文庫本で読む『菜根譚』

 宗助は一封の紹介状を懐にして山門を入った。彼はこれを同僚の知人の某から得た。その同僚は役所の往復に、電車の中で洋服の隠袋(かくし)から菜根譚を出して読む男であった。こう云う方面に趣味のない宗助は、固より菜根譚の何物なるかを知らなかった。ある日一つ車の腰掛に膝を並べて乗った時、それは何だと聞いて見た。同僚は小形の黄色い表紙を宗助の前に出して、こんな妙な本だと答えた。宗助は重ねてどんな事が書いてあるかと尋ねた。その時同僚は、一口に説明出来る格好な言葉を有っていなかったと見えて、まあ禅学の書物だろうという様な妙な挨拶をした。(夏目漱石『門』十八*1

 わたしの記憶が確かならば、洪自誠/今井宇三郎訳注『菜根譚』(岩波文庫)は、まだカバーがついていなかった時代の初刷(1975年1月刊)では青帯で、なぜか後になって赤帯編入された。「後に」といっても、具体的にはいつのことなのかわからない。先日、1987年の第15刷*2だったかが古本屋に出ていたが、それもすでに赤帯だった。
 この今井版『菜根譚』は、今春の「名著名作再発見」フェアに入っており、その帯が巻かれた本の奥付を見ると、「2016年4月26日第66刷発行」となっているから、「品切・重版未定」になることもなく、ずっと売れ続けているのだろう。たしか、ハードカバーの特装版*3も刊行されたはずだ。
 ところでわたしが親しんだ訳本は、魚返善雄訳『菜根談』(角川文庫1955)の改版(1969刊)である。これは、今井版で「俗語の語釈に優れている」(p.389)と評されたもの。もっとも、「男一匹…」「年増芸者もかたず(ママ)けば…」など、訳文に古めかしいところがあるものの、終始くだけた口調だから、内容が頭に入ってきやすい。
 たとえば第二条の訳は、

 しろうとは、シミのない人。くろうとは、腹黒い人。だから人間ジョサイないより、正直がよい。ネコかぶりより、ぶ遠慮がよい。(p.4)

 第二三四条の訳であれば、

 世界そのものがもともとミジン、人間はミジンのまたミジン。からだそのものがもともとアブク、そのほかの物はアブクのアブク。なみの知恵では、悟りきれまい。(p.141)

といった具合*4。また、原文や読み下しを示してあるし、註釈もきわめて簡潔で良い。
 この魚返版、現在は古本でしか入手できないが、新本屋で手に入る邦訳文庫本としては、今井版のほか、中村璋八・石川力山による全訳注版(講談社学術文庫1986)、それから抄訳だが、湯浅邦弘訳(角川ソフィア文庫、「ビギナーズ・クラシックス中国の古典」シリーズ、2014)もある。昨年には、野口定男『世俗の価値を超えて 菜根譚*5というのが鉄筆文庫に入ったが、こちらは、エセーふうの解説に主眼を置いており、全文を紹介するものではない*6
 魚返版が独特なのは、まず、于孔兼による題詞が省かれているということ*7。次に、上にあげた文庫版のどれもが本文を「前集」二二二条、「後集」一三四条(ないしは一三五条―後述)と分けて、「前集五六」、「後集一二五」、などと示しているのに対して、それらを一緒にして通番で示しているということだ。たとえば「後集一三四」(一三五)であれば、通番で「三五六」となっている。
 魚返は「解説」で、「「菜根譚」のテクストとしては、中国刊本には信頼できるものが見当たらない」(p.217)と述べ、尊経閣文庫蔵の「明刊本「菜根譚」前後集二冊」(単行本)と文政重刊本とを「対照することにより、文政本の不注意による「錯簡」や、区切りの誤りを正」すことができる(p.218)ため、明刊本によって「在来の日本のテクストの誤りを訂正しておいた」(同前)という。文政本は、文政五年(1822)に加賀藩儒者であった林瑜(1781-1835)が刊行したものである。
 今井版はその文政本を底本にしており、中村・石川版は「内閣文庫*8所蔵の『遵生八牋』*9の付録として収録された、覚迷居士汪乾初の明代の刊本を用い、段落の区切り方もこれにしたがった」(「凡例」p.6)という。
 文政本は「遵生八牋」本の流れをくむものだが、これとは別に、民国二十年(1931)の「還初同人著書二種」に収められた異本もあるという。しかし、こちらは全体を五部に分けているうえ条目の出入りも多く、別系統の本と見なすべきだから、ここでくわしく述べることはしない。
 では、文庫本間での排列の異同に関して述べることにする。
 さきに記したとおり、『菜根譚』全体の構成は「前集」二二二条、「後集」一三四条(または一三五条)で、計三五六条(三五七条)から成る。
 まず「前集四三」の「風恬浪静中、見人生之真境。味淡声希処、識心体之本然」は、魚返版は「文政本はこの項を彫り落としたらしく、前集の最後にくっつけている」(p.30)とする。したがって文政本に拠った今井版は、「前集四三」から「前集二二一」までが魚返本とはひとつずつずれており、「前集二二二」の位置に「風恬浪静中、見人生之真境。味淡声希処、識心体之本然」を持って来ている。
 魚返版と同じ処理をしているのが中村・石川版で、「前集四三」に、「※この一段は文政刊本では前集の最後に置かれているが、ここでは定本にしたがった」(p.76)との注記がみえる。
 次に、「後集十七」である。すなわち、「有浮雲富貴之風、而不必岩棲穴処。無膏肓泉石之癖、而常自酔酒耽詩。競逐聴人而不嫌尽酔、恬淡適己而不誇独醒。此釈氏所謂、不為法纏、不為空纏、心身両自在者」という文章について、今井版は文政本にもとづき「競逐」以下を別項として立てて十八条とする。その注釈には、「内閣文庫本は此の条を前文に続けて一条としているが、底本は文意により別条とする」(p.248)とある。中村・石川版は内閣文庫本に拠っているから、こちらは切り出さずにそのまま一条とする。魚返版も同様で、「文政本は誤ってこの項を二つに分けている」(p.145)と注する。いずれの処理が適当なのかはいま措くが、このために今井版は、「後集」が魚返版や中村・石川版に比べて一条多くなっている(一三五条)のである。
 これで、排列順や項目数に「ずれ」が生じた理由がおわかりになったことと思う。

    • -

 『菜根譚』を読むための副読本としては、湯浅邦弘『菜根譚―中国の処世訓』(中公新書2010)がある。概説書であるから、もちろん全文は収録していない。また、所々に誤記が散見するので注意したい。角川ソフィア文庫の抄訳本か、その他の訳本を手許に置きながら読み進めることをおすすめする。
 誤記というのは次のとおり――まずp.28に、魚返版の書名を『菜根譚』とするが、これは誤りで、上記のように『菜根談』が正しい*10
 魚返は意図的にそうしているのであって、「解説」の冒頭に、

 まず書名であるが、「譚」と「談」は同じ意味で、中国の版本にも「菜根談」としたのがあるから、わかりやすいほうの字に改めた。(p.215)

と述べている(「昭和二十八年九月」*11とあるから、初版からそうしているようだ)。
 次に、湯浅氏の中公新書は白文を示さず、書き下しのみ記しているのだが、その書き下しに誤記が少々ある。「前集一四二」で「人の救難する処に遇えば、…」となっているところ(p.56)は、「救難」ではなく「急難」。ソフィア文庫版は返り点をつけた白文のほか、書き下しを示していて、そちらでは修正されている(p.125)。
 また、「前集七二」で「享受も亦た涼薄なり」となっているところ(p.73)、「享受」ではなく「受享」。これもソフィア文庫版では直っている(p.82)。
 さらに、「後集一〇九」で「皆想念より造成す」とあるところ(p.242)、「想念」ではなく「念想」。やはり、ソフィア文庫で直っている(p.210)。
 条数にも注意が必要で、「善を為して其の益を見ざるは、…」を「前集一六二」(p.160、魚返版は通番一六二、今井版は前集一六一、中村・石川版は前集一六二)、「機の動くは、弓影も疑いて…」を「後集四七」(p.183、魚返版は通番二六九、今井版は後集四八、中村・石川版は後集四七)、「歩を進むるの処に、便ち歩を退くるを思わば、…」を「後集二八」(p.201、魚返版は通番二五〇、今井版は後集二九、中村・石川版は後集二八)とする。
 湯浅氏は「凡例」で、「大阪大学懐徳堂文庫所蔵『菜根譚』(文政五年刊本をもとにした重刊本)」を底本にした旨を述べており(p.31)、「他のテキストとの照合により、文字の一部を改めた箇所がある」(同)と書いているから、あるいは上記の字句の異同も、懐徳堂本に拠ったために生じた部分があるのかもしれない。だとしても、文政本がもとになっているのなら、少なくとも「前集一六二」は、「前集一六一」とあるべき所かと思われる。
 また、「後集四七」、「後集二八」も、今井版と同様にそれぞれ「後集四八」、「後集二九」、となるはずである。しかし、「後集」の次第が、魚返版と中村・石川版とによく一致するということは、懐徳堂本も「後集一七」のところで、「競逐」以下を別項として立てていないことが予想される。
 ちなみにソフィア文庫版では、「本書の凡例」で、懐徳堂本に拠ったことが述べられはするけれども、「条の区切りについては、底本を基本としながらも、他のテキストを参考にして改めた箇所がありますので、結果的には、下記の岩波文庫本と同様の区切りになっています」(p.18)と付け加えられている。岩波文庫本というのは今井版である。
 それから細かいことだが、漢字の読みについて一点。
 中公新書では、「貪私」(前集七八)に「たんし」(p.119)、「貪と為す」(前集六二)に「どん」(p.173)、「貪愛」(後集一〇九)に「どんあい」(p.242)とルビを振っている。ソフィア文庫版もこれと同じ。
 今井版は「貪私」が「たんし」(p.99)、「貪と為す」が「たん」(p.84)、「貪愛」が連声形の「とんない」(p.340)。中村・石川版は、それぞれを「どんし」(p.115)、「どん」(p.99)、「とんあい」(p.389)とする。「トム(ン)」「タム(ン)」という字音があてがわれるべきだった透母字(次清音)の「貪」が「ドン」と読まれるようになったのは、比較的近年のことに属するが、上記の「読み分け」はそれぞれの習慣に基づくものなのだろうか。はたまた何か理由あってのことだろうか。
 つい細かいことばかり書き連ねてしまったが、『菜根譚』の副読本として、湯浅氏の『菜根譚―中国の処世訓』を強くおすすめしたい。なんと云っても最大の特長は、pp.58-59、pp.101-02、pp.261-66など、新出の木簡による成果を採り入れている点にある。また、コンパクトな体裁でありながら、時代背景や典拠についてもかなり丁寧に説いている。

菜根譚 (岩波文庫)

菜根譚 (岩波文庫)

菜根談 (1955年) (角川文庫)

菜根談 (1955年) (角川文庫)

菜根譚 (講談社学術文庫)

菜根譚 (講談社学術文庫)

世俗の価値を超えて―菜根譚 (鉄筆文庫)

世俗の価値を超えて―菜根譚 (鉄筆文庫)

菜根譚―中国の処世訓 (中公新書)

菜根譚―中国の処世訓 (中公新書)

漢文入門 (1966年) (現代教養文庫)

漢文入門 (1966年) (現代教養文庫)

門 (新潮文庫)

門 (新潮文庫)

*1:新潮文庫版(平成十四年改版)p.247。

*2:カバーがついていた。

*3:ワイド版ではない。

*4:しかし、ここでわたしは、魚返の息女・昭子氏の次のような言をおもい出さずにはおれない――「とにかく彼(魚返善雄―引用者)は、いつも、どの本も姿勢を正して書いた。身も心もである。読む人にはどれほど面白おかしく書き飛ばしたように見えても、実は苦吟に満ちている」(「父魚返善雄の思い出」『漢文入門』現代教養文庫1966,p.218)。

*5:渡辺憲司氏の「解説」によると、同書はもと「現代人のための中国思想叢書」の一冊として、1973年4月に新人物往来社から刊行されたという。

*6:附言すると、今年6月には野口の『中国四千年の智恵 故事ことわざの語源202』も鉄筆文庫に入った。

*7:魚返版の拠った尊経閣文庫所蔵の単行本(後述)には、「題詞」がもともと無いという(中村・石川版「解説」p.426)。つまり魚返が意図的に省いたわけではない。

*8:内閣文庫は現在、独立行政法人国立公文書館に移管されている。

*9:この「遵生八牋」には、「菜根譚」を附載するやや後期の十二冊本および十八冊本(国立公文書館蔵)と、附載しない初期の十一冊本(国立公文書館尊経閣文庫蔵)とがあるという。

*10:中村・石川版の「解説」も、誤って「菜根譚」とする(p.431)

*11:ちなみに、別号の「半鼓堂戯有益斎主人」が記されている。