たとえ石ころでも…

思わぬ収入あり。吉報あり。
午前九時過ぎに家を出る。なぜ、こんなに寒いのだろう。
朝飯も食わずに出てきたので、Bでひと休みすることにした。紅茶を飲みながら論文を読む。暖房があまり効いておらず寒かったので、附近の本屋に入る。
ワンコイン悦楽堂
竹信悦夫『ワンコイン悦楽堂―ミネルヴァの梟は百円本の森に降り立つ―』(情報センター出版局)を購う(「飛び立つ」でなく、「降り立つ」であるところがいい)。
内田樹高橋源一郎の対談*1にも惹かれたが、ほとんど「装幀買い」*2。まさに「想定外」の出費である。
竹信氏(元朝日新聞記者)という人は知らなかった。昨年の九月に亡くなっており、この本が遺作となってしまった。内田氏などの協力によって、このたび刊行される運びとなったらしい。例外が幾つかあるが(絶筆となった『My Life』の書評など)、その殆どが、ワンコイン(百円玉、あるいは五百円玉)で入手した古本に批評を加え、あわせて関連書を紹介するというスタイル。対象となる本は玉石混淆だが、たとえ「石」でも丁寧に紹介する。
斎藤美奈子の『趣味は読書。』や『誤読日記』は、「石」をも含んだベストセラー本を「読んだつもり」にさせてくれたが、竹信氏のこの本は、「もっと読みたい」という気を起こさせてくれる。私は後者のほうがいい。
大学に着いたのは午前十一時。もういちど、論文を丁寧に読み直す。ミスリードがあり、やや慌てる。
論文のつづきを手写。些細ないいまわしに拘泥したり、文章の順序を気にしたりする。
巧遅は拙速に如かずというが、「巧遅」にも捨てがたい魅力がある。
もっとも、「巧」でありさえすれば、それに越したことはないのだけれど。

*1:この対談で、竹信氏の神童ぶりが分る。

*2:巻頭の「私は『コインの経済』を楽しみたい」に、「装幀と中身、美人と気だて」という話が出てくる。