そういえば、董国強編著『文革―南京大学14人の証言』(築地書館)の「コラム3 匡亜明と溧陽分校」に、安藤彦太郎が出て来た。

 文革前夜の中国に二年間にわたり滞在するという、中国と国交のなかった当時の日本人としては極めて貴重な体験をした安藤彦太郎(早稲田大学教授)は、中国での体験を折々の通信という形で残している(のちに『中国通信』として上梓)。その中で、南京で最も印象に残った人物として、南京大学校長の匡亜明を挙げている。ちょうど匡亜明が古の書院を理想とし、学問と労働の両立を目指した溧陽分校の建設に邁進している時である。(p.76)

 安藤氏は、昨年の十月に亡くなったばかりなので、この本が完成した頃はご存命だったのかもしれない。
 『中国通信』は未読だが、次の本は語学的な興味から読んだ。

中国語と近代日本 (岩波新書)

中国語と近代日本 (岩波新書)

 所謂「親中派」「文革派」が書いた本だから、一部では評判が良くなかったりするのだが、それだから読まずにすませるというのは、実にもったいない。近代日本や語学に興味を抱く人は、批判的にでもあれ、一読する価値はある。
 日本人の中国認識の二重構造、「支那語派vs.漢文新派」というのはこの本で得た問題意識。ほかに「兵隊支那語」、伊沢修二魚返善雄のことなど。著者自身が「文化大革命」に直面したことについては、pp.194-98あたりに書かれている(「反省」も口にする)。
 『支那文を讀む爲の漢字典』の実質的な翻訳者が松枝茂夫である、という事実も、この本ではじめて知ったのだった(読み返しておもい出した)。

 中国の古典を中国のものとして読むための手ごろな字典の刊行を企画した田中慶太郎という人物は、具眼の士といえるであろう。田中氏については、『急就篇』の発売元である文求堂の主人として、すでに紹介した。竹内好さんも「田中慶太郎氏のこと」という文章(『中国を知るために』第一集、一九六七年)を書いて、その識見を称揚している。その字典というのは、文求堂発行の『支那文を読む為の漢字典』(一九四〇年。戦後、山本書店・書籍文物流通会から再刊)である。
 この字典の原本は、陸爾奎・方毅共編『学生字典』(一九一五年、上海商務印書館)という小字典で、田中慶太郎編訳となっているが、松枝茂夫さんが実際の翻訳にあたり、さらに『辞源』などを参考にして増補したものである。(p.186)

 百目鬼恭三郎『乱読すれば良書に当たる』(新潮社)の「田中慶太郎編訳『支那文を読む為の漢字典』」(pp.76-80)は、その後に読んだ。