丸山健二『夏の流れ』(『文學界』,1966.11)
第二十三回文学界新人賞を受賞。翌年、第五十六回芥川賞(一九六六年下半期)を受賞。文藝春秋などから刊行されていましたが、入手困難になっていました。今回、本作品も含む丸山氏の初期の中短篇が講談社文芸文庫に入ったので、飛びついたというわけです。で、たいへんおもしろく読みました。
私はその会話のやり取りから、小津映画を想起しました。たとえば…
「気のせいだよ」
「そうでしょうか」
「そうさ」と堀部は言った。
(中略)
「気が紛れているからさ。動いてる間だけな」
「そういうもんかな」
「そうさ」と私は言った。
(中略)
「大丈夫なの?」
「大丈夫さ」
「そう」と妻が言った。
…ね? 小津映画のシナリオ*1を読んでいる気がしませんか?
むろん、そんな些事に拘泥するのではなくて、作品のテーマについて語りたいのですが、どうもむつかしくて…。
とりあえず、
「(親子二人を殺した死刑囚は―引用者)人間じゃないわね」
「人間さ。出かけるぞ」
私は面倒になって立ち上がった。(p.10)
という記述と、死刑執行にかかわることに乗り気でない中川を説得するシーンで、
「奴ら、人間じゃないんだ」と私がつけたした。(p.55)
という記述があらわれることに注意をしておきましょう。…なんだか国語の授業みたいになってきました。やめたやめた。