一年に大体一冊ずつ出ていた、ミステリー文学資料館編『古書ミステリー倶楽部』シリーズ(光文社文庫)も、とうとう今月出た第三弾で終るらしい*1。最後の三冊めにも、宮部みゆき「のっぽのドロレス」や長谷川卓也「一銭てんぷら」、小沼丹の随筆など、珍しいものが入っている。乱歩の「D坂」も入っているが、なんと「草稿版」である。
一冊めには、清張の「二冊の同じ本」が入ったので、以前ここで紹介した。
二冊めに収録されて、とりわけ嬉しかったのは、皆川博子「猫舌男爵」である。千街晶之、日下三蔵など実在の人物による、虚構(つくりごと)の往復書簡(またはメール)を挟みながら、「ヤマダ・フタロ」(山田風太郎であることは容易に予想できるだろう)に「眷恋(けんれん)する」*2ヤン・ジェロムスキ(おそらくは架空の人物)の孤軍奮闘、いな独り相撲を軸に話が展開する。ジェロムスキが作中で、ポーランド語訳に取り組んだのが「ハリガヴォ・ナミコ」の短篇集という設定になっていて、これは皆川の『花の旅 夜の旅』(わたしは未読)中に登場する女性作家「針ケ尾奈美子」のことであり、しかもこの人名は、 Minagawa Hiroko のアナグラムになっている*3。
「猫舌男爵」はこのようなメタフィクション的ブッキッシュ小説なのだが、新保博久氏の「解説」によれば、
原本の表題作を拉(らっ)してくるのは遠慮するのもアンソロジーのお作法だが、皆川博子(一九三〇―)の「猫舌男爵」は二〇〇三年十一月「小説現代」に発表され、翌年に表題作とする短編集が講談社から刊行されたのに、爾来(じらい)十年なぜか文庫化もされていないから縦(よ)しとした。(p.386)*4
という。ところが、このおよそ半年後に、『猫舌男爵』(「猫舌男爵」を含む短篇集)はハヤカワ文庫JAに入ったのであった。このハヤカワ文庫版がまた、「解説」をヤン・ジェロムスキが担当しているという“遊び心”があって*5楽しいのだが、それはさておき。
「猫舌男爵」を読了したところ、さっそく触発されて、山田風太郎の明治ものを再読するなどしていたのだが、『戦中派闇市日記』(小学館文庫2012)も、実はそのときはじめて手に取った作品なのであった*6。風太郎が「彼(木下惠介)最大の愚作」といっている『女』(p.318)や(わたしはおもしろく観たのだが)、津田左右吉の「新カナづかい」攻撃(p.411)など、色々とアンテナにひっかかるところがあった。
ただし p.211 に「中谷宇吉郎『寺田寅彦の回想』」とあるのは、『寺田寅彦の追想』の誤りではなかろうか。わたしは、『中谷宇吉郎隨筆集1―寺田寅彦の追想―』(角川文庫1950)でこれを読んだ(単行本は1947甲文社刊)が、昨年十一月、(「地震と梅澤村」の一篇が省かれて)『寺田寅彦―わが師の追想』(講談社学術文庫)として再び世に出た。
中谷の随筆集は、出久根達郎氏の著作にも触発されて、それ以前からぼつぼつ読んでいたのだけれども、その中谷の「一人の無名作家」(樋口敬二『中谷宇吉郎随筆集』岩波文庫1988所収)がおもわぬ収穫で(わたしが無知なせいもあるが)、読んでよかったと感じた随筆のひとつである。文中で中谷は、芥川龍之介の短文「一人の無名作家」の「無名作家」は弟・治宇二郎のことである、と明かしているのだが、淡々とした書きぶりのなかに、却って夭折した弟への哀惜の念が読みとれる名篇である。
中谷治宇二郎には、作家とは別の顔があって、人類学の若き学徒でもあったということは、岡茂雄「中谷治宇二郎さんと私」(『本屋風情』中公文庫1983)にも描かれているとおりである。その文章からも、若き才能を惜しむ気持ちが伝わって来る。末尾を引く。
中谷(治宇二郎―引用者)さんは昭和七年病を抱いて、岡潔氏夫妻と帰国され、療養のため、大分県の由布院温泉に転地されたのであるが、病と闘いながら研鑽を怠らず、『ドルメン』などにも度々寄稿し、著作までものされたのに、命終につきて、昭和十一年三十五歳の若さをもって、長逝されたのである。
道を斯学にとってわずかに十三、四年に過ぎなかったが、学界に寄与した業績は少なくはなかったように思う。特に昭和初頭から渡欧までの三、四年の間に、精力的に仕遂げた『注口土器ノ分類ト其ノ地理的分布』『日本石器時代提要』『日本石器時代文献目録』の三つの著作は、学界への耀かしい形見となったように思う。(旧版pp.216-17)
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