阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)が起きたとき、わたしは中学一年生だった。地震直前の、地鳴りのような恐ろしい音で目が覚めた。直接的な被害は、幸いなことに殆どなかったが、震度6の地震を体験したのはもちろん初めてのことだったし、その後はしばらくガスなどのライフラインが断たれて苦労した。
阪急伊丹駅は、自宅からさほど離れたところにあるわけではないが、二階・三階部分が完全に崩壊した。テレビでその状況を見て絶句した。知人のなかには家が全壊したり半壊したりした人もあったし、顔見知りではなかったが亡くなった上級生もいた。
とりあえずは無事でいることのありがたさを、このときほど痛感したことはない。
今回の東北地方太平洋沖地震では、地震の規模(M9.0)はさることながら、大津波が引き起こされ、そのことによって多数の犠牲者や行方不明者が出ている。福島原発の事故も心配だ。
千葉の親戚は無事というが、未だに避難をつづけているらしい。福島の海岸寄りに実家のある後輩も心配だったが、御家族は無事だったとのことで安心した。ただ、実家のある辺りは津波にさらわれて壊滅的な状況だという。心中察するに余りある。
「テレビは死んだ」とかいろいろ言われるが、まことに皮肉なもので、こういうときほど、ラジオやテレビからの情報が必要になることはあるまい(避難所の様子などを目にするにつけ、ツイッターは、まだ、使いこなせる人だけを選んでいる段階だと考える)。私も、固唾をのんで報道を見守っているところである。
被害の全貌を把握するまでには、まだまだ時間がかかるでしょうが、罹災された方々が、一日も早く不断の生活に戻られることを、心より祈り上げます。
今晩六時からも、関西電力が備蓄分を東北方面に送電するとかで、節電励行をうったえかけています。(私はチェーンメールではなくて、人づてに聞いたのだが、してやられた。冗談にもほどがある! もっとも、節電は大事なこと。それに、送電しているというのは事実。だが供給量の上限は決まっていて、節電を呼び掛ける状態ではない、とのこと。)
今被災地に必要なのは救援活動、物資、水、電力などに限られるでしょうし、何も出来ない自分がもどかしいですが、出来ることだけでも、とおもっています。
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「天災は忘れたころにやってくる」、という。巷間では、寺田寅彦の言葉だといわれる。高知市内の旧邸内の碑にさえ刻まれている。
私は小学生のころに、柴田武責任編集『学習漫画 たのしい名言〔日本・世界〕事典』(集英社,1985)で読んで知った。その本にこうある。
一九二三年(大正一二年)、関東大震災に出会った寅彦は、災害についての調査にとりくみました。
このとき、寅彦が「天災は忘れたころにやってくる」と言ったことばは、今日でも生きています。(p.31)
しかし、たとえば坂崎重盛『名著再会「絵のある」岩波文庫への招待』(芸術新聞社)が、寅彦の『柿の種』をとりあげたくだりで、「『天災は忘れた頃にやって来る』は寅彦の言葉と伝えられている(事実は不明)」(p.66)と書いているように、これが本当に寅彦の言葉であるかどうか、わかっていない。というか、きわめて怪しい。著作には出てこないからである。
してみると、「天災は忘れたころにやってくる」というのは、誰かが「これは寺田寅彦先生の言葉だ」と紹介したものが、そのまま広まってしまったのではないか。そう考えて、小林勇『回想の寺田寅彦』(岩波書店)、太田文平『寺田寅彦の生涯』(四季新書)等をざっと見たことがある。だが、そのままずばりの表現はどこにも出てこなかった(『たのしい名言事典』が、寅彦は関東大震災後にこの言葉を発した、とする根拠も、何を踏まえてのものなのか、よくわからない)。
実は、道浦俊彦『スープのさめない距離―辞書に載らない言い回し56』(小学館)がそのあたりの事情について書いている。
道浦氏によると、
寺田の書いたものの中に、この言葉(「天災は忘れたころにやってくる」―引用者)そのものはない。寺田の門下生で、雪の研究で知られた中谷宇吉郎によると、「話の間には、しばしば出た言葉で、かつ先生の代表的な随筆の一つとされている『天災と国防』の中には、これと全く同じことが、少しちがった表現で出ている」(『百日物語』1956)という。(略)中谷は、「天災は忘れたころに…」が『天災と国防』の中にあるものと思い込んでいたらしい。寅彦のほかの文章も探したが、やはり見つからず、それまで寅彦の言葉として紹介してきた中谷は慌てたようだ。中谷は、「これは、先生がペンを使わないで書かれた文字である」とも言っている。(p.179)
ということだそうだ。中谷が「少しちがった表現で出ている」と書いたのは、「天災と国防」の次の箇所だ。道浦氏が省略した部分も引いておく。
それで、文明が進む程天災による損害の程度も累進する傾向があるといふ事實を十分に自覺して、そして平生からそれに對する防禦策を講じなければならない筈であるのに、それが一向に出來てゐないのはどういふ譯であるか。その主なる原因は、畢竟さういふ天災が極めて稀にしか起らないで、丁度人間が前車の顚覆を忘れた頃にそろ/\後車を引出すやうになるからであらう。(「天災と國防」『寺田寅彦隨筆集 第五卷(旧版)』岩波文庫所収,p.72)
(ちなみに、「気まぐれ歳時記」というページには、中谷の思いこみにすぎなかった、とはっきり書かれてある。)
なお、「地震は予測不可能だ」という表現ならば、寅彦は何度も書いたり話したりしている。宇田道隆『寺田寅彦との対話』(弘文堂アテネ文庫〔復刻版〕2010)にも、
「地震の予報は先ず不可能だ。津浪の予報には普通地震があってから直ぐ海岸に立って居て潮の退くのを見ればよい。*1」と(寺田寅彦が―引用者)申されたのは、寺田全集第二巻四一〇頁に、『若し星学者が日蝕を予報すると同じような決定的な意味でいうなら、私は地震予報は不可能と答えたい。しかし医師が重病患者の死期を予報するような意味でならば或は将来可能であろうと思う。』と記された意味であろう。(pp.97-98)
とあるし、「災難雜考」にも、似たような表現が出て来る。
また道浦氏は、さきの文章につづけて寅彦の「津波と人間」(1933年)からも一部を引用している。これは、昭和八年の三陸大津波のあとに書かれた随筆だそうで、寅彦は太平洋沿岸の各地を襲う大津波の到来を予見し、「今からその時に備えるのが、何よりも肝要である」、と書いている。
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吉村昭にも、『三陸海岸大津波』という名著があった。そもそも、「三陸海岸」という名称は、明治期の地震(地震自体の被害は大したものではなかった)に伴う大津波の発生(犠牲者は二万人を超えた)によって生れたものである。
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