二冊の文庫版随筆集

 この三月、二冊の随筆集――葉室麟『随筆集 柚子は九年で』(文春文庫)と、南木佳士*1『生きてるかい?』(文春文庫)とが出た。カバー袖の著者略歴を見て今さらながら気づいたのだが、葉室氏と南木氏とは同年(昭和二十六=1951年)の生れなのであった。
 二人には、その他にも共通点がある。それは――、葉室氏は第146回直木賞(2011年下半期)を受賞し、南木氏は第100回芥川賞(1988年下半期)を受賞しているのだが、両氏とも四回候補にあがって受賞を逃した後、「五度め」で受賞している――、という点である。
 まずは葉室氏の受賞時*2のことばを引く。

五回目の候補での受賞でしたので、決まったときはこれで候補にならずにすむと思い、ほっといたしました。(『芥川賞直木賞150回全記録』文藝春秋2014:335-36)

 受賞時の感懐は、随筆集にも記されている。そちらも引いておく。

 前回までの四回の選考会ではいずれも各出版社の編集者が集まって結果を待つ〈待ち会〉をして、酒を飲んでいたが、今回は飲まないで待とうと決めていた。
 なぜかというと、半年前の〈待ち会〉でビヤガーデンにいた際に感じたことがあったからだ。わたしが初めて直木賞候補になった時、何度かお会いしていた時代小説作家北重人さんも候補になられていた。
 わたしは北さんの作品が好きで、必ず近々のうちに直木賞を受賞されると思っていた。ところが候補になった年の夏に急逝されて残念でならなかった。ビヤガーデンでの〈待ち会〉でジョッキを傾けたおり、ふと北さんを思い出した。
 そうか、もう、北さんが候補になられることはないのか、とあらためて思った。「北さんの分も頑張らなければいけないのに」と反省すると、北さんから「もう〈待ち会〉では酒を飲まない方がいいよ」と言われた気がした。
 だから今回は飲まずに待ち続けたが、時間がたつにつれて重苦しい空気が漂い出した。気晴らしにホテルの窓から夜景を眺めていると「桃栗三年、柿八年、柚子は九年で花が咲く」という言葉が胸に浮かんだ。
 『柚子の花咲く』という作品で使った言葉だ。柚子の花が咲くまでには九年もかかるのだ、とため息が出かかった時、携帯電話が鳴った。
 まだ午後七時前で選考結果が出るには早過ぎるから、知人からだろうと思って出ると「日本文学振興会です」と声が聞こえた。一瞬、何か事務的な連絡だと思ったが、受賞決定の知らせだった。
 すぐに記者から質問され、「ほっとしました」と答えながら、「これで、もう候補にならなくてすむ」と安堵の思いが湧いてきた。(『随筆集 柚子は九年で』pp.160-61)

 次に、南木氏の受賞時のことばを引く。

開高健氏の厳しい選考を経ないと受賞できない期間に四回候補になり、五回目での受賞だったので、肩の荷が降りた、というのが実感だった。発表直後に受賞第一作を三日間で書き、翌月の「文學界」に載せた。この乱暴な洗礼を受け、ようやくプロの作家になった実感を得た。(『芥川賞直木賞150回全記録』文藝春秋:333)

 随筆中ではその時の感情について、次のように振り返っている。

 文芸誌に発表した小説が芥川賞候補になると、日本文学振興会というところから、あなたの作品を候補にするが、それでよいか、と承諾を求める手紙がくる。賞なんて関係ない、好きな小説を書くまでだ、と肚(はら)が据わっている作家なら、承諾しない、と返事を出せば候補からはずれ、選考の対象にはならない。
 正直なところ、四回目の候補の通知が来たあたりで、もういいよ、こんなゲームは、とうんざりし、返事を書かずにおこうか真剣に迷ったのだが、功名心の火はそう簡単には消えてくれなかった。だから、五回目の候補で受賞したとき、ああ、やっとこのゲームから抜けられる、と安堵したのだった。(「晩秋の締め切り」pp.207-08)

 南木氏の本業は内科医であるから、人の死を目の当りにすることも多く、「死を見るとはどういうことか、自分の中で整理してみよう」と考えたのが、小説を書き始めたきっかけだという(『芥川賞直木賞150回全記録』p.220←「週刊文春」平成元年1月26日号)。
 また、「雨が好き、嫌い」(『生きてるかい?』所収)を読むと、南木氏は少年の頃から行動的かつ好奇心旺盛であったことがわかる。中学二年生の秋にはサッカー部に入部し、その一方で本の世界にものめり込んでいったという。

 この時期に芥川龍之介の文庫で手に入るすべての作品を読み終え、小説のおもしろさに目覚めるとともに、早すぎる彼の死は、小説を書くという行為の底知れぬ業の深さを若造に教えてくれた。
 だから、小説は好きだけれど、これを書くことを職業とはせず、才能がなくても堅実な生活が営めるように実学を身につけたほうがいい、と雨に守られた三畳間で想いを固めていった。(pp.105-06)

 そう「想いを固め」ながら、小説書きをも職業としてしまうのだからすごい。
 『芥川賞直木賞150回全記録』は、南木氏以外の“医師”作家として、鷗外のほかに北杜夫渡辺淳一を挙げているが(p.220)、いま面白く読んでいる『詩人のポケット――ちょっと私的な詩人論』(ふらんす堂2014)*3の著者・小笠原眞氏も、耳鼻咽喉科の医師*4でありながら詩人であった。
 さて、『柚子は九年で』『生きてるかい?』の二冊であるが、両者は内容面ではかなり趣を異にしており、ふたつを読み比べてみるのもまた一興であろう。
 前者は、著者が出会った作家(早乙女貢など)や読書体験についても書いているので、ブッキッシュな興味をそそる。しかも歴史考証随筆のようなものも含まれている。特に、保田與重郎や月形洗蔵、平頼盛藤原隆家など、云わば「歴史の敗者」にむける著者のまなざしがやさしい。
 後者は、著者自身、「いわゆるカレンダーエッセイであり、可能なかぎり季節感を織り込んだ文章に仕上げ」た(p.3)と述べるとおり、「持ち歩き本」として戸外で読むとさらに楽しめる。創作の苦しみにまで言及しているし、透徹した死生観も印象に残る。
 表題作の「生きてるかい?」は冒頭に収められている。実は初めにタイトルだけを見て、どことなく間の抜けた、コミカルな印象を受けた。ところが本文を読んで、或る老婆の発言だったということを知った後、改めてタイトルを見ると、まったく異なる響きをもって迫ってくるから不思議である。

生きてるかい? (文春文庫)

生きてるかい? (文春文庫)

直木賞物語

直木賞物語

詩人のポケット―ちょっと私的な詩人論

詩人のポケット―ちょっと私的な詩人論

*1:「佳」字を「ケイ」と読むことについては、ここ(http://d.hatena.ne.jp/higonosuke/20050520)を参照。

*2:川口則弘直木賞物語』(バジリコ2014)は、葉室氏の直木賞受賞について次のように書いている。「こういう地味で、地道で、篤実な作家、またそこから生み出される小説に与えるところに、直木賞の一面が強く現われてもいた」(p.477)。

*3:この本で紹介されている、天野忠「しずかな夫婦」、井川博年「小鳥の少女」はとりわけ良かった。藤富保男「土」には、奇蹟のような言葉の組合わせに失笑。二行詩ながら、おそるべき名篇だとおもう。

*4:そのことは、平田俊子「鼻茸について」を引きつつ薀蓄を傾けるくだり(pp.58-60)によくあらわれている。