『映画評論』の時代

朝方、テアトロ・リリカ熊本が創立七周年記念に公演した*1ジャコモ・プッチーニ『トスカ』(“La Tosca”)を鑑賞しました。『トスカ』は、ヴィクトリアン・サルドゥの戯曲に基づいてつくられたもので、初演は1900年。
フローリア・トスカ役は川村純子さんで、マリオ・カヴァラドッシ役は高田作造先生(総監督、演出も兼ねる)。またスカルピアに扮するのは三浦克次さん、アンジェロッティは八戸和男先生。指揮は松下裕さん。
第二幕。トスカの「歌に生き、恋に生き」後に、「お約束」のブラーヴォ。おじさんが一人だけ、声をあげる。第三幕。スカルピアにもう少し迫力があれば、と思う。カヴァラドッシ=高田先生が「星は光りぬ」を熱唱。七十歳になられたとはとても思えぬ若々しい歌声を聞かせてくれました。相当な見せ場だと思うのだが、客席からは何も聞こえてこない(トスカのアリア後には割れんばかりの拍手が起ったというのに)。
「映画評論」の時代
昼、佐藤忠男 岸川真編著『「映画評論」の時代』(カタログハウス)を、気になったところから再読。(物覚えがわるいために)内容をすっかり忘れている文章が多いので、(あれ、こんな人も書いていたんだっけという軽い驚きも感じつつ)新鮮な気持ちで読めます。
まず、中川信夫インタビュー「あの世との関わり方」。聞き手は堀切直人さん。堀切氏の「あの世」にたいするスタンスもわかって、たいへん興味ふかい。堀切氏によればこうです。――「あの世」はかつて(江戸期や明治期)心のなかにあって、もっと身近なものだったのだけれど、最近の人たち*2はそういうものに即自的につかってきたわけではないから、夢とか幻想を経由しなければならない――のだ、と。また、内田吐夢飢餓海峡』を「クソリアリズムの坑道を掘っていって心霊的な高みにたどりついてしまったというような趣きがある」(p.750)と評するのは卓見でしょう。
中川さんが怪談映画を製作するさいには、「一切を含みこんだ泥沼」というアイテムを用いることに「執着」していたそうなのですが、それで『怪談累が淵』(1957)の製作に拘泥したのかと、ようやく得心がゆきました*3
ところでp.750に、中川さんが「千本木通り」の怪談を、「話の筋なんかはなんにも覚えていないが」それを語るおばあさんの言葉のめりはりが恐ろしかった、と紹介しているのですが、これは「次第高」のような話ではなかったか。つまり、武士が振り返るたびに、後からついてくる坊主がだんだん巨大になっていくという話。
つづけて、虫明亜呂無「スポーツを越える美学を―市川崑の『東京オリンピック』―」(p.579-83)、O*4「問題は『記録か、芸術か』ではない―『東京オリンピック』論争について―」(p.584-86)というふたつの『東京オリンピック』擁護論を読み、丸谷才一「なぜ戦争映画を見ないか」(p.542-46)、寺山修司「瓶詰めの猿論」(p.396-99)を読む*5。そして最後に、座談会「メケ分化とマニエリスム(迷宮思想)正・続」(足立正生種村季弘唐十郎佐藤重臣)p.640-71を読む。
この『「映画評論」の時代』は、何度読んでもどこから読んでも愉しめ、また貴重な資料にもなっているという三嘆に値する本です。映画ファンのみならず、本が好きな方は手許に置いて再三味読すべき書だと信じます。

*1:2004.10.23,於熊本県立劇場

*2:一九七一年のインタビューであることに注意。

*3:「○○淵」ものの傑作には、毛利正樹『怪談鏡ケ淵』(1959)がある。これは、怪談のもてるあらゆる要素を「パックづめ」にしたような映画ですが、舞台が鏡ケ淵でなかったら、きっと怖さも半減しています。この時代の監督たちが、原作を明治期の落語に求め、「淵」の怖さを表現しようとしたことは、もっと注目されて良いのではないでしょうか。

*4:長部日出雄さんのペンネーム。

*5:寺山の文章は、中原弓彦への抗議になっているのですが、その「再反論」は、小林信彦『映画を夢みて』(ちくま文庫,p.304-16)で読むことができます。その「後記」が笑えます。