あいつはあいつ オレはオレ

晴れ。
外に出る用事特になく、家で演習準備など。
あいつと私 [DVD]
午後、中平康『あいつと私』(1961,日活)を観た。原作は石坂洋次郎の同名小説(『週刊讀賣』に連載)。『危いことなら銭になる』と同じく、主題歌の作詞を担当したのが谷川俊太郎で、その突飛さが愉快だ。
冒頭の講義室。教卓の老教授があの浜村純。教室には石原裕次郎芦川いづみ吉行和子小沢昭一、高田敏江らの顔が見える。そこでいきなり、裕次郎(黒川三郎)が金銭の使い道について突拍子もない発言をするのだが、そのために女学生たちの吊し上げに遭い、プールに突き落される。が、そこには相米慎二台風クラブ』(1984)冒頭部(プールサイド)のような深刻さは微塵もなく、朗らかな青春群像劇の印象を与える。
濡れ鼠になった黒川を迎え入れるのが、芦川(けい子)の浅田家で、この浅田家が凄い。父・金吾役に清水将夫、母・まき子役に高野由美、妹役に吉永小百合(!)と酒井和歌子(これが映画デビュー作?*1)、そして祖母役に細川ちか子(!!)、という豪華さ。これがいかにもありがちな「保守的」な家庭(というのは実はけい子の謬見で、まき子はむしろ黒川三郎などに理解を示そうとする)。一方の黒川家は、父・甲吉役に宮口精二*2(!)、母・モトコ役に轟夕起子(すっかり貫禄が備わっている)。こちらはめいめいが好き勝手に生きている「進歩的」な家庭。その進歩的な家庭にけい子が憧れを抱くという設定である。さらに、きわめて重要な登場人物・阿川正男役に滝川修。……と、新しいスターのみならず、藝達者も揃えた配役になっていて感動する。
昭和が明るかった頃
石原裕次郎は、一九六一年のはじめにスキー場で複雑骨折し休養していたのだが*3、約八箇月後の公開作品『あいつと私』が復帰後第一作となった。これは、「すでに二十六歳になっていた彼の最後の学生役の仕事だった。この作品は配給収入四億円をあげ、彼の興行的全盛期たる一九五八年の『嵐を呼ぶ男』『陽のあたる坂道』と同レベルの成績をあげた」という(関川夏央『昭和が明るかった頃』文藝春秋,p.116)。
さて物語は、明朗な青春活劇の余韻を残しつつも、笹森礼子(加山さと子)の結婚式後のシーンから翳りを帯び始める。裕次郎・小沢・芦川の三人が安保闘争のデモに参加することになるのだが、裕次郎はやや冷ややかだ。小沢も小沢で、好きだった笹森が結婚したことの腹癒せに「安保反対!」を叫んでいるようなフシがあり(余談だが、この映画では国会議事堂前の「ジグザグ」も再現されている)、それはまだ可笑しいのだが、安宿で男(革命闘士で、吉行らが尊敬の念を抱いている)に犯された標滋賀子(金森あや子)が吉行(元村貞子)の家に転がり込んでくるあたりから、状況は一変する(標と吉行の罵りあい・取っ組み合いは、後に来る現実の「革命の挫折」を予見したものと言えそうだ)。このあたり、若者と大人、あるいは保革の単純な二項対立を巧みに回避するストーリーの妙を感じさせる(それは山中の工夫の描かれ方にも顕れていると思う。ただ、ステレオタイプな男性像が、すこし不満ではある)。
その後、芦川は「進歩的」な黒川家に隠された驚くべき秘密とその代償の大きさを知るのだが、それが大袈裟な展開であるとはいえ、妙に説得的なのは、やはり裕次郎あればこそなのだろうな、と考えたりした。

*1:銀幕デビュー作は『今日もわれ大空にあり』(1964)だと、まことしやかに言われたりするのだけれど…。

*2:むしろ藤原釜足に似合いそうな役を、さらりとこなしている。

*3:それがために、裕次郎を主演に据える筈だった『激流に生きる男』が、赤木圭一郎主演で製作されることになったのである。