成瀬巳喜男のサイレント二本

衛星劇場が、成瀬巳喜男サイレント映画を特集していたので録画した。そのうちの二本を観た。
『腰辨頑張れ』(1931,松竹蒲田)と『生(な)さぬ仲』(1932,松竹蒲田)。そのいずれにも交通事故(前者は鉄道事故、後者は自動車事故と「自転車」事故)が出てくる。後年の『ひき逃げ』や『乱れ雲』を想起させる(『女の座』にも、鉄道事故が出てくるらしいが未見)。
まず、『腰辨頑張れ』。山口勇(岡部)の奮闘ぶりは、『女優と詩人』の宇留木浩に重なるものといえる。
また、当時としては斬新であったに違いない回想シーンがラスト間際に挿入されている。
そして「時計」→「蛇口からしたたり落ちる水滴」というカットつなぎ。これは、『生さぬ仲』にも出てくる。ことさら水滴を強調するようなカットは、トーキー由来ではなく、むしろサイレントに由来しているのかも知れない、などとテキトーなことを考えてみたりした。それから、紙飛行機が重要な小道具として使用されている(次にのべる『生さぬ仲』にも、子供たちが紙飛行機を飛ばすシークェンスがある)。
『生さぬ仲』は、その冒頭部だけをとってみると、どうしても小津安二郎の『朗かに歩め』(1930,松竹蒲田。原作は清水宏)を想起させてしまう。確かにそのままである。城戸四郎をして「松竹に小津は二人いらない」と言わしめたという、例の有名な話を思い出してしまった(その後、成瀬はP.C.Lに移った)。そういえば、昨年亡くなった青木富夫(つまり突貫小僧)も、釣り好きの少年として登場するのである。これも、小津映画との類似点か。
しかし、小津映画と決定的に異なり始めるのは、奈良眞養(渥美俊策)や筑波雪子(妻・真砂子)、小島寿子(娘・滋子)が登場するあたりからである。そこで題名の意味も明らかになり、実はこの映画が、後年の『妻として女として』に通ずるようなテーマをもった作品であることに気づかされる。淡島千景(河野綾子)と高峰秀子(西垣三保)の対決は、正しく筑波雪子と岡田嘉子(清岡珠江)の対決に連なるものである。
ところで岡田嘉子は、この映画では「アメリカ」から「六年ぶり」で帰朝したという設定になっているのだが、ちょうどその「六年後」に、実生活で杉本良吉(演出家)と樺太の「ソ連領」へ逃れたというのは、なにか奇妙な因縁を感じさせずにはおれない。
いずれの作品も、いわゆる「成瀬調」がよくあらわれていて、サイレント時代にもそれが確立していたことをうかがわせるに足るものだった。残りの三本も、いずれ観ようと思う。
シューマン : 交響曲 第3番「ライン」
さて、二年ぶりで聴いた曲。トスカニーニ・エッセンシャルコレクションの一枚。
トスカニーニNBCシューマン交響曲第三番変ホ長調「ライン」と、シューベルト交響曲第五番変ロ長調カップリング(マンフレッド序曲附)。「ライン」は、聴けば聴くほど元気になる名曲だ。第五楽章の昂揚感が素晴らしい。
シューベルトの第五番は、バーンスタインニューヨーク・フィルでも聴いたけれど、テンポが速く、かつ、原曲に忠実で編成の小さいこちらのほうが好みにあう。