姿三四郎を読む

演習準備。
夜はアルバイト。
富田常雄姿三四郎』(新潮文庫)を読み始めたのですが、いやあ、面白いのなんのって。
あとから気づいたのですが、私が買った『姿三四郎』は、(上)(中)(下)三分冊ではなく、(一)(二)(三)の三分冊で、どうもこれは、前者の十数年前に出た版であるらしい。ちょっと残念なのが、姿と出会うまでの矢野正五郎を描いた「明治武魂」が採録されていないということ。つまり、「上巻」にある「序の章」「天狗の章」「佳人の章」「生死の章」がごっそり脱け落ちているのです*1。たしかに、これは純粋な「姿三四郎」物語なのですが、すこし寂しい。なんだか、平山平四郎の半生が描かれていない映画版『杏っ子』(成瀬巳喜男監督)を想起させますが、まあ仕方がない。上巻を見つけたら買おうと思います。
文藝春秋編『昭和のエンタテインメント50篇(上)』(文春文庫)には、物語に姿がはじめて登場する「巻雲の章」の「車」だけが収められていて、つづきが気になるところで終っています。たとえば、小栗虫太郎作品の扱われ方なんかもそうで、『人外魔境』の「畸獣楽園(きじゅうらくえん*2)」のみが収めてあります。もっとレアな掌篇を入れてほしかった、というのは望蜀の嘆なのでしょうか。
しかし前も書いたように、『昭和のエンタテインメント50篇』には「プロフィール」が収めてあって、これがたいへん良いのです。富田常雄の「プロフィール」もご多分に洩れず面白く、これは高森栄次さん(博友社相談役)が書いています(「姿三四郎の前借」)。一部を引いておきます。

富田常雄との初対面は、私が博文館という出版社で「少年世界」という雑誌を担当していた時であった。
或る日突然誰の紹介もなしに現れた一人の快漢が、いきなりぞんざいな口調で、「君が主任か、ぼく富田、今後よろしく頼むぜ」と、無骨な右手を突出して、私の手を握って振り廻した。明治大学を出たばかりの駈け出しの頃で、私も亦嘴(くちばし)青い駈け出しの編集者、何となくその豪放無頼ぶりに惚れこんで思わずその手を握り返したものである。爾来二十年あまり、「少年世界」から「新少年」「譚海」と私の担当雑誌は変ったが、どの雑誌にも富田常雄の正義熱血の少年小説の載らぬ月とてはなかった。(中略)
昭和十六年だったか十七年だったか、そろそろ戦争が始まりかけていた或る日の早朝、富田が私の家を襲撃した。
「ひとつ大仕事をやらかしたいんだ。一大長篇の構想が立った。そこで半年ばかりの生活費を貸してくれ」と必死の形相である。既に半年分の前借が残っていたが、止むなく併せて一年分を会計から借り出した。当時のことを富田自身かつて「小説現代」に書いたことがある。この前借で暮しながら書いたのがあの「姿三四郎」らしい。(p.518)

ちなみに高森氏は、最後の『新青年』編集長を務めた方でもあります。

*1:講談社大衆文学館版はどうなっているのだろう。

*2:角川文庫版のルビは「デーザ・バリモー」。角川ホラー文庫版も同じなのではないかと思われます。