀬のトーキー第二作で、いわゆる「恐妻」映画。原作は、中野實の舞台劇「女優と詩人」。人物造形がおもしろい。売れない童謡作家・二ツ木月風(宇留木浩)と、その妻で売れっ子女優の千絵子(千葉早智子*1)。夫は妻に対して敬語をつかい、いっぽう妻は夫を「げっぷう、げっぷう」と呼捨てにするので、隣のお浜さん(戸田春子)には「ラムネを思い出しますよ」、お浜さんの夫・花島金太郎(三遊亭金馬*2)には「月賦と聞える」などと言われるしまつ。その花島金太郎が、これまたそうとうな恐妻家。そして、月風の友人である三文文士・能勢梅童(藤原釜足)のずうずうしさがまた面白い。全篇にわたって流れる「雀の学校」も印象的だ。
 ところでこの作品には、小田基義『月と接吻』(1957,東京映画)というリメイク(という表現は正確でないが)がある。「恐妻」ブームに乗って製作されたものであろうと考えられる。月風を演じるのは三木のり平、妻は淡路恵子。梅童は千葉信男。このでっぷりと肥えた梅童もわるくはない。三木のり平の月風も適役だ。ただし、演出は成瀬版のほうがよい。月風と千絵子の夫婦喧嘩のシーンも、脇役の若夫婦(成瀬版は佐伯秀男と神田千鶴子、小田版は逗子とんぼと恵ミチ子)の描きかたも、成瀬版のほうがこなれている(成瀬版の脚本は、永見柳二による)。
 さきに、「恐妻」ブームが云々、と述べた。それはつまり、この頃(昭和二十年代後半から三十年代前半にかけて)に、「『恐妻』という観念」が流行した、ということ。ここは、岡崎武志さんの表現をかりている。くわしくは、岡崎武志「昭和三十年の恐妻家と新書」(『古本極楽ガイド』ちくま文庫所収,p.28-32)をご覧いただきたい。岡崎氏は、新書のコレクションから「恐妻」ブームの背景を読み解いている。
 さて、同書で岡崎氏は「恐妻もの映画の傑作」として、小津の『お茶漬の味』を挙げている。岡崎氏の定義に則れば、春原政久『三等重役』*3(1952,東宝佐伯清『恐妻時代』(1952,東宝仲木繁夫『しゃぼん玉親爺』*4(1956,大映今村昌平『西銀座駅前』(1958,日活)がその類であるといえ、特に『恐妻時代』は大傑作だとおもう。また、「日本映画データベース」や「goo映画」で「恐妻」を冠する映画をしらべてみたところ、毛利正樹『恐妻キュット節』(1953,新東宝)、萩山輝男『恐妻一代』(1956,松竹大船)、青柳信雄『恐妻党総裁に栄光あれ』(1960,東宝)などといった作品のあることがわかった。
 最後に「恐妻」というコトバについて。私は、戦後に生れた造語だとおもっていたのであるが、昨年、ある先生が、明治期に登張竹風「厭妻的小説」(『我観録』所収)という文章があること、三田村鳶魚春日局の焼餅競争」(『公方様の話』所収)に「二代将軍も随分な恐妻家であります」という文章が出てくることを教えて下さった。後者は大正十三年の用例。

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 昼過ぎ、郭瑞『宋本玉篇中“一曰”条例分析』を読む。『中国文字研究 第五輯』(廣西教育出版社,2004)所収。宋代の重修玉篇*5が、字義の辨別などに「一曰」(一に曰く)というタームを用いているのだが、これが何に由来するかを考えてみようというもの。この論文によると、大徐本『説文』をそのまま引いている「一曰」が九十一例あるという。そのまま引用してはいないもの*6が四十四例*7、『玉篇』にしか見られない「一曰」が三十一例ある。四十四例を中心に考えていて、『説文』の記述とどう異なっているか、という視点から四つのパターンに分けている(後者の三十一例は二パターンに分ける)。引用の相違は、引用者の過誤か拠った版本の相違に由来するものであろう、とする慎重な態度をみせている。話は字体の規範にまで及ぶが、研究はまだ緒についたばかりらしく、説文の様々の版本、小徐本などを見る必要があることを説いている。
 つづけて、史建橋『談辞書用字几个問題』を読んだ。辞書編纂時に生ずる、親字あるいは採録字選択の基準のむつかしさについてのべている。また漢字字体を、「活字と死字*8」「正体字と異体字」「新字形と旧字形」というみっつの観点から考えている。

*1:この頃の千葉早智子は綺麗だ。あえて「この頃」と書いたのは、約十八年後、徳川夢声が、「酷く肥って、いや、それでいよいよ魅力を増し、いよいよマダムらしい貫禄ができた」(徳川夢声『いろは交友録』ネット武蔵野)と書いているからだ。千葉は、のちに成瀬巳喜男のはじめの妻となるのだが、この映画が知り合うきっかけとなったらしい。

*2:ファンは必見。浪曲を唸ったり踊ったりするので、まったく保険屋には見えない。

*3:この作品の「恐妻」的要素は、「社長シリーズ」にも受け継がれている。ちなみに、『日本国語大辞典(第二版)』は、源氏鶏太の原作『三等重役』から「恐妻家」の用例を引いている。

*4:春原政久『この髭百万ドル』(1960,日活)に似たところのある作品。

*5:原本は断片しか残っていない。

*6:「一曰」の部分は一致しているが、その前後に相違があるもの。

*7:どういうわけか、この論文は、「四十四例」とあるべきところが「四十五例」となっていて、それでは計算が合わない。

*8:「死字」とは用例のほとんどない文字のこと。「活字」はその逆なのであって、活版印刷などの「字型」をいうのではない。