田中慶太郎

 いま、川瀬一馬『随筆 蝸牛』(中公文庫)の気になるところを再読しています*1。「不朽なり蘇峰の蔵書―無言で語る10万余冊、成簣堂文庫を再整理」「麒麟(キリン)森さん―森銑三兄追憶」「文求堂田中慶太郎さん」「ことば橄欖欄」「六度マルセル・マルソーを見る」あたり。
 特に、「文求堂田中慶太郎さん」を面白く読みました。島田翰中山久四郎などにかんする話も出てくるのでおもしろい。また、田中慶太郎の知られざる一面も明らかにされています。

 田中さんは、筆力があって、端正で品位のある書をかかれた。今手許に五通の毛筆の封書が残っている。今更申すまでもなく刊写両方の古書、殊に唐本のすばらしい目利きであったが、唐宋の焼物に対しても卓見を持っておられ、屡々聞かされた話は大変に参考になり、私も生意気に同じ考えを持っていたので、それについては時々筆にしたことがある。勿論必ず田中さんの示教とことわっている。
 田中さんは浅草へよくレビューを見に行かれ、エノケンなどが流行った頃で、贔屓だったようである。もう一つ、ラグビーが好きで、この方では、私は昭和初年に明治大学の名フルバックとうたわれた笠原君と昵懇だったので、田中さんとも話が合ったのである。(p.336)

 田中慶太郎といえば、『支那文を讀む爲の漢字典』(研文出版、以下『漢字典』)の編訳者としても著名です。『漢字典』の藍本は『學生字典』で、初版は昭和十五年に発行されています*2。親字が『説文解字』のどの部分にあるかを明示しており、ハンディかつ便利な字典です。また書名の名づけ親は長澤規矩也で、重印の際、「請はれるままに」序を寄せています。
 『漢字典』の「贅後」で、田中は次のように書いています。

 もとより、わたくしは、漢語を我國で使用する場合にまで、支那流の解釋を重視すべきであるなどといふ卑屈且つ不當な考は毛頭も持つてゐるわけではない。ただはつきりとその區別を知つてゐることが、現下の時勢に於て必要なことであると信じ、又、漫然と、同文であるから支那人に對しては他民族より意思が疏通しやすいななどといふ安易な考を我國の逭年諸君に持つてもらひたくないと思ふまでなのである。

*1:本を片付けているときに出てきました。一昨年、J書店にて購いました

*2:私が所有しているものは、平成六年の第十版。