「東洋一」はカッコ悪いか?

晴れ。気温が三十度をこえたところもあると聞いて驚きました。
風邪が治ったとおもったら、また喉が(やたらと)痛くなってきたので、大学へは行かないことにしました。明日は朝から出掛けなければならないので。
昼前にアマゾンから文庫が二冊届く。午後、部屋を掃除して、出てきた本やら論文(コピー)やらを読んでいたら、いつの間にか夕方になってしまいました。
藤井青銅『東洋一の本』(小学館)読了。装釘*1が素敵。「東洋一」は、「あずま・よういち」ではありません*2。ましてや「東陽一(ひがしよういち)」の誤植でもありません。「とうよう‐いち」です。つまり、「東洋で一番」の「とうよういち」。著者はまず、「東洋一の鍾乳洞」があちこちに存在することに疑問をいだき、関係者や専門家に「その鍾乳洞*3を『東洋一』と判断した理由は何か?」と問い合わせるのですが、おもわしい回答が返ってこない。そこで著者は、この不可思議なことば(やその定義)について考えていくことになります。調査の途中で、「東洋」とか「オリエンタリズム」とかについて考察する必要も生じてくるのですが*4、著者はあえて「論証」はせず(そういうのは専門家に任せておこう、というスタンス)、

一.無責任な仮説
二.不必要な分析
三.お節介な提言

という三本柱をもってよしとするので、(その「仮説」の妥当性を考える必要などないから)たいへん読みやすい。自ら「つっこみ」を入れていくスタイルもおかしくて、ときどき笑いました。
「東洋一」という言葉は、(本書でも述べられるのですが)『日本国語大辞典(第二版)』(小学館)にも採録されておらず*5、この間まで、日国ネットで用例の投稿を募っていました。またこの日国ネットは、本書が発売されることをしばしば宣伝していたので、刊行を心待ちにしていました。日国ネットに投稿された最古例も、もちろん本書で取上げられています。
読みすすむにつれて「明らかになってくる」のは、かつては「最も西洋に近い」ものこそ「東洋一」だった、というねじれた構造です(実はそこに「中国への複雑な思い」もあった)。そしてその認定者は、「西洋」でした。しかし、「西洋」と「東洋」のパワーバランスが変化してゆく過程で、認定者が「日本」となり「世界」となり、ついには「西洋」でも「東洋」でもない地域が参入してくるに至って、「東洋一」は輝きを失ってしまいました。
しかし、著者はこう書いています。

今、かつて東洋一と言われた物件を見たり、全国にたくさんある東洋一を誇る施設のパンフレットやHPを見ると、そこにいじらしさや、健気さを感じてしまう。
まだ、自分の周りの世界が小さかった頃、若き自分が精一杯背伸びして手に入れ、大切に、誇りにしていた何か。それを、あとの時代から振り返って、単純に見下すことはできない。こうした気持ちを、たんなるレトロだノスタルジーだと斬り捨ててしまうことはたやすい。が、それでは、時代とその時代に生きた人々への冒涜*6になるのではないか。
だから今、東洋一にはいじらしさ、健気さを感じるのだ。(p.177)

要するに、どこか懐かしい「東洋一」を笑いのめそう、という趣旨の本ではないということです。

*1:ちなみに、この「ソウテイ」ですが、いろんな表記があります。すくなくとも、「装丁」「装幀」「装釘」「装訂」「装綴」の五種がある。私は、「装釘」または「装丁」をつかいます。しかし、たとえば長澤規矩也編著『図書学辞典』(三省堂,発売は汲古書院,昭和五十四年)は、見出しを「装訂」としたうえで、「装釘と書くのは、明治の製本工の同音を誤った用字法」と断じ、「釘や幀を使うくらいなら、今日では、装丁と書く方がよろしい」(p.8,但し索引等を除く)と書いています。ところが諸説が紛々としているらしく、「装釘」でも誤りとは言えないらしい。詳しくは、高島俊男「ソウテイ問答集」(『お言葉ですが…(4) 広辞苑の神話』文春文庫,平成十五年)を参照。この文章には、新村出「装釘か装幀か」(『東亞語源志』岡書院,昭和五年など)、壽岳文章『書物の世界』(出版ニュース社,昭和四十八年)、岡茂雄『本屋風情』(平凡社,昭和四十九年。のち中公文庫)、田中薫『書籍と装幀―近代日本装幀史の研究』(書肆緑人館,不明)も取上げられています。また、川瀬一馬『日本書誌学用語辞典』(雄松堂出版,昭和五十七年)、倉島長正「『装丁』か『装幀』か」(『正しい日本語101』PHP文庫,平成十年)、川瀬一馬『日本古典籍書誌学辞典』(岩波書店,平成十一年)、池谷伊佐夫『神保町の蟲 新東京古書店グラフィティ』(東京書籍,平成十六年)などもこの問題について述べているそうですが、川瀬氏や池谷氏の本を直接見てはいません。

*2:パン猪狩の最初の藝名として、登場することはするのですが。

*3:鍾乳洞だけではなく、東洋一の建築物も多い。建築物に「東洋一」の物件が多いのは何故かという疑問に対する推理も、本書で述べられています。また、「東洋一」を名乗る物件に色々なパターンがあることも分ります。それらについては、本書をご参照下さい。

*4:もちろんキナ臭い時代に足を踏み入れることにもなります。

*5:「世界一」「三国一」「日本一」はあります。

*6:原文も拡張新字体