中公文庫解説総目録

白川静 桂東雑記Ⅳ』(平凡社)に、「橘曙覧の短歌史上の位置について」という福井での講演をもとにした文章が収められてあって、そこで白川氏は、「私は曙覧の文学の本質は、『万葉』という非常に古い時代と、幕末のいよいよ開花する、幕藩体制というものが崩れて、天皇の御代に戻るという、新しい御代が開けてくるという未来への展望と、尚古的な観念と未来への展望、この二つの極が彼の心の中に作用しておると思う」(p.120)と述べておられる。つづけて、「強烈な矛盾的世界を内に持たないものの中には、決して広く深い世界は生まれてこない。(中略)近代文学というものは、そういう自己矛盾的な世界を内にもちながら展開をする、生まれて来る」とも。そこで、水島直文・橋本政宣編注『橘曙覧全歌集』(岩波文庫)を披いてみると、その「解説」に、技巧上では「旧套を脱しきれないでいるところもあるが」、「卑近な日常語を使いこなし、口語的な発想によって有りのままの生活を有りのままに歌い、一方、出典を中国の古典に求めて多くの漢語を取り入れるなど」した(p.390)、とある。
それで思い出したのが、三日まえに書いた紅葉の変心というか矛盾についての話。「紅葉山人の文章談」(小鳥)なる全集(岩波書店版)所収の文章を読んで、一往、分った(ような気がする)。雅俗折衷に拘泥していた頃の紅葉はまだ「若かった」のだ。だが、晩年に(ということばが似つかわしくないほどの夭折だったわけだが)「転じて言文一致と成つた時の勢は、往には重荷を負つて上つた急坂を、空身で走り下りるやうな塩梅で、殆ど一瀉千里の概有りと申しませうか、余り自在に書けるので、自分ながら驚いたくらゐでありまする」(『言文一致論』)と講演で力説した紅葉には、やはり、紅葉らしからぬ感じをうける。
中公文庫解説総目録 1973~2006
『中公文庫解説総目録 1973〜2006』(中公文庫)の、目録以外の部分を読む。『江戸の夕栄え』は再読の要を感じた。中公文庫の創刊ラインナップ(pp.18-9,pp.51-2)、どこかで見たことがあるぞと思っていたのだが、思い出した。某先生の所有されていた昭和四十八年刊『中央公論』(何月号かは忘れた)だ。そのときは、創刊ラインナップの意外な顔ぶれに、たしかに驚いたものである。岡崎武志さんの「中公文庫ものがたり」によれば、「七五年十一月刊の池辺三山/滝田樗陰編『明治維新 三大政治家』、七六年四月の結城禮一郎『旧幕新撰組結城無二三』、七月の江馬務『日本妖怪変化史』、八月の飛田穂洲『熱球三十年』といったあたりから、従来の中公文庫とは違う顔が現れはじめ」た(p.57)のだそうだ。つまり「高梨茂」カラー、とでもいうべき傾向である。因みに、ここに挙げられた本はいずれも、「BIBLIO」や「幻の限定復刊」枠で復刊されている。
また、「中公文庫ものがたり」には、長谷川鑛平もちらと登場した(p.59)。