この人の書斎が見たい

◆落込むこと多々あり、出たついでに気分転換するのもいいか、と某書店に立寄る。復刊された三冊本の『玉台新詠集』(岩波文庫)、それから武藤康史*1『文学鶴亀』(国書刊行会)でも見てみようかなと。後者については、けさの朝日新聞広告欄に、ボウエン『エヴァ・トラウト』等と共に(またまた)出ていたから、「二十五日発売」(発売日は「晩鮭亭日常」で知った)とはいえ、そろそろ本屋に出るころなのでは……と考えたのだ。しかし、やはり残念ながら在庫ナシ(『エヴァ・トラウト』は平積みになっていた)。岩波文庫一括重版のコーナーにも、『玉台新詠集』ナシ。『吾妻鏡』(五巻)はあった。そして、目の前で、『玉勝間(上)(下)』と『インド紀行(上)(下)』とが売れていった……。
ここは、さほど大きな書店ではないのだけれども(それでもわが町に中規模書店が出来たときは大喜びだったものだ*2)、山田稔氏の復刊本『特別な一日――読書漫録』(編集工房ノア)が一冊、棚差しになっていて、さすがに関西だな*3、なんて思ったり(平凡社ライブラリー版、まだイキてるのかとおもっていた)。
仕方がないので、これもけさの新聞広告で見た『PLAYBOY』四月号、そして花森安治『暮しの眼鏡』(中公文庫)を手に取る。『PLAYBOY』は「この人の書斎が見たい!」特集。吉本隆明氏の書斎を紹介した記事に、プレイメイトのカレンダー(2006年版)が写っているのだが、「いわゆるヤラセではありません!」との編集部注があって笑わせる。
また、新聞広告にはなぜか載っていなかったのだが(表紙にもない。もっと大々的に宣伝してくれ!)、「辞書に恋する―辞書ウォッチングのススメ」(石山茂利夫=文、伊豆倉守一=写真、松井栄一・三省堂書店神保町本店=撮影協力)なる特集記事もあるので(pp.126-31)、これは買いだ。もっとも、「辞書ウォッチングの初歩的知識と心構えを伝えよう」という趣旨の記事なので、「辞書の“真ん中語”」とか「辞書の中の六本木(外来語通り)」とか、どこかで(というか、石山氏の著作の何れかで)読んだおぼえのある話がほとんどなのだけれども、石山氏による『新潮日本語漢字辞典』の短評も読めるし、小駒勝美氏の談話も載っているし(小駒氏は今年の一月九日付『朝日新聞』の「ひと」欄にも登場された)、なかなか面白く読んだのだった。
◆ここでまた書斎の話に戻るが、『PLAYBOY』には谷沢永一氏の書斎も紹介されている。これはもう何度か目にした書斎なのだが、さすがに蔵書十万冊余(!)の全容は写しおおせるすべもなく、見るたびになにか新しい発見があって(“三宅雪嶺コレクション”も初めて見た気がする。雪嶺は谷沢氏の著書によく登場するのだが…)、おやこんな本が、あんな本も、とついつい見入ってしまうのである。たとえば先述の『新潮日本語漢字辞典』が書棚に収まっていたり*4、『福田恆存評論集 第八卷』(麗澤大學出版會)が机の上に積んであったりする(谷沢氏は『一個人』三月号で、この二冊の本を紹介されていた*5)。また、松井栄一(しげかず)先生の『出逢った日本語・50万語』(小学館)が(なぜか)カバーのみ、机の上に投げ出されている(その色から判断するに、本体らしきものも机の上に置かれてあるのだが、背が見えないのでそれと断定できない)。
他にも気になる書斎がいっぱい(海外の作家の書斎は、使いまわしの写真による紹介だが、それはまあ致し方あるまい。G.グラス、K.ヴォネガット、M.フーコー、G=マルケスなど、取り敢えずひとつところにまとめてくれたことに感謝すべきだろう)。鹿島茂氏の本棚も(これも何度目かで)見られるが、鹿島氏は、そういや本編の連載も受け持ってたんだな(『PLAYBOY』なんて、滅多に気にとめないからな……。黒澤明特集のときもスルーしてしまったし)。
◆「書斎」といえば、『センセイの書斎』、また「本棚が見たい」の先駆けとなるであろう『私の書斎』(三巻本)などといったルポや本棚論(?)系統のもの、それから「図書」が編集した『書斎の王様』など書斎活用術に重きを置くもの、またインテリアや書斎必須のアイテムまで説き及ぼすものなど色々あるけれど、わたしがとりわけ好きな随筆に、これは編集工房ノアつながりで言うのではないが、天野忠「書斎の幸福」(山田稔選『天野 忠随筆選』編集工房ノア)というのがある。これがなんとも不思議な読後感のある随筆なのだ。書斎という空間それ自体について、また念願の書斎を持った後の複雑な心境を、平易な文章で、見事にえがききっているとおもう。
◆そういえば、志賀信夫『テレビ番組事始』(NHK出版)を立読みしていると、獅子文六『夫婦百景』は戦時中に書かれはじめた作品だとあって、驚いた。なぜというに、単行本は戦後かなり時間を経てから出ているはずだし(帰宅後確認すると、わたしの持っている新潮社の単行本―角川?の新書版もたしか出ている―は、昭和三十三年の第十一刷のものだが、初刷は昭和三十二年刊であった。あとがきには、具体的な掲載年が記されていない)、映画化も、ずっと後になされているからである。書かれているエピソードも、戦後のものばかりだった記憶があるので、戦時中から書かれたものだとは全く思い至らなかったのである。しかし、集英社版日本文学全集の年譜をみてみると、昭和二十五年(一九五〇)年一月に「『夫婦百景』を『婦人倶楽部』に連載、六月完結」とあるんだがなあ(このさい続篇は問題にしない)。む、むむ…。
わたしが志賀氏の文章を、誤読しているのかしら。
三浦和義事件、ロス疑惑といえば、わたしがリアルタイムで知るはずもなく、島田荘司だの、『コミック雑誌なんかいらない!』だのを経由して知った身だが、しかしそれにしても、なぜにまた突然?

*1:武藤氏は、昭和十八年版の『明解國語辭典』(三省堂)が復刻されたときに(十年ほどまえ)、その解説を担当されていたので、この人は辞書の編集者か国語学の専門家かはたまたどこかの校閲部長なのかしら、とおもっていた(その後、『文學界』でも辞書やその語釈についての記事を書いておられたので尚更だった)。この解説文は、のちに出た『国語辞典の名語釈』(三省堂)に「『明解国語辞典』復刻版に寄せて」と改題(若干の加筆もなされている)、収録された。

*2:十二年前のこと。竣工時には、「関西最大の売場面積を誇る書店が出来た」などというもっともらしいデマが飛んだ。

*3:そういえば大阪キタのジュンク堂には、(当然なのだろうけど)「編集工房ノアコーナー」も有る。

*4:出たばかりの『三省堂国語辞典』第六版も見える。

*5:以前わたしが某書店(谷沢氏の自宅附近)に、『福田恆存評論集 第八卷』を(ほぼ発売と同時に)在庫確認しに行った折、ナビでは在庫アリになっていたのだが、店内に見当たらないので、店員に問い合わせをしてみたところ、実はすでに発売前に先約が入っていることがわかったのだが、その先客とは谷沢翁ではなかったかと推測する。……とまあ、これはどうでもいい話のごとくであるが。