小川雅魚『潮の騒ぐを聴け』(風媒社)を再読している。この随筆集(註釈部分がなんと全ページ数の約三分の一を占める)は、今年1月に出た。春先に出久根達郎氏が新聞書評で取り上げており、「世間知の宝庫」とか何とか、そういった表現で絶讃していた。それから、あちこちの書店で捜し求めたもののなかなか見当らず、出版社に直接取り寄せることになった。しかし“版元増刷中”とのことで、すこし待ってから、4月に出た2刷を入手した*1。期待にたがわず頗る面白く、直ぐに読了。そして今回は、註釈部も含めてじっくり読み直している。
同書から、タイムリーな「もっとも高価な魚、グラムあたり」を取上げてみよう。
このエセーは、「四十年来の知人で時計職人のカッちゃん」がウナギ獲りの名人だ、という話が端緒となる。その後『万葉集』の大伴家持歌(三八五三番歌)を引き、そして「平賀源内の思惑で土用の丑の日にウナギを食べる風習が形成され」云々と、よくある「ウナギうんちく話」をひとくさり述べるが、しかし、ここからが面白い。
私は子供の頃には、実家のまえの港でシコ*2を餌にしてウナギを釣り、上京後は大学の授業にはほとんど出ないで、久我山にある叔父の鰻屋『あつみ』で蒲焼きをやいていた。(p.25)
この『あつみ』に集う「お得意さん」たちの顔ぶれがすごい。
洋画家の東郷青児さん(忘れもしない、ツネシ叔父がゴルフに出かけて留守の日に、トーゴーさんからの三十七人前の注文を受けたのが、私のウナギ職人としてのデビューである)、シャンソン歌手の岸洋子さん、仏教学者の中村元(はじめ)さん、俳優の佐藤慶さんといったお歴々がいた。私の上京前には小説家の伊藤整さんのところへも、うな重を届けていたそうである。(p.26)
イサム・ノグチもこの店でウナギを食べたことがあるらしい。『あつみ』は、著者の出身地である「渥美半島」に由来する――のかどうかは知らないが、この本で、後にも何度か出て来る。
それから話は、「フジオカ医院のトッちゃん」が兄のエッちゃんと獲ってきた天然ウナギの美味さ(養殖ウナギとの違い)に及び、次にはウナギの稚魚、生態の話に移る。
ウナギの生態はながく謎であったが――ヤマイモがウナギになるという伝説もあったし、西洋では、あのアリストテレスでさえ、ミミズが変態してウナギになると考えていた――、二年ほど前、グアムの沖の深海で産卵することが解明された。卵から孵ると、レプトケファルスという柳の葉のような姿になって、初めての旅に出る。東アジアの沖合を海流にのって北上してくるのだ。糸のような細い身体をくねらせて荒海を数千キロの旅路である。けなげさに気が遠くなる。(p.29,太字は引用者)
アリストテレスが云々、というのは浅学にして知らなかったが、アリストテレース/島崎三郎訳『動物誌(上)』(岩波文庫1998)を見てみると、「ウナギは泥や湿った土の中に生ずる『大地のはらわた』と称するもの〔ミミズ〕から生ずるのである」(p.302,第6巻第16章「ウナギの異常な発生」)、とあった。アリストテレスは、『動物発生論』でもこれについて述べているらしい。
筒井功『ウナギと日本人―“白いダイヤ”のむかしと今』(河出書房新社2014)は、「第五章 ウナギのけなげな一生」(太字は引用者)で、「古代ギリシャの哲学・博物学者アリストテレスが『ウナギは大地のはらわたから自然発生する』と記したことは、よく知られている」(p.108)と記すが、その「大地のはらわた」がミミズを指すことには言及していない。なお、「ヤマイモ→ウナギ」説は、筒井氏によれば、「遅くとも江戸時代中期には現れていた」(p.109)という。そういえば丸谷才一に、『ウナギと山芋』というタイトルのエセー集があった。
さらに上で触れた、「源内が土用の丑の日にウナギを食べることを広めた」という説。これは本当によく目にする(耳にする)もので、たとえば、時田昌瑞『辞書から消えたことわざ』(角川SSC新書2014)にも、「平賀源内が土用の丑の日にウナギを食べることを鰻屋に提案し、キャッチコピーとして売り出したことが、この日にウナギを食べるようになるはじまりとの説も知られる」(p.114)とある。
ちなみに小川著はその「注釈」で、「ウナギ好きだった大田蜀山人が、行きつけの鰻屋『神田川』に頼まれてしぼった知恵であるとの説もある」(pp.225-26)と述べている。
しかし、筒井著は、「(ウナギを)土用の丑という特定の日に結びつけるようになったのは、ごく新しく江戸時代も中期以降のことらしい」(p.155)と述べつつも、「平賀源内」説・「大田南畝」説を「裏づける文献・記録は、いっさい残っていない」と否定し(p.156)、「多彩な才能が、従来はなかった習俗の出現と結びつけられて、先の伝説を生んだのではないか」(同)と推測している。
かなり話が脱線してしまった。脱線ついでに、「蒲焼き」の語原説について述べておく。
これについては、「ウナギを串刺しにしたときの形がカバ(ガマ)の穂に似ていることから、その名が付いたのは明らかだといえるだろう」(筒井著p.161)、「おなじみの蒲焼は江戸時代から始まったもので、戦国時代までは丸ごと串にさして焼くか(この形態が「蒲」の語源)、ぶつ切りで焼いて山椒味噌などをつけて食べた」(大森洋平『考証要集―秘伝! NHK時代考証資料』文春文庫2013:49)、「蒲焼きは、鰻を今のように裂かずに、口から串を刺して焼きました。その形が蒲(がま)の穂に似ているので「蒲」をもらったと物の本にはあります」(榎本好宏『季語成り立ち辞典』平凡社ライブラリー2014:160)などとあるように、形の見立てがその語原となった、とする説が一般的である。いっぽう小川著「注釈」は、松井魁『うなぎの本』を参照しながら、形態由来説と、「芳(かん)ばしい香りがいち疾(はや)く人の鼻を打つというので、香疾(かばや)き」となった(p.225)という説とを挙げ、この二つが「おもな二説」だと述べている。
さて、蒲焼の料理法が東西で違っていて、関東はウナギの背から裂き、関西では腹から裂く、という大きな違いがある――のはよく知られるが、小川著の註釈によると、「私の経験では、豊橋あたりに料理法の東西を分つゆるやかな境界線、いわば汽水域があるようである。包丁も東西で形も大きさもちがうし、名古屋と上方でも微妙にちがっている」(p.225)、というのである。このような「世間知」が、「書斎型」とはやはり違うな、と思わせるのである。
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ここで唐突におもい出す。たしか漫才コンビ「銀シャリ」のボケ担当者が「鰻(うなぎ)」さんだったよな、と、森岡浩編『難読・稀少名字大事典』(東京堂出版2007)を披く。「鰻 うなぎ 鹿児島県の名字で、指宿市山川に多い。同地区には鰻池という池があり、大鰻が生息していることで有名」(p.77)とある。荒木良造『姓名の研究 附難訓姓氏辞典 奇姓珍名集』(第一書房1982覆刻、麻田文明堂1929)にはなし。「鰻淵」さんなら採録している(p.83)。
指宿市山川の「鰻」さんについては、筒井著に言及がなされている。
鹿児島県薩摩半島の南端、指宿市山川成川に「鰻池」という名の火山湖があることは、すでに述べた。ここにはオオウナギが生息していたために、その名が付いたのである。湖畔には「鰻」集落と鰻温泉があり、明治の初め新しい戸籍制度が発足した際、村の全戸が「鰻」姓を名乗ることにしている。全員が鰻池の鰻村の鰻氏になったのである。その背景には、閉鎖環境で世代をつないできた巨大なウナギへの驚異と畏敬があったろう。(pp.146-47)
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