朝、雨ふる。夕方、雨あがる。
レジュメ作成、アルバイト、読書。
福永武彦・中村真一郎・丸谷才一『深夜の散歩―ミステリの愉しみ―』(講談社文庫)を半分ほど読む。なるほど、これは「名著」だ。
この本は、はじめ早川書房から新書版で刊行され、この講談社文庫に入り、そして後にはハヤカワ文庫にも入った。早川書房の日本版「EQMM」(「エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン」。後の「ミステリ・マガジン」)に連載されていたコラム*1をまとめたものだから、収まるべきところに収まったわけである。
福永氏が、「『深夜の散歩』の頃」という文庫版で新しく書下ろした文章に、「『EQMM』という雑誌は、読んでいると自分もやりたくなるような奇妙な魅力を持っていたらし」い(p.106)、と書いており、「EQMM」の編集長だった都筑道夫、次の編集長の小泉太郎、そして結城昌治を引き合いに出している。彼らはみな、この雑誌の影響もあって実作に転じたようである。
また福永氏は、自分が「加田伶太郎」であることを「ひた隠しに隠して」いたが、いつの間にかそれは「ジャーナリズムでは周知のこととなった」。そのことについて彼は、「存外わが友中村真一郎などがその元兇であるのかもしれない」(p.107)と書いているのだから可笑しい。その経緯については、本書をご覧ください。
ところで五年まえに出た、小森収編『ミステリよりおもしろいベスト・ミステリ論18』(宝島社新書)は、『深夜の散歩』から丸谷才一氏の「冒険小説について」のみ収録している。小森氏は「はしがき」で、「そもそも『深夜の散歩』からひとりだけ、それも一編だけで代表させるなどというのは、それがどのような形であれ、どだい無理ないしは無茶な話で、それと同様のいくつもの無理や無茶の果てでなければ、このようなアンソロジーはできるものではありません」(p.5)と書いており、選択に苦労したようすがうかがえる。
さて、『ミステリ=18』所収の「冒険小説について」は、ハヤカワ文庫版を底本としており、瀬戸川猛資氏による文庫版解説から、次のような一節も引いている。「(『深夜の散歩』が―引用者)かくも予見的なのは、著者たちが海外ミステリをきちんと文学としてとらえていたからだった」。
*1:福永氏の「深夜の散歩」、中村氏の「バック・シート」、丸谷氏の「マイ・スィン」。