先日、五社英雄『人斬り』(1969,フジテレビ=勝プロ)をおもしろく観たので、春日太一『天才 勝新太郎』(文春新書2010)pp.97-99を再読。すっかり忘れていたのだが、カメラマンに森田富士郎を抜擢したのは、なるほど、勝自身であったのか。
最近出た春日太一『仲代達矢が語る日本映画黄金時代』(PHP新書2013)pp.182-84 にも『人斬り』に関する記述がみえ、田中新兵衛=三島由紀夫の切腹シーンに言及している。また、山内由紀人『三島由紀夫、左手に映画』(河出書房新社2012)は、第十一章を『人斬り』に割いていて、三島の演技を絶讃している。まあ『からっ風野郎』よりも遥かによいかもしれない。しかしどうだろう。たしかに、立ち回りや切腹場面の迫力は、ほかの役者にひけをとらないが。
またこの本で知ったのだが、三島の父方の祖母なつは、常陸宍戸藩(水戸の支藩)八代藩主・松平頼位(よりたか)の孫であり、しかも永井主水正尚志(もんどのしょうなおむね)の養子となった岩之丞の娘だという。尚志は、新兵衛が取調べをうけた際の京都町奉行だから、三島版新兵衛は「因縁」のある役どころといえる。
なお、劇中では以蔵=勝が姉小路公知(仲谷昇)を斬って、新兵衛が土佐勤皇党に「嵌められた」ことになっていたけれど、史実では、どうやら実行犯=新兵衛説が有力らしい。ついでながら、モチーフとなった司馬遼太郎「人斬り以蔵」は、「田中新兵衛がさる嫌疑で切腹し」(新潮文庫旧版p.118)と触れているだけで、事件に関する具体的な記述はない。
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ところで『仲代達矢が語る〜』に、次のような発言*1がみえる。
私は(『娘・妻・母』で原節子の―引用者)恋人役みたいなことをやるわけですけど、キスシーンがありまして、成瀬(巳喜男―引用者)さんが私を呼んでね、大きな声出す人じゃないから、「仲代君ね、本当にして」ってこう言うんです。
こう相手を抱いて、クルッと体を回してカメラからは実際に唇が合っているのを見せないのが日本映画界の接吻シーンでした。それはその俳優さん同士が唇を合わせるなんてことは、なんか……タブーとされていたっていうのかな。とくにそういう原節子さん、「永遠の処女」みたいな人には。だから、キスシーンがあるのはシナリオで知っていましたけど、今回もグルッと回すんだろうと。
それが成瀬さん「本当にして」って言うから。本当にしてってことは、唇と唇が合わさるようになるんだなと思って。そしたら、それを聞いていた原さんのマネージャーさんが、「うちの原はですね、実際唇を合わせたのは女優になってから一度もないんで、そこのとこよろしくお願いします」ってこう言うわけ。
監督は直接してって言うのとマネージャーさんが言うので違うから、しょうがないから原さんに、「監督は実際してって。いいですか」。そしたらね、「ああ、いいわよ」って。ああ、いいのかと思って。あとで睨みつけられましたけどね、マネージャーさんに。(pp.143-44)
ここで仲代氏は「日本映画の接吻シーン」について述べているが、それでは、「実際唇を合わせたの」が明らかな最初の日本映画は、いつ頃製作されたのであろうか。
国産第一号の「接吻映画」は、川島雄三『ニコニコ大会 追ひつ追はれつ』であるとされる。1946年1月24日公開。二十数分の短篇映画だ。未見であるが、川島が意図的にロングショットでキス・シーンを撮ったという。
次に挙げられるのが、田中重雄『彼と彼女は行く』(大映東京)で*2、これは1946年の4月に公開されている。
さらに一箇月おくれて、千葉泰樹『或る夜の接吻』(大映)と、佐々木康『はたちの青春』(松竹)とが公開、いずれも「接吻映画」として話題になっている。この二作品に関する記述を(再掲だが)引用しておこう。「前者は、日本ではじめて「接吻」の名を冠したもの。ただし、接吻の場面はなく、若原〔雅夫〕と奈良〔光枝〕が上半身だきあって、奈良が顔をあおむけにするという接吻直前までをうつしていた。後者は幾野〔道子〕と大坂〔志郎〕によるキス・シーンがあったと伝えられているが、その詳細はさだかでない」(山本明『カストリ雑誌研究―シンボルにみる風俗史』中公文庫1998:p.64)。
しかし、『はたちの青春』はなぜかその後、「接吻映画」第一号として有名になってしまった。篠田正浩『瀬戸内少年野球団』(1984YOUの会ほか)のなかでも、そのような位置づけの作品として紹介されている。
これには、おそらく次のような事情も与っていよう。
戦前の日本映画には、キスシーンはまったく描かれなかったが、戦後昭和二十一年に作られた『はたちの青春』(佐々木康監督)では、大坂志郎と幾野道子によって日本映画史上はじめてのキスシーンが演じられて大きな話題になった。
自由で対等な男女の恋愛は、いわば、民主主義のひとつのシンボルになった。そのことは、『はたちの青春』のキスシーンが、戦後の日本映画界を監督する立場にあった占領軍総司令部民間情報教育局の強い“指導”によって作られたことからもうかがえる。「恋愛」が明治になって西洋から輸入された概念だった*3ことの繰返しが、昭和二十年の“第二の開国”のときに、日本映画史上初のキスシーンという形をとってあらわれたのである。
(川本三郎『今ひとたびの戦後日本映画』岩波現代文庫2007:p.227*4)
民主主義のシンボルである接吻の場面を入れるように強要された『はたちの青春』(松竹、一九四六年五月二三日*5公開)は、日本映画史上初の接吻映画となる。これ以前に、GHQの指導を受けずに接吻シーンが唐突に出てくる『ニコニコ大会 追ひつ追はれつ』(松竹、一九四六年一月二四日公開)があった。(中略)当然、接吻場面の撮影には一騒動あった。
いざ接吻の場面になると、若い主演女優は接吻をされたことも、したことも、見たこともなかった。撮影所にたまたま来ていて、その現場で見学していたアメリカ人記者が「自分の義務」に気づき、静かに進み出て丁寧にお辞儀をして、その女優に「熱烈なキス」をすると、彼女は失神する。本当は女優はその記者とデートをするような仲で、普段から二人でキスの練習をしており、そのために撮影所に来ていたという説もある。(中略)
コンデ(デヴィッド・コンデ―引用者)が指示して作らせた接吻映画について山本嘉次郎はこう嘆く。「とうとうテレ臭い接吻映画第一号が日本に誕生したのである。その汚ならしかったことよ!」
『はたちの青春』の監督は佐々木康だった。外地から帰還したばかりの小津安二郎は、自分の助監督についたことがある佐々木を叱りつける。「おまえは接吻を宣伝文句にヒットをとるほど落ちぶれたのか。そこまでして、観客にへつらう必要があるのか」。佐々木は「GHQの指導で」という弁解の言葉を飲み込み、ただうなだれて聞いているしかなかった。
(浜野保樹『偽りの民主主義―GHQ・映画・歌舞伎の戦後秘史』角川書店2008:pp.20-22)
つまり、こういったGHQやCIEの思わくが何度も強調されたことで、『はたちの青春』には、「接吻映画」第一号、というイメージがはりついてしまったのであろう。
また、『追ひつ追はれつ』公開のすこし後、舞台上での「接吻」が話題となっている。参考までに、そちらも紹介しておこう。浜野前掲からの引用である。
一九四六年二月、市川猿之助と水谷八重子共演で『滝口入道の恋』が開幕すると、話題を呼んだのは、男女共演という歌舞伎の新しい試み以上に、きわどい台詞と、舞台上の接吻だった。その場面は、二人が扇で顔を隠し、暗転する程度だが、親たちは、子どもを観劇に連れていっていいかどうか思い悩む。こういった時はいつもそうであるように、この自由主義歌舞伎は連日大入りだった。(略)
演劇であれ映画であれ、日本の一般商業作品における接吻表現はCIEがきっかけを作り、日本に持ち込まれたのであった。(pp.92-93)
佐々木はのちに『接吻第一号』(1950松竹)を撮ったが、これは看板に偽りありで、いうまでもなく「第一号」映画ではないし、それどころか、「接吻」もしていない。鶴田浩二と桂木洋子とが「キス」する場面を背後から撮っていて、唇を合わせていないのは明らかである(ただし、作品としてはそこそこ面白かったと記憶する)。
同年には、千葉泰樹『夜の緋牡丹』(1950新東宝)が撮られており――それにしても、初期の「接吻映画」となると、佐々木や千葉の名がやたらと出て来るのがおもしろい――、最近、こちらも鑑賞することができた。劇中、伊豆肇*6と島崎雪子とのキスシーンが三度ある*7。一度めは背後から撮っており、これは唇をあわせていないが、二度めは島崎が逆さづりになって(サーカス団員出身の藝者という設定!)伊豆とキスをし、三度めは島崎のほうからキスをする。二度め、三度めは横側から撮っており、これらは本当に唇をあわせているように見える。
ところで、川本三郎氏は同作品を評して「健康的なエロティシズム」と述べているが、これは公開当時の反応とはまったく異なる。
ブログ「映画俳優:伊豆肇と池部良」に引用されているが、当時の宣伝には、「男を殺す眼!狂わせる肢体!ぎりぎりの愛欲が火と燃える!」「娼婦の肉体と少女の感情を持つダンス芸者・瞬間の刺戟を求めて男を漁る奔放女性」などという、煽情的なすさまじい惹句が躍っていた。「日本版『情婦マノン』」、とも評されたようだ。六十年以上まえの作品だから、現代的観点からすると、「健康的」にみえるということだろう。しかしまあ、新東宝らしいといえば新東宝らしい売り文句だ*8。
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*1:話しことばをほぼそのままのかたちで収録しているのが好もしい。「〜ミタク」も何回か出て来る。
*3:このいわゆる「恋愛輸入品説」は、小谷野敦先生が何度も批判している。たとえば『日本恋愛思想史―記紀万葉から現代まで』(中公新書2012)の第一章など参照のこと。
*4:中公文庫版もあり。
*5:この日が当該作品に因み「キスの日」になっているとは知らなかった。
*6:劇中、伊豆が当選する小説のタイトルが「娼婦」で、内容は不明だが、これは島崎をモデルにしたものとおもわれる。文藝春秋新社(当時)の協力をえて、実在の作家の名が広告にたくさん出ている。北澤彪(かれの偏執ぶりにはぞっとした)の登場シーンには、ジョージ・オーウェル『一九八四年』らしき文字列もちらと映るが、この小説は映画公開の前年に発表されている。
*7:伊豆と月丘夢路とのキスシーンもあるが、これは背後からのショット。
*8:高木清・塩澤幸登『昭和の美人女優―雑誌「平凡」秘蔵写真館』(マガジンハウス2011)は、「この映画(『夜の緋牡丹』―引用者)、資料には『貞操観念皆無の少女のような不見転芸者を大胆に演じた』とある」(塩澤幸登、p.120)と書いているのだが、「資料」というのがいったい何なのかは不明。