植村清二

◆西丸震哉『山だ原始人だ幽霊だ』(角川文庫,1981)の「解説」(星新一)に、「西丸さんとはじめてお会いしたのは、ある雑誌での平野威馬雄さんを加えての座談会であった。怪奇特集号のたぐいで、平野さんが「お化けを守る会」に熱中しておられるころだった。その会が現在どうなっているかは、よく知らない」(p.322)、とあった。この御三方のうち存命なのは西丸震哉氏のみだが、こうして故人が今でも本の中でつながっているのを確認するというのは、なんだかうれしい。
◆四月五日号『週刊新潮』に載った、縄田一男氏による書評、特にその冒頭部――「私は、この一巻に記された文字を、一字一句、いとおしむが如くに読んだ。いや、そうせずにはいられなかった」――にすっかり「まいって」しまって、植村鞆音『歴史の教師 植村清二』(中央公論新社)を購入(著者は植村清二の御子息。伯父の評伝、すなわち直木三十五伝も書いている)。書評*1に惹かれて買うことは滅多にないのだが、「植村清二」じたいに強く惹かれたというのもまた事実。「(植村清二が―引用者)白鳥庫吉に初めて会ったのも東洋史談話会の席である。清二が入学した大正十一年、白鳥が創設される東洋文庫の蔵書購入のため外遊することになり、その送別を兼ねて山上会議所で談話会が開催された。白鳥は、当時まだ六十歳には間があったが、老いの影などどこにもない、英姿颯爽、四辺を払う観があった。翌年、帰国した彼は、東大で「東洋史概説」の講義、「漢魏時代史」の特殊講義、「蒙古源流」の演習などを担当する」(p.34)、といった記述なども興味ふかい。
昨年末、植村清二楠木正成』(中公文庫,1989)を読んだのだった。「正成の判断が正しいと見る論拠はまことに現実的で、イデオロギーや倫理はいつさい顧慮されない。すなはちこのときに出現する彼の姿は現実政治の英雄であり、その点ほとんど尊氏と異らないほどであらう。植村の描いた正成は、戦術の天才であつてしかも地方の土豪である尊氏ともいふべき人であつた」(丸谷才一「解説」,p.228)。
「心のどこかで、敢へて自分を正成になぞらへて書いた本といふ性格が、この『楠木正成』にはあるやうな気がする。違ふだらうか」(同前,p.229)。
◆昨日は、多くの方々から沢山の本を頂きました。まずはKさんから、『ロラン・バルト映画論集』(ちくま学芸文庫)、里見紝 武藤康史編『秋日和 彼岸花』(夏目書房)など四冊。Nさんから、井伏鱒二『スガレ追ひ』(筑摩書房、署名入)。Yさんから、『宇治拾遺物語』(小学館新編日本古典文学全集)など三冊。
どうも有難うございます!

*1:丸谷才一氏も同書の書評をかいたようだが未見。