拝啓 野村芳太郎様

曇り。やや寒し。
昼過ぎに家を出て大学へ。書籍部が全点一割引セールをやっていたことをおもい出し、古今亭志ん生 小島貞二編『志ん生人情ばなし』(ちくま文庫を購う。
研究室で、ある先生から、白藤禮幸「安澄撰『中論疏記』所引の「玉篇」について」という論文が『二松(第18集)』に載っていることを教えて頂いた。迂闊にも気がつかなかった。おお、『子不語』の論文も載っているではないか。さっそく、白藤先生の論文を読んだ。安澄*1の『中論疏記』は漢籍から多く引用しており、特に『玉篇』からは一一七箇所も引用している*2。その引用部について、空海の『篆隷萬象名義』を『玉篇』の代用として用い、比較・考察している。なかには明らかに『宋本玉篇』に拠った部分もあるが、大部分は『古本玉篇』に拠ったとみてよい、と結論している。また、安澄が『篆隷萬象名義』を見たとは考えられないのに、義註の抄出が両者でかなり共通することにも言及している。
五時過ぎに大学を出る。きょうはアルバイトがあったので、帰宅したのは十時頃。
ところで、野村芳太郎さんが八日に亡くなった。行年八十五。このまえ、監督デビュー作の『鳩』(1952)を観たばかりで、このブログにもすこしだけ書いた。
『張込み』(1958)、『ゼロの焦点』(1961)、『影の車』(1970)、『砂の器』(1974)、『鬼畜』(1978)、『わるいやつら』(1980)、『迷走地図』(1983)など、清張作品を得意とする監督であった。おっと、名作『疑惑』(1982)を忘れてはならない。もちろん、清張作品を原作とするもの以外にも傑作がおおく、『拝啓天皇陛下様』(1963)、『事件』(1978)、『真夜中の招待状』(1981)などがある。
数ある傑作のなかで、私がもっとも好きなのは八つ墓村』(1977)である。意外におもわれるかもしれないが、この大作映画はもっと評価されてよい、と考えている。本作品の興行的成功は、脚本はさることながら、芥川也寸志の音楽*3やロケ地の雰囲気によるところも大きい。ロケ地については、大多和伴彦『名探偵・金田一耕助99の謎』(二見WAi-WAi文庫,1996)のp.228〜p.232や、有栖川有栖『作家の犯行現場』(新潮文庫,2005)のp.67〜p.75などがくわしいので、ここでは縷々のべない。
話をもとに戻す。なぜ野村芳太郎について書いたのかというと、今日の『讀賣新聞(夕刊)』に寄せられた、名カメラマン・川又昂(たかし)*4による追悼記事を読んだからである(森崎東監督の談話も載っている)。川又氏は野村監督について、以下のように書いている。

映画以外に興味がないというか、映画を作るのが最上の喜びのような人だった。温厚で、いつも冷静。だけど芯が強くて、頑固なところもあった。(中略)小津安二郎ホームドラマの第一人者だとすれば、「自分はいろいろなジャンルで2番になりたい」と話していたのも印象的だった。

また野村氏自身は、次のように書きのこしている。

一番嫌なのが撮影の始まる日。朝早くから目が覚めてね、ほとんど寝てない。大船の駅から撮影所まで十分程歩く、その間でも監督が寝不足で情けない顔をしているわけにはいかない。ニコニコして張り切り顔で……。セットに入って最初の「用意、ハイ」をかける、ワンカット撮るととそれで初めて落着く、「よし、やろう」って気にね。スタッフは敏感だからね。こちらが何も言わなくても、監督が何を考えているのか、何をやろうとしているかを見ている、考えている。黙っていてもどんどん準備してくれる。
そんな時、切羽詰まった監督では駄目なんだ。余裕とかちょっとした無駄が必要なのだね。「活動屋的な」とでもいうのかな。(森田郷平・大嶺俊順編『思ひ出55話 松竹大船撮影所』集英社新書,2004)

野村監督の人となりが見えてくる。
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ところでいま、晩鮭亭さん(id:vanjacketei)のブログを拝見していて、BOOK CLIPの新刊文庫のコーナーが更新されていることを知った。来月も、澁澤龍彦あり、尾辻克彦あり(以上河出)、水木しげる小学館)あり、野村無名庵(中公BIBLIO)ありで、なんだか凄いことになっている。
澁澤の『犬狼都市(キュノポリス)』(假題は『澁澤龍彦初期小説集』というもので、すでに河出書房新社の近刊コーナーに見える)には、表題作、『撲滅の賦』『人形塚』など九篇を収めているらしい。また中公BIBLIOは、六月にも「レアもの」(關山守彌『日本の海の幽霊・妖怪』)を出す。要注目だ。なお、以上はを参考にしたことを申し添えておく。

*1:目次では、「安済」となっている。「すむ」の変換ミスだろうか。

*2:引用箇所の数は、「一一七」と書かれているが、のちに挙げられる引用部は一〇七しかない。たぶんミスなのだろう。

*3:私はこのサントラ盤が覆刻されたとき、あわてて購入した。いずれお話しすることがあろうかとおもう。

*4:以前ここでふれた、高橋治『ひと模様 映画模様』がこのところ、川又氏(通称・又さん)について書いている。野村監督もちょっと出てきた。この連載記事はつい最近、『日経』日曜版の「芸術・教養」面から、土曜版の「アート探求」面に移動した。題字がカラーになり、内容もますます面白くなってきた。