遠い雲

レポート二つ。
気分転換に映画を観る。木下惠介『遠い雲』(1955,松竹大船)。
脚本は木下恵介松山善三高峰秀子の夫)。製作は、小津安二郎『風の中の牝鶏』(1948)や木下惠介『野菊の如き君なりき』(1955)の久保光三。
なかなかしゃれたスタッフロール。獅子舞。雲。蒸気機関車。良一に扮する石茺朗が、野村芳太郎『鳩』(1952)出演時と比べると、ずいぶん成長していることにまず驚かされる。主人公の男女が高峰秀子(寺田冬子)と田村高廣(石津圭三)、という組合せで、これは三年後の『張込み』(1958)そのままです。設定もそっくりだ。
舞台は飛騨高山。いまは未亡人となった冬子(高峰)のもとに、圭三(田村)がやって来る。林野庁に勤める彼は北海道への転勤のため、休暇をもらって東京から戻ってきたのです。彼らはかつて恋仲でした。
冬子は、亡き夫から「全く愛されたことがな」く、彼女も夫を愛したことはなかったが、一人娘の絹子(植木マリ子)とともに静かに暮らしていた。「私は毎日、主人の夕食が気に入るように、あの子が風邪をひかないように、そればっかりで歳をとってしまいました」と自嘲気味に呟く冬子。過去をつとめて忘れ去ろうとする「火が消えてしまった女」=冬子に、圭三は自分の思いが昔と変わっていないことを積極的に伝えます。「世間の目」を気にして感情を表に出さなかった冬子は、しだいに心を動かされてゆく。
圭三は、〈相手もまだ変わらぬ思いを抱いているはずだ〉という確信につき動かされて性急に結論を求めようとするので、あまり共感できないのですが、それだけにかえって冬子の心情の変化が際立っており、そこに演出の上手さがあると思う。また何かが起りそうで、しかし何も起きないという展開(?)はあの『乱れ雲』を想起させます。しかし『乱れ雲』よりもくどくはなくて、同じ成瀬映画でいうと、『鰯雲』に似た感じ。小道具の使い方もうまくて、特に感情の高まった高峰が〈物を取り落す〉シーン(二、三度ある)やジイド『狭き門』の使い方に注目。
高峰秀子がやはり上手い。デビューしたての田村高廣の演技はやや生硬。桂木洋子が、意外や意外、芸者千成に扮していて、これも悪くはない。小林トシ子*1(野島時子)は『善魔』や『楽天夫人』と同じような役回りで気の毒ですらあるけれど、この映画ではもっと存在感があります。その他の女優では、モガというか新しい女を演ずる中川弘子(石津貴恵子)や冬子の姉の井川邦子が良かった。
男優で、注目すべきはやはり佐田啓二(寺田俊介)でしょうが、今回はこれ以上書きません。

*1:個人的には、『カルメン故郷に帰る』のマヤ役が良い。