視聴率、この面妖なるもの

小林信彦『雲をつかむ男』(「小説サンデー毎日」1971年4月号)

侵入者 (文春文庫)
小林信彦『侵入者』(文春文庫,2004)所収。視聴率至上主義をコミカルに、そして辛辣に描いた作品です。「視聴率戦争」をとりあつかった小説としては、ほかに松本清張の『渦』(新潮文庫など)が想起されますが、小林氏による本作品は、そこかしこにブラック・ユーモアとメタファーがちりばめられていて、おもわずニヤリとさせられます。
昨年、日本テレビの「視聴率不正操作」が明るみにでましたが、そのとき小林氏のもとに、「むかし、そういう小説をお書きになりましたね」という内容の電話が十数件きたのだそうです(本文庫所収「自作解題 創作の内幕」による)。
そのことが契機となったのでしょうが、小林氏は『文藝春秋』(二〇〇四年一月号)に、視聴率にかんする小文を寄せられました。いまこれは、『定年なし、打つ手なし』(朝日新聞社,2004)に収めてあります(「〈視聴率〉なんかこわくない」)。その一部を挙げておきましょう。文中の「現実の事件」や「現実」は、昨年の日テレの事件をさしています。

定年なし、打つ手なし
(略)ぼくの『雲をつかむ男』という短篇で、中心になるアイデアはこうである。
まず、家庭に置かれた視聴率測定機のテープを回収する車のあとを尾行する。当時、東京地区の測定機設置テレビは四百三十台、その他の地区を含めても、一人が十軒ずつやれば、約二百人で、測定機設置家庭をつきとめられる。(現実の事件は興信所をやとって尾行したらしい。)
次が大事なのだが、〈買収〉と呼ばれないために、番組のモニターをたのむ。小説ではモニター料が二万円になっているが、現実は一万円の商品券だったらしい。
詳細を省くと、こんなところだが、どのみち、〈雲をつかむような話〉であり、それが題名の由来である。
日テレの事件は責任者たちの処分は発表されたが、真相はいかがなものか。買収できたのは三世帯だと公表されている。ぼくの小説がヒントになったというよりも、ぼくが書き残したアイデアが、テレビ界で〈都市伝説〉化しているのではないか。(前掲書,p.262)