ろくろ首のはなし

妖怪文藝〈巻之壱〉 モノノケ大合戦 (小学館文庫)
 東雅夫編『妖怪文藝〈巻之壱〉 モノノケ大合戦』(小学館文庫)を読む。藤原審爾『妖恋魔譚』、石川淳『狐の生肝』、稲垣足穂『荒譚』など。面白い。
 この本には、石川鴻斎『轆轤首』(小倉斉・訳)も収められています。これは、『夜窓鬼談』(1889〜94)に録された怪談を訳したもの(現代語訳)で、平福穂庵による原本挿絵、原文(漢文)も採録しているので有難い。
 この『轆轤首』は、依田学海『譚海』(1884〜85)巻一に収められた『轆轤頭』の紹介に終始していると云っても過言ではなく、鴻斎自身が見聞した話は僅か二行でまとめられています(全体もさほど長くはないのですが)。当時はこの「轆轤首」が病気の一種であると信じられていたらしく、それが面白い。
妖異博物館 (ちくま文庫)
 ところで、柴田宵曲『妖異博物館』(ちくま文庫)に「轆轤首」なる小文あり、「轆轤首の話で最も一般的なものは、夜中首が抜け出たところを人に見付けられる話である」(p.30)とある。そして宵曲は、『甲子夜話』『北窓瑣談』『百物語評判』『耳嚢』『蕉斎筆記』『閑田耕筆』『武野俗談』『怪物輿論』などを博引旁証し、「轆轤首」談の類型について書いています。これらの怪談に登場するものは、「抜け首型」の轆轤首が殆どで、「伸縮型」の轆轤首(現在の一般的なイメージ。鴻斎の『轆轤首』もこのタイプ)を圧倒しています。しかし、前者つまり「抜け首型」の轆轤首こそ、実は原初的な形態であったのだそうです。
 横山泰子「近世文化における轆轤首の形状について」(小松和彦編『日本妖怪学大全』小学館所収)は、「轆轤首」はもともと中国で「飛頭蛮*1とか「落頭民」とか呼ばれており―読んで字のごとく「抜け首型」(「飛頭型」)の轆轤首だったのだが―、こちらは「中国的な素材を重視する読本向け」(p.200)の妖怪として展開し、「日本的な形状の変化を蒙ったあとの首長型は草双紙ないし絵本向けとして」(p.201)展開したのではないか――、と結論しています。なお横山論文は、「離魂」との関わりについても示唆しています。
 黄表紙にあらわれる「轆轤首」については、横山氏も書いているとおりアダム・カバット氏に詳細な研究があって、そのエッセンスを抽出した『大江戸化物図譜』(小学館文庫)には、「ろくろ首の首尽くし」(p.105-176)が収めてあります。これを見るかぎり、なるほど「伸縮型」(「首長型」)ばかりで、「抜け首型」(「飛頭型」)は全く見当らない。
 ついでに、文庫で読める日本の「轆轤首ばなし」のメモ。
 まずは、小泉八雲著 池田雅之編訳『妖怪・妖精譚』(ちくま文庫)ほか所収の「ろくろ首」。これが十返舎一九『怪物輿論』を下敷きにしていることは、宵曲が述べているとおり。田中貢太郎 東雅夫編『日本怪談事典』(学研M文庫)所収の「ろくろ首」*2も、(登場する僧の「回龍(竜)」という名が「怪量」になってはいるけれども)同じく『怪物輿論』をモティーフにしている。それから、今野圓輔編著『日本怪談集(妖怪篇)』(教養文庫→中公BIBLIO)の「ロクロッ首」。これは橘春暉『北窓瑣談』四、松浦静山甲子夜話』八、伴蒿蹊『閑田耕筆』二、小川白山『蕉斎筆記』三、而慍斎『百物語評判』の紹介。『百物語評判』の記事を紹介し、『狂歌百物語』から「轆轤首」の挿絵を抄出しているのが、江馬務『日本妖怪変化史』(中公→中公BIBLIO)。また、高田衛編・校注『江戸怪談集(上中下)』(岩波文庫)は、『(正続)百物語怪談集成』(国書刊行会)のコンパクト版とでもいうべき怪談集で、『諸国百物語』、『百物語評判』から幾つかの話を抄録しているが、残念ながら、「越前の国府中ろくろくびの事」や「絶岩和尚肥後にて轆轤首見給ひし事」は収めていない*3。しかし、横山氏が参照すべき怪談として挙げていた「奥州小松の城ばけ物の事」は、下巻に収めてある。ここで描かれている「睨めくら」は、邪眼(Evil Eye)、マナの呪力に関わる怪奇譚であろう。最後に挙げる、根岸鎮衛 長谷川強校注『耳嚢(上中下)』(岩波文庫)の「怪病の沙汰にて果福を得る事」(中巻、巻之五)は、宵曲が異色の怪談として紹介しているものである。これは、末尾のほうに「素より右娘轆轤首らしき怪事聊なし」(p.218)とあるように、轆轤首かと思われた娘が実はそうではなくて、結婚して幸せに暮らしたという話。

*1:この名称は、鴻斎『轆轤首』にも見える。

*2:『怪奇・伝奇時代小説選集』(春陽文庫)に収められた「轆轤首」と同じものなのかどうかは未確認。

*3:あるいは「抜け首型」の轆轤首の話かと思われる「女の妄念迷ひ歩く事」(『曾呂利物語』)は、中巻に収めてある。