ふたたび植村清二

植村鞆音『歴史の教師 植村清二』(中央公論新社)が、おもしろい。植村清二の松山高等学校時代の教え子には池島信平奈良本辰也、村上信彦らがいて、新潟高等学校(現・新潟大学)の教え子には綱淵謙錠利根川裕、中山公男、野坂昭如丸谷才一らがいるという。卒業生たちの、この錚々たる顔ぶれもすごい。
p.36 に、「本会ハ近藤建一氏ノ出ニヨリ会員ニ対シ学資ヲ給与シテ」とあるが、これは「出ニヨリ」の誤植だろう。内容が良いだけに、このような魯魚の誤があるのはちょっと残念なことだ。
p.50-53 の、井上房枝宛の手紙がいい。わたしは、たとえば『作家の手紙』(角川書店)の如き「お手本集」(=不特定多数の人に見られることを意識したもの)などよりも、日本ペンクラブ江國滋選『手紙読本』(福武文庫,1990)とか池田弥三郎『手紙のたのしみ』(文春文庫,1981)とかいったような、云わば「私信集」のほうに食指が動く*1。しかし江國滋は、『手紙読本』の「解説」にこう書いている――「人の手紙を読むのは、いい気持がしない。一種のうしろめたさ、もっとはっきりいえば、自分が"のぞき屋(ピーピング・トム)"になったような罪悪感が無意識のうちにはたらくせいだと思われる。それと同時に、偶像破壊を怖れる心理も、たしかにある」(pp.255-56)、と。だが、その「うしろめたさ」「罪悪感」が、あるいは「窃視」の快感をともなうこともあるのではないか。(夢野久作『瓶詰地獄』が「書簡体」で書かれていることの意味を論ったのは中条省平文章読本』であるが、「窃視」という観点からの解読ではなかったように思う。書簡と窃視と文学との関係。たとえば、宮本百合子はなぜ、ドストエフスキー『貧しき人々』が書簡体であることに強く惹かれたのか)
◆最近観た田中登『夜汽車の女』(1972,日活)も、初めから終わりまで「窃視」をテーマとした映画とみてよいのではないか(最後のオチはいただけないが)。桂知子はつねに「見る」側の人間、田中真理は「見られる」側の人間である(もちろん、観客という高次の存在を想定しなければという前提が必要)。しかし田中真理は、「葛の葉の子別れ」を演ずる瞽女の前では、「見る」側へと立場が反転している(というか、強制的に追いやられる*2)。この印象的なシークェンスは、いずれ「見る」側に身を置くこととなる男女と田中とを同席させるという重要な意味ももっている。
池島信平編『歴史よもやま話』(文春文庫)は、「日本篇(上)(下)」「西洋篇」しかもっていないが、「東洋篇」に、植村清二は登場する(対談相手として、もしくは発言中に)のかな。

*1:もっとも、吉野三郎著『手紙の作法』(現代教養文庫,1961)のように、たとえ「お手本集」でも附録が充実しているのもあって、これはこれでおもしろい。

*2:三浦俊彦『のぞき学原論』(三五館)の分類に随うならば、これは「第二の型」、すなわち「偶然の覗き」と見なせるだろう。