本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
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正月行事にも、土地の風習が色濃くのこっている。たとえば我が家でいただくお屠蘇であるが、味醂や清酒ではなくて、母の郷里から毎年送ってもらう「赤酒(あかざけ)」(独特の甘みが特徴)に屠蘇散を浸してつくる。これが熊本の地酒だと知ったのは、実は大学生になってからのこと。それまでは、全国的に知られた酒とばかりおもっていた。
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年末、高峰秀子の訃報が入ってきた*1。年の瀬も押し詰まった十二月二十八日に亡くなったという。享年八十六。
昨年は正月早々、気分転換のため××館に『浮雲』『乱れ雲』を観に行った。その帰途、出たばかりの斎藤明美『高峰秀子の流儀』(新潮社)*2をできたばかりの本屋で購い、一気に読了、高峰による「ひとこと」(pp.314-15)もかわらぬ健筆ぶりで、デコちゃん健在なり、とおもっていたところが、その年末に亡くなったのである。十月下旬に体調を崩され、年末に病状が悪化したらしい。
2010年は、ブログにも書いたが、訃報つづきの一年であった。とりわけ、往年の銀幕名優の訃報が目立った*3。池部良、小林桂樹、佐藤慶、北林谷榮、池内淳子、長岡輝子、ケヴィン・マッカーシー、デニス・ホッパー、ジル・クレイバーグ……。
高峰秀子や池部良は、名文家としても知られた。斎藤氏は高峰の文章について、こう書いている。
高峰秀子の文章の特色は人柄そのもの。短文、「である」調、そして見事なまでにそぎ落とした文章であるということ。女性には極めて珍しい。チャラチャラ飾り立てた表現や、自己満足の難解な文章は一つもない。淡々として、平明。そして何よりも特徴的なのはその姿勢、自己の客体化である。一番顕著に表れているのが、自伝『わたしの渡世日記』だ。自分自身について書く時、この客体化は非常に大切なものだが、同時に大変難しく、自伝と名のつくものでこれをなし得た作品は少ない。つまり高峰秀子は文章を書く時、その演技と同じく、必ずもう一人の自分を携えているのだ。読者より、観客より、監督より編集者より、誰よりも冷たく厳しい、自身の目。その目でじっと見据えた文章なのである。
と言って、冷たい文章とは違う。冷めているが、ユーモアに富み、心にしみる。
(斎藤明美『高峰秀子の流儀』新潮社,p.14)
私もやはり、高峰の本をどれか一冊、と言われたら、迷うことなく『わたしの渡世日記』を挙げる。文章の味わいぶかさはもちろんのこと、これは銀幕交友録、昭和史としてもたいへん貴重なものだ。
また、人物エッセイも多くものしており、『にんげん蚤の市』『人情話 松太郎』『おいしい人間』など、どれもこれもおもしろく読んだ。『つづりかた巴里』や著者自装の『まいまいつぶろ』、対談・人物エッセイ集『いっぴきの虫』あたりも忘れ難い作品である。
高峰は生前、「私の死亡記事『往年の大女優ひっそりと』」(『にんげん住所録』にも収録)に、次のように書いた。
生前「葬式は無用、戒名も不要。人知れずひっそりと逝きたい」と言っていた。その想いを見事に実践したようだ。(略)
昭和五十四年にスクリーンを退いたが、その死に至るまで多くのファンの親切と厚意に支えられ、高峰節といわれた達意の文章で随筆集を重ねてファンに応えた。「死んでたまるか」という文章も書いたが、相手が天寿では以て瞑すべし、しあわせな晩年であった。
正月には、主演作を観て追悼しようとおもう。ご冥福をお祈りします。
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ご両親にとっては、これで娘は死んだもの、無くしたもの……そしらぬ顔はしておりますが、娘を嫁にやる親は、みないちどはこういう涙の谷を渡って……(久生十蘭「春雪」『久生十蘭短篇選』岩波文庫p.377)
引用文中の「涙の谷」とは、「悲しみの中にある現世のありさまを、谷にたとえた語」(『日本国語大辞典【第二版】』)である。しかしこの語、『日国』(初版)には採録されなかったらしい。
そのことを指摘したのが、久保忠夫『三十五のことばに関する七つの章』(大修館書店,1992)第六章である。久保氏は、「この語は近代文学に頻出する重要な語なのである」(p.104)と述べ、それが『大辞典』や『広辞苑』にはおろか、『日国』初版にも見えない語であると書く。そして、「涙の谷」が『旧約聖書』詩篇84-6に出てくる "vale of tears" の直訳語であることに言及し、『旧約全書』(1888刊)から用例を拾っている*4。この『旧約全書』は、1887年までに「翻訳委員社中」(1884年発足*5)が訳しおえたもので、「委員会訳」「明治訳」等と称される(鈴木範久『聖書の日本語―翻訳の歴史』岩波書店)。
さきにも引用したように、「涙の谷」は、『日国』第二版には採録された。「明治訳」はもちろんのこと、なんとそれからさかのぼること約三百年、『ぎやどぺかどる』(1599)から、「此世界は人の流され所、定めなき苦しみの海、涙の谷と号するが故に」(下・一・五)という用例を拾っている。これが「明治訳」と直接的な聯絡があるのかどうかは分らない。
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